第8話 探し物はなんですか?

 バスに乗って、僕らはしばらく和気藹々と他愛無い会話で盛り上がっていた。少しだけ声のトーンを上げすぎて他のお客さんに迷惑なんじゃないか、という場面もあったけど、幸い他の乗客も少なくて叱られることはなかった。そして、そんな中でも亜玖亜くんは相変わらず寡黙なままだった。

 しばらくすると、バスが目的の場所に停まった。四鈴村の外れのほうではあるが、実は一番栄えている場所らしい。僕は降りるとそこには巨大な建物が聳えていた。

「さて、着いたぞ」

 大型ショッピングモール「ジオン」。僕が昔住んでいた地域にもあったが、ここまで大きなものではなかった。駐車場付近にはひっきりなしに車が出入りしていて、端から端までの距離はうちの学校といい勝負ぐらいかも知れない。映画館やボーリング場もあるらしいし、一日中遊べそうだ。

「うわぁ、こんな広いジオンがあったんだ」

「ま、この田舎じゃここぐらいしか遊ぶ場所がないけどな」

「ウチの生徒はみんなお世話になっとりますえ」

 へえ、と僕は相槌を打つ。

 ここは今後何度もお世話になるかも知れない。場所を覚えておいて損はないだろう。

「……はぐれないように、気を付ける」

「ま、まぁそうだね……」

 何故だろうか、亜玖亜くんは凄い誇らしげに言っているけど、どこか不安な気もする。まぁ、中学生だし迷子になることはそうそうないのだろうけど。

「あ、そうだ。大事なことをひとつ言っておくな」

「ん? 何?」

「間違っても女子トイレには入るなよ」

 ――ごはっ!

 僕は思わず咳き込んでしまった。

「あ、当たり前だろ……」

「ん~、でも大事なことなんよ。例え女の子に見えても、そこはきっちりせぇへんと」

「幸いここはほら、元々そういう風習ある地域だし。女装や男装にも理解ある人は多いから、そこは堂々と男子トイレ使って大丈夫だからな。もし恥ずかしかったら多目的のほう……」

「あ、うん。分かった」

 冗談めいたことを言っているのかと思ったけど、冷静に考えたら大切なことだ。僕自身が混乱しているところもあるけど、周りのお客さんに混乱を招くようなことはしてはならない。

 もう一度呼吸して、僕はガチガチに硬直した両手両足を動かしながらジオンへと入っていった。

「おうおう、ジオン行くのにすげぇ緊張してんな」

「リラックスしてええんやで~」

 ニヤけながら僕に向かって、陽夏と一葉さんは声を掛けた。


 ――この二人、絶対この状況を楽しんでいるな。



 中に入った途端、香ばしい匂いと人の群れで溢れかえった。入り口から左手にはパン屋さんがあり、香ばしい匂いはここから漂ってくる。他にも僕の地元ではみたことのないような店舗が並んでおり、ちょっとした異世界に迷い込んだような気分だ。

「よし、行こう!」

 僕は意気揚々と声を挙げた。半分、ヤケクソと言っても過言ではない。

「場所分かっているのか?」

 ――あっ。

 当然なのだが、そこに気付いて僕は素っ頓狂な声を出してしまった。

「お目当ての店は三階やえ」

「俺らもよく行くところだから、案内するぞ」

 僕はとぼとぼと、陽夏についていった。

 三階に上がり、端の方にある店舗に辿り着いた。

「うわぁ……」

 思わず僕は感嘆してしまう。

 目の前に広がるカラフルな世界。柔らかそうな薄い素材の肌着に身を包んだマネキンたち。普段なら思わず目を逸らしてしまう場所なのだが、まさかここで買い物をするなんて……。

「いらっしゃいませー」

 女性店員さんが意気揚々と挨拶をした。

 ――本当にこんな場所に入っていいのかな?

 完全に僕は脳が混乱していた。場違いにも程がある。今更ではあるが、こうして店に入ると現実感がいよいよ帯びてくる。

「え、えっと……」

「あ、コイツのサイズに合う下着欲しいんだけど」

 あっけらかんと陽夏は言った。おい、と僕は心の中でツッコミを入れる。

「ちなみにこの子は男の子やえ」

 一葉さんまで、特に気にする様子もなくバラした。この二人が楽しんでいるように感じるのは気のせいであってほしい。

「あら、もしかして四鈴の生徒さんですかね?」

「あ、はい……。そうですけど……」

「緊張しなくても、ここは四鈴の男子生徒さんもよく来ますから、大丈夫ですよ」

 僕はほっと胸を撫でおろした。

 先ほど陽夏が言ったことは本当だったらしい。店員さんは動揺する気配もなく、明るく対応してくれた。

「それじゃ、後はよろしく頼むぜ」

「ウチらは外で待っとるからな~」


 ――えっ?


 にこやかに店舗の外へ抜けていく陽夏と一葉さんの二人。その場に取り残された僕は、呆然と立ち尽くすしかなかった。

「ちょ、ちょっと……」

「さぁ、お客様」心なしか店員さんの目が光っているように感じる。「サイズを測りますねぇ!」

 メジャーを手にした店員さんは、僕に向かってゆっくり歩み寄る。

「ちょ、ちょっと……」

「大丈夫ですよぉ、痛くしませんからぁ」

 正直、ちょっと怖い。いや、ちょっとどころじゃない。物凄く怖い。

 僕は後ずさりしていくが、逃げる間もなく肩を掴まれた。

「う、うあああああぁぁぁぁぁぁッ!」

「サイズ、お測りしまあああああああっすッ!」


 数分後――。


「う、うぅ……。もう、お婿にいけない……」

 半分泣きそうになりながら、僕は会計した下着の入った紙袋を手にしていた。

「お、買えたか。どんな気分だった?」

「『どんな気分だった?』じゃないッ! 怖かったよッ!」

「まぁ初めてだったからしょうがない、か。別に店員さんも取って食おうとしたわけじゃないんだし、気にすんなよ」

 気にすんなよ、と言われても――。

 僕は頭を項垂れたまま紙袋をぎゅっと握りしめた。

「まぁ、下着買えたんやから良かったやないの」

「それはそうですけど……」

「そうそう。結果オーライ。な、水波!」

「お待たせしてすんまへんな水波はん」

「ごめんね、ずっと亜玖亜くんのこと待たせちゃ、って……」


 ――あれ?


 そういえばさっきから亜玖亜くんが会話に入ってきていなかったような。いや、亜玖亜くんは普段口数が少ないからてっきり黙っていただけだと思っていた。

 けど……。

「ねぇ、亜玖亜くんって……」

「入るまでは一緒にいた、よな?」

「はぐれてしもたんやろか?」

 確かに店内に入って以降は亜玖亜くんと会話はおろか姿を見た記憶がない。


 多分、いや、間違いなくはぐれた。少なくとも最初から。


「ああぁぁっぁああッ! 僕、探してきますッッッッッッ‼」

「お、おい……」

 陽夏が呼び止めるのも聞かず、僕は一目散に駆け出した。


 お客さんの迷惑にならないように、まずは二階を急いで三周する。亜玖亜くんはいない。


 そして、一階……。亜玖亜くんの影も形もない。


 僕は慌てて三階のエスカレーターに乗る。それと同時にはぁ、はぁと肩で息をしてしまう。

「あ……亜玖亜くんは、どこに、行った、の……?」

 三階に到着して辺りを見渡すが、それらしき姿はない。

 流石に疲れ果ててとぼとぼとしか歩く体力がない。少し立ち止まりながら、僕は一度呼吸を整えようとした。

 昨日、亜玖亜くんが泣いていた光景が再び蘇る。多分、相当ショックを受けていたのだろう。それから一晩しか経っていないのだ、まだ立ち直っているかどうか分からない。

 僕も女装しているとはいえ男だ。亜玖亜くんも女の子なのだ。同じ冬の姫と若という関係、いや、同じ寮で暮らす大事な友達として、心の支えにはなってあげたい。

 だから、絶対見つけ出したい。

 僕はゆっくり深呼吸をして、歯を食いしばった。

「よし、行くかッ!」

 頬を二回叩き、まっすぐ前を見た。

 目の前にはアニメグッズを売っている店がある。僕の地元のジオンでも見かけたことのあるお店だ。


 亜玖亜くんはこういうの興味あるのだろうか――?


 と、思った矢先、ふと見覚えのある人影がそのお店から出てきた。

「あれは……」

 長い金髪の少女。それに合わせたような黄色いワンピース。

 間違いない、春の姫、桜花さんだ。

 ただし、何故かサングラスを掛けているけど――。

「桜花さん!」

「ひゃっ!」

 桜花さんらしくない、素っ頓狂な声を挙げて驚いた。流石に背後から声を掛けるのは間違っていたか。

「あっ……、すみません」

「な、なんですの……。その声は、雪さん? なんでこんなところに?」

「あ、なんというか、まぁ買い物で……。桜花さんこそどうしたんですか? 確か今は“春宴”の準備で忙しいんじゃ……」

 僕が尋ねると、桜花さんはどこか苦い顔を浮かべた。

「あ、ええと……。息抜き、と申しますか……」


 ――どうしたんだろう?


 と、僕は気になったが、もしかしたらあまりこういうお店に来ていることを知られたくはなかったのかな? となんとなく想像してしまった。

「もしかして桜花さん、意外とアニメとか好きなんですか?」

「え、ええ。まぁ……。好きな漫画の新刊が出ていましたもので……」

 桜花さんは咳払い混じりに答えてくれた。

「そうなんですね! 僕も漫画とか好きですよ!」

「そ、そうでしたの……」

「ちなみにどんな漫画がお好きなんです」

「ええっと……、挙げるとキリがないのですが」

「……って、聞いている場合じゃなかった。今は亜玖亜くん探さないと」

 僕が我に返った矢先――、


『本日もジオン四鈴店にお越しいただきありがとうございます。ご来店中のお客様に、お連れ様のお呼び出しを致します。私立四鈴学園からお越しの、氷渡 雪様。私立四鈴学園からお越しの、氷渡 雪様。お連れ様が一階サービスカウンターでお待ちです。繰り返しお連れ様の――』


 ――オイ。


 陽夏か一葉さんのどちらが呼び出したのか分からないけど、これじゃあまるで僕のほうが迷子みたいじゃないか。正直名指しされると本気で恥ずかしい。ただでさえ僕は今慣れない女装で買い物に来ているんだからちょっとは配慮してよ……。

 僕が赤面していると、桜花さんがため息を吐いた。

「早く行った方がよろしいのでは……?」

「そ、そうですね……。声掛けてしまってすみません、それじゃあ!」

「あ、ちょっと待ってください」

 行こうとする僕を桜花さんは呼び止めた。

「はい?」

「あの……、今日ここにわたくしが来ていたことは内緒、ですわよ」

「あ、勿論。約束します」

「絶対、絶対ですわよっ!」

「はい、それじゃあ!」

 僕は意気揚々とその場を走り去った。


 ――意外な一面もあるんだな。


 ちょっと可愛いと思ってしまった。まぁ、桜花さんも僕と同じで男、なんだけどね。

 内緒、と言われた。“春宴”の準備の合間にここに来ていることがバレたらマズいのか、それともアニメや漫画が好きということを知られたくないのか……。どちらにしても黙っておこう。僕はそう心に誓った。



「ふぅ、危ないところでしたわ」

 雪さんが走り去っていくのを見据え、わたくしはようやく安堵のため息を吐けました。

 本来、“春宴”の準備で忙しいはずのわたくしがこんなところに来ている――。勿論ちょっとした息抜きをする程度のものなので、これは些細な問題でしかありません。

「これを買いに来たことをバレなくて良かったですわ……」

 お店で買った一冊の本――。

 このようなお店に来たことを見られた程度なら、わたくしはそこまで動揺しなかったでしょう。アニメや漫画ぐらい、今時どうってことはありません。

 しかし、これを見られてしまったら……。

 わたくしは袋の中を覗き込み、本を確認しました。


『簡単に作れる! 初心者向けコスプレ衣装 型紙集』


 ――これを見られたら、どうなっていたことか。

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