第6話 姉さんの噂

 大方料理も食べつくした頃、寮母さんが立ち上がった。

「じゃあそろそろデザートのケーキ取ってくるけん、楽しみにしときぃ」

 なんかこの人が言うと、心なしか『刑期』に聞こえなくもないが、流石に失礼だから口に出すのはやめておこう。

 ケーキは好きだし、楽しみだ。

「クックック、ようやくとっておきを出す時がキタヨウデスネ!」

 寮母さんが奥に向かったのを見計らったかのように、ウィンディアさんが突然笑い出した。

「とっておき?」

「ジャーン、これデス!」

 机の下からウィンディアさんが取り出したのは、一本の瓶。中には赤紫色の液体が入っている。

「って、ちょっと待ってください。まさかそれって……」

「地元で今年採れた葡萄をふんだんに使った飲み物デス!」

 僕は頭の中で『ワ』で始まる飲み物を想像してしまった。

「冗談じゃありませんわッ! わたくしたち未成年なのにそんなものッ!」

 どうやら桜花さんも同じものを想像したらしい。

「え? 私の故郷ではもう飲める年齢デスヨ!」

 にこやかにウィンディアさんが言うと、はぁ、と大地くんがため息を吐いた。

「お前の故郷、前にフランスだとか言ってたよな」

「あ、フランスの方だったんですか」

 そういえばウィンディアさんの出身国を聞いてなかったなと今になって思い出した。

「ひとつ言っておく。フランスでも十三歳は飲酒禁止だッ!」

「ソウでしたっけ? いやぁ、失念してマシタ」

「ていうかあなた前にイギリス出身とおっしゃってませんでしたっけ?」

「ウチはスイスって聞いとったけどなぁ」

 あぁ、もうメチャクチャだよ。このウィンディアって人、一体なんなんだ。

 ともかく、お酒なんて飲むわけにはいかない。入学前から問題沙汰なんて勘弁してほしい。

 「いや、これぶどうジュースだぞ」

 陽夏が間に入ってくる。


 ――って、え?


 陽夏がほれ、と紙コップに件の飲み物を入れて僕に渡した。確かに、お酒のような香りはしない。一口飲んでみるが、甘ったるい味とほどよい酸味が口に広がる。ただ、やはりお酒特有の刺激もない。

「本当に、ジュース?」

「ネ、ホラ、大丈夫デショ⁉」

 ウィンディアさんはふふん、と鼻を鳴らして得意げになる。

「……本当だ、これ美味しい」

 亜玖亜くんもジュースを飲む。なんだろう、ようやくホッとした気分になる。ウィンディアさんも驚かせないで欲しい。

 深いため息をついて、僕はもう一度ジュースを飲み干した。

「さてと、そろそろお前のことも聞こうか」

 陽夏がコーラの入ったコップを置き、僕の方を見つめた。

「僕のこと、ねぇ……」

 一体何を話せばよいのやら、と僕は思惑を巡らせた。

「……僕も、雪くんのこと知りたい」

 心なしか亜玖亜くんは目を光らせて僕の方を見ている。

「まぁ、いいけど……大して話すことはないよ。せいぜい、姉さんがこの学校の出身者だってことぐらいしか――」

「姉さん⁉」

 今度は大地君が驚いた様子で僕に顔を向けてきた。

「そっ、コイツの姉さん、あの氷渡ひわたりりょうさんなんだぜ」

 陽夏があっけらかんと僕の情報を垂れ流した。

 ――あれ?

 この場にいる全員が、どこか目を輝かせながら僕の方へ一斉に視線を送っている。姉さんの名前を出した途端に、だ。

「もしかして、皆姉さんのことを知ってる、の?」

「いや、知っているも何も、伝説の冬の若、氷渡涼さんだぞ⁉」

 ――は? 伝説?

 ちょっと何を言っているのか僕には理解が出来なかった。姉さんが昔この学校に通っていた頃に冬の若をしていたことは聞いていたが。

「へ、へぇ……。姉さんも冬の若だったんだ」

「あなた、本ッッッッっとおおおおおおおおおッに、何も知らずに入学したんですのね!」

 桜花さんが目を尖らせて怒ってきた。

「今からちょうど十年前、お前と同じように冬の姫と若をやっていた二人の生徒がいた。一人は勿論、お前の姉さんな。で、その二人は学園在学中に様々な伝説を残したとして知られているんだぜ」

「で、伝説……」

 陽夏が淡々と説明するが、僕にはピンとこない。

「なんでも全校生徒の半数は彼らにラブレターを渡したことがあるとか」

「冬宴で客席を全員泣かせるぐらい奇跡的な公演をやったとか」

「千人にも及ぶ他校の不良集団を二人で片づけたとか」

「村に現れた巨大な魔物を祓ったとか」


 ――うん。


 完全に話に尾ひれが付きすぎですね。流石に無理があることがたくさんありすぎる。

「姉さんが、ねぇ……」

 にわかには信じられないが、どうも嘘とは思えない。ちょっと複雑な気持ちだ。


「……雪くんが、涼さんの弟」

 亜玖亜くんがポツリと呟く。小さい声だが、聞き取れた。

「そうらしいね……」

「雪くんッ!」

 初めて亜玖亜くんが大声で叫んだ。これまで小声で寡黙なイメージだったから、流石に驚かざるをえない。

「え、亜玖亜、くん……?」

「あ、あの……。涼さん……お姉さんのこと、もっと、教えて……」

 心なしか亜玖亜くんの距離がどんどん近付いてくる。

 いや、心なしではない。確実に、ソファの横からちょっとずつ僕の方に近づいている。

「ぼ、僕も詳しくは……。物心ついた頃からほとんど一緒には暮らしていなかったし」

「教えて……」

 亜玖亜くんの顔が赤い。その顔がどんどん近付いて、僕まで赤くなってしまう。

 こうしてみると、本当に亜玖亜くんはイケメンだと思う。どこか端正な顔立ちに、品格が漂う独特の美しさも備えている。


 ――ヤバい。


 その言葉しか出てこない。

 ダメだ、と僕は亜玖亜くんから目を逸らした。

「……ん?」

 テーブルの上に置いてある紙コップ、確かさっきまで亜玖亜くんが飲んでいたぶどうジュース、だよね?


「ちょっとウィンディアさん」

「ハイ、なんでショウ?」

「亜玖亜くんに飲ませたの、本当にぶどうジュースなんですよね」

「モチロンデス! 私の地元で取れた、ソレハソレハ希少なぶどうを使っタ……」

「ほんとうに、ですよね――」

「モ、モチロン、デス……」

 冷や汗を垂らしているあたり、どうも怪しい。

「まさかこれ、『ワ』で始まる飲み物じゃないですよね――」

「オウ、そんなモノ、私たち未成年デスヨ……。第一、さっき雪サンも飲んじゃじゃないデスカ」

 確かにそうだけど――。

 ウィンディアさんの目がせわしなく泳いでいる。ますます怪しい。


 じゃあ、この状況は――?

「うーーいーーーんーーーでぃーーーーあーーーーーッ! 貴様、またやったんかいッ!」

 ケーキを持ってきた寮母さんが突然野太い声で怒号を挙げた。

「え、私、何モ知りまセン……」

「とぼけんじゃねぇッ!」

「えっと、寮母、さん?」

 やっぱりウィンディアさんは何かやらかしたみたいだ。寮母さんの睨みにひたすら視線を逸らし続けている。

「水波はなぁ、ポリフェノールで酔っぱらう体質なんじゃい」


 ――はい?


 よく聞こえなかったけど、そんな人間いるの?

 確かにワインじゃなくてもぶどうジュースならポリフェノール含まれているみたいだけど。

「しかもよく見たらチョコレートも食わせてんじゃねぇかッ! なんちゅうチャンポンさせとんじゃッ!」

 あー、チョコレートもポリフェノール含まれていたっけ。これは果たしてチャンポンというのだろうか、という疑問は残るが指摘している場合じゃない。

「え、えっと……、わざとじゃありまセン」

「嘘つけッ! お主知っとったじゃろがいッ!」

 やはり確信犯か、と僕は呆れ果てた。この数分間でウィンディアさんという人の性格が掴めた気がする。

 さて――。

 亜玖亜くんは既に猫のように僕の膝の上で蹲っている。なんだろう、悪い気はしない。

 僕の膝枕なんて需要があるのかは分からないけど、多分疲れていたのだろう。すやすやと寝息を立て始めた。

「ど、どうしよう、これ……」



 結局、歓迎会は一時休止となった。僕は寮母さんと一緒に亜玖亜くんを担いで彼をベッドで寝かせることになった。勿論、事の発端となったウィンディアさんはロビーの隅っこで正座している。

 ベッドから布団を広げ、亜玖亜くんを寝かせてから再び布団を掛ける。相変わらず安らかそうな寝息を立てて、どこか緊張感が抜けた気がする。

「まさか亜玖亜くんがあんな風になるなんてなぁ……」

 メイド服のカチューシャを一旦外し、もう一度着けなおした。

 疲れがここにきて一気に押し寄せる。改めてこの寮に住む人たちの灰汁の強さを思い知った気がした。

「すまんのう、おぬしの歓迎会だっちゅうのにこがいな目にあわしてしもうて」

「いえ、楽しそうな寮で良かったですよ」

 お世辞ではなく本心から僕はそう言った。

 おふざけが過ぎている部分もあるかもしれないけど、決して悪い人たちではない。この寮に住んでいる姫と若のメンバーとは上手くやっていきたい。

「しかし、おぬしがあの氷渡涼の弟さんじゃったとはのぅ」

「え、姉さんのこと知っているんですか?」

「当時から寮母やっとったからの。あそこまでよう出来た生徒はなかなかおらんじゃったっとって」

 ――そうか。知っていたのか。

 姉さんのことを褒められて、僕は少し顔が綻んだ。

「なんか嬉しいです」

「いやいや、ワシもこうしてお主に会えて嬉しいで。なんか聞いたところによると、でっかい会社の社長さんになったんじゃろ?」

 ――そうだ。

 あまり詳しいことは分からないが、姉さんは家を出た後に会社を企業して、軌道に乗ったらしい。それがどんな会社なのかも僕は詳しく知らない。ただ、誇らしいとだけは思う。

 姉さんの顔は、ここ数年ほとんど見ていない――。

「……なぁ」寮母さんの声色が突然険しくなった。「あの噂、ホンマなんか?」

「あの噂?」

 僕はしどろもどろに聞いた。

「氷渡涼が、亡くなったってのは……」


 ゴクリ、と僕は唾を吞み込んだ――。


 僕は唇を少し動かして、軽い呼吸を何度も繰り返す。咳払いも払う気にもなれなかった。

「……本当、です」

 なんとか言えた。

「……ホンマじゃったんだな」

「あれだけ慕われていたのに、みんな知らなかったんですね」

「伏せられていたようじゃったからな。ワシも風の噂で耳にしただけじゃけん」

 そうか。道理で――。

「半年前、僕のところに突然訃報が届きました。それまで姉とはずっと離れて暮らしていましたから。病気がちだったのはその前から聞いていたんですけどね」

「半年前……。まさか、お主がこの学校に来た理由っちゅうのは――」

 僕はこくり、と頷いた。

「姉さんの遺言でした。僕に、この学校に転校してほしい、と。どういう理由かは分かりませんでしたけどね」

「やはり、そうじゃったか……」


 ――そうだ。


 ほとんど会ったことのない、姉の突然の訃報。そして、姉の会社の顧問弁護士から告げられた、僕への遺言。

 この半年の間に色々ありすぎて、困惑しながらも姉の意思に沿うことを僕は選んだ。長年暮らしていた故郷に別れを告げ、僕はこの四鈴町まで来た。

 ――まさかここで女子の制服を着て通うことになるとは夢にも思わなかったけど。


「色々あったんじゃな、お主も」

「別に……僕自身は姉に対して思い入れはありませんでしたから」

 本当だ。何年も会ったことのない姉に対して、特に感情は抱いていない。四鈴学園に来たのも、とりあえず遺言に従っておけ、という感じで流されただけである。

 寮母さんは僕の顔を、ただじっと見ているだけだった。

「さぁ、水波も寝かせたことじゃし、ワシらも戻るとするかの」

「そうですね……。亜玖亜くんも起きたらまた降りてくるかもしれませんし」

「……こやつは一度酔っぱらったらなかなか起きないけん、心配せんでええ」

 あはは、と僕は軽い苦笑いをこぼした。


 寮母さんはそのまま黙って一階へ降りて行った。僕も続いて降りようとしたが、ふと亜玖亜くんのことが気になって、振り返った。

 相変わらず亜玖亜くんは安らかに寝息を立てている。この調子だと寮母さんの言うとおり、多分しばらくは起きないだろう。

 ――それにしても。

 先ほどの亜玖亜くん、酔っぱらっていたとはいえ、やたら姉さんの話に食いついていた気がする。伝説の冬の若だから、だけだとはあまり思えない。


 ――もしかして、過去に会ったことがあるのかな?


 根拠のない推測をしながら、僕は部屋を出ようとした。


 そのとき――。

「……うっ」

 心なしか、ベッドのほうから嗚咽のような声が聞こえてきた。


 もう一度振り返り、僕は亜玖亜くんを確認する。


「……涼、さん」

 やっぱり、泣いている?

「あ、亜玖亜くん……」

「涼さん、なんで、なんで……」


 ――聞いていたのか、今の話。

 

 亜玖亜くんはそのまま、ずっと姉さんの名前を口にして泣いていた。

 僕は困惑したまま、その場に立ち竦むしかなかった。

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