第7話 買い物に行こう

「……きろ」

 ――キロ?

 何かの単位が僕の耳に入ってきた。メートルなのかリットルなのかグラムなのか。

 なんてボケてみたり。

「……起きろ」

 ――あ、やっぱりそれか。

 朝だから誰かが起こしに来てくれたのだろう。うん、定番の台詞だ。欲を言えば、もっと可愛い女の子の幼馴染に優しく起こされたいところではあるけど。

 ――って、そんなこと言ってる場合じゃない。

 僕は重い瞼をゆっくり開き、

「……おはよう」

「やっと起きたか、もう八時だぞ」

 口調からして、やはり声の主は陽夏だった。僕の掛け布団を剝ぎ取って呆れたように僕のことを見下ろしている。

「……まだ八時じゃないか。始業式は明日だろ? 今日はゆっくり寝させてよ」

「全く、昨日はお前の歓迎会だってのに早く寝やがって。それで今日はこんだけ寝てるとか、健康優良児にも程があるだろ」

「いいじゃん……。とにかくもっと寝させて、お休み」

 僕は再び瞼を閉じようとした。

「だあああああめええええええだあああああああッ!」

 寝落ちしようとする僕を阻止するかのように、陽夏は掛け布団を再び勢いよく剥いだ。

「なんだよッ! 僕は眠いんだよ!」

「知るかッ! 今日は買い物に行くぞ!」

「買い物ぉ? 必要なものは充分揃えたはずだけど」

 入学式前に僕は必要な物品はあらかた買いそろえた自信はある。ここまで強情に僕を起こして、陽夏は一体何を買わせようとしているのだろうか。

 こいつのことだ。ただ単に荷物持ちに駆り出そうとしているだけの可能性も高い。そうはいくもんか。

 ついでに言うと、陽夏の恰好はオレンジのパーカーに緑色のスカート。まさか普段も女装しているとは、と言いたい気持ちはあったが今はそんな場合じゃない。

「陽夏は~ん。冬雪はんは起きましたえ?」

「いや、コイツなかなか起きようとしないんだよ」

 一葉さんの声も聞こえてきた。もしかして一緒に買い物行くのだろうか。

「そうなん? 困りましたな~、明日入学式なんに」

 やはり一葉さんもやってきた。ブラウンのブラウスとスカートという姿は、微塵も男とであるという感じを忘れさせてしまう。

「だから起きろッ! お前にとって必要なもん買いにいくんだよ!」


 ――必要なもの?


「って、何買いにいくのさ?」

 僕は掛け布団の中に潜り込んだまま尋ねた。

「お前、まだないんだろ?」

「だから何がさ?」


「……下着だよ、女物の」


 ……。


 ――は?


 僕はようやく、布団から跳ねるように身体を起こした。

「いや、え、女物?」

「女装して姫として通うなら、下着もつけまへんとな~」

「持ってないんだろ、女物」

 当然、持ってはいない。

 というよりも、そこは男として超えてはならない一線ではないのだろうか。そこに辿り着いてしまったら、変態というか、男としての何かが瓦解してしまいそうな気がしてならない。

 ちなみに昨日メイド服を着たときも、下着は当然男物のままだった。別に露出するわけでもないし、別段問題はないと思った。

「あー、下着は別にいいかな……」

「良くはありまへんえ。乙女としてのたしなみどす」

「万が一、風とかでスカート捲れたらどうするんだよ」

 そんなことになったら……、と冷静に考えてみた。

 うん、女性ものの下着を履いていることが発覚したほうがどう考えても変態だ。というよりも、そんなに下着を露出させるような場面はそうそうないだろう、と信じたい。

「そういう君たちこそ、女性ものの下着をつけてるの?」

 僕がそう尋ねると、二人は少し引いたような顔になって、

「お前それセクハラだぞ」

「そんなこと聞くなんて、紳士でも淑女でもあきまへんわ~」

 なぜか僕が悪いような雰囲気になってしまった。正直腑に落ちない。

「とにかく、僕はいいから。そこまでするつもりは……」

「ふぅん、そんなこと言っていいのか?」

 陽夏はニヤリ、と不敵な笑みを浮かべた。

「な、なんだよ」

「言っておくけど、“冬宴”の時は心も完全に女性として舞台に立たなきゃいけない。だから、基本的には着用している物を全て女性ものにしなきゃいけないわけだ。つまり、どういうことか分かるよな?」

 ――そうなの?

 僕は一瞬困惑した。

 やると言った以上、ここで姫としての責務を投げるわけにはいかない。“冬宴”に出るのは当分先にはなるのだろうが、着用している衣類を全て女性ものにしなければならないのであれば、当然下着も、ということになる。

 いずれ履かなければならないのであれば、今慣れておく必要も――。


「……分かったよ」


 僕はたどたどしく答えた。

 ここは覚悟を決めて、男らしくいこう。履くのは女物の下着だけど。

「決まりだな」

「それじゃあ、ウチの私服貸すから、着替えてな~」


 ……私服?


 一葉さんに言われると、一着の服を手渡された。

 淡いブルーと白の、ワンピース。襟の部分がレースになっていて、お洒落ではある。勿論、下半身はスカート。

「……着替える必要、ある?」

「何言ってんだ、女物の下着買いに行くんだぞ。迂闊に男がいたら他のお客さんが白い目で見るだろうしな」

 はぁ、と僕は再びため息を吐いた。

 もうメイド服まで着たのだし、明日からはセーラー服で通う必要があるわけだし。女ものの私服ぐらい着るのは大して問題ではない。

 けど、人前に出るのは流石に……。

「これも慣れどすえ。ウチもついていくから、心配しなさんな」

「分からないことあったら聞いてくれていいぜ」


 ――もう、諦めよう。


 僕は意を決して、女物の下着を買いに出かけることに決めた。



 一葉さんから借りたワンピースを着てみたが、やはりスースーと足下が気になってしまいどこか落ち着かない感じだ。これを着て出かけるだなんて、と冷や汗が止まらない。

 僕がそっと寮室から出ると、着替えるのを待っていましたと言わんばかりに陽夏と一葉さんが立ち尽くしていた。

「お、なかなか似合うじゃん」

「サイズあって良かったわ~」

 二人ともニヤニヤと笑みを浮かべている。こちらが恥ずかしがっているのを楽しんでいるな、きっと。

「これは他の皆にも見せたいな」

「ウチも同感なんやけどな~、桜花はんと大地はんは“春宴”の準備で忙しいし、ウィンディアはんは進級テストの結果が悪くて補習授業やろ?」

「忙しいんだね、みんな」

 桜花さんと大地さんはともかく、ウィンディアさんってあまり成績が良くないんだな。

「火糸の奴はどうせ見る気がしないって不貞腐れていそうだしな」

 あー、確かにそんなこと言いそうな気がする。

 別に誰かに見せたいわけではないし、僕はそそくさとその場から出発しようとした。


「……どこ行くの?」

 部屋の外から、亜玖亜くんの声が聞こえてきた。

 紺色の部屋着姿で、相変わらず感情のなさそうな顔つきだ。

「ちょっと、買い物に……」

「コイツの下着を一緒に買いに行こうと思ってな」

「ハッキリ言うなッ!」

 デリカシーというものがないのだろうか、陽夏は悪びれる様子もなくバラした。

「ふぅん……」

 そして、亜玖亜くんはと言えば、案の定淡白な反応だけだった。

「なんかごめんね。そういうわけだから……」

「……ボクもついていっていい?」


 ……。


 ……えっ?


 突然の申し出に僕は戸惑った。

 これが普通の買い物ならば快くイエスと言えるのだが、何せ買うのは女性用の下着だ。男である僕が一応女性である亜玖亜くんの前で買うのには抵抗がある。


 それに、だ。もう一つの理由。


 昨日、亜玖亜くんをベッドに運んだ後に、僕は寮母さんと話をした。そして、その内容を亜玖亜くんに聞かれてしまったのだ。


 ――姉、氷渡涼は、亡くなったと。


 詳しくは知らないが、亜玖亜くんは姉さんのことを誰よりも慕っていたらしい。そのせいか、亜玖亜くんはずっと泣きじゃくっていた。僕は慰めることもできずに、そのままそっとしておくしかなかった。

 気持ちが完全に晴れたのかは分からないけど、多少は落ち着きはしたのかもしれない。ただ、僕はどうしても亜玖亜くんの顔をまじまじと見ることはできなかった。

 僕は再び、困惑の表情を浮かべた。

「ええよ。大勢の方が楽しいもんな」

「はい? いいの?」

 一葉さんはあっさりと快諾。

「まぁ、全然問題ないからな。水波は元々女なんだし」

「そうだけどさ……」

「確かに一見すると男っぽいけどさ、別に女子のグループに一人男がいても問題ないだろ」

「そうだね……、ていうかそれなら僕も女装する意味ないよね⁉」

 今更の話ではあるが。

 僕はため息を吐いて、しっかり亜玖亜くんの顔を見据えた。

「僕も構わないよ。その、亜玖亜くんが、楽しめるなら……」


 ――そうだ。


 ちょっとでも亜玖亜くんの気分転換になるなら、ここは僕も快諾しておこう。

「……ありがとう」

 心なしか亜玖亜くんはちょっとだけ照れくさそうに、小声で返事をした。

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