第5話 歓迎会が始まる

 こよみ寮の部屋割は、一階が若、二階が姫に割り当てられている。

 僕の部屋は二階の一番端、二〇五号室だった。(余談だけど、一〇四号室と二〇四号室は縁起を担いでいる所為か存在しない)

 寮母さんに案内してもらい、僕はようやく重い荷物を床に下ろした。

「ふぅ……」

 この寮は寮母さんを含めて九人しか住んでいないため、完全に個室である。事前にそう聞いていたからてっきりもっと部屋が狭いものだと思っていたら、ワンルームマンションの一室ぐらいの広さで少し驚いている。室内も綺麗で、掃除する必要もなさそうだ。

「さて、荷物の整理をしなきゃな……」

 部屋の隅にはベッドがひとつ置いてあるが、布団はまだ敷いていない。

 宅配便で送った荷物もまだ届いてはおらず、今日はとにかく寝床だけでも確保しておかなければと思った。

「今日は雑魚寝みたいな感じになりそうだな。仕方がないか……」

 はぁ、とため息を吐いた、その時――。


「……きくん」

 ドアをノックする音と共に、淡々とした声が聞こえてきた。

 亜玖亜くんだ。何の用だろう……?

「どうしたの?」

 僕はドアを開け、亜玖亜くんを招き入れた。

「……やっぱり、なんでもない」

 どこか奥歯に物が挟まったようにたどたどしい亜玖亜くん。まだ話すのに緊張しているのかな、と思って、僕は優しく微笑んだ。

「あ、そうだ。そういえばさ、こないだのお金、まだ返していなかったね」

「えっ……?」

 ふと僕はこの間返しそびれたバス代のことを思い出した。財布を取り出して中身を確認すると、ちょうど二百七十円の小銭が入っている。

 ――よし、これで大丈夫だ。

「はい、これでちょうど」

「あ、ありがとう……」

 お金を手渡すと、亜玖亜くんはまだ困ったような反応をする。

 ――そうだ。彼は何しにきたんだろう?

「それで、亜玖亜くん……」

「あの、これ……」

 亜玖亜くんは僕に何かを手渡してきた。これは、紙袋? 中に何か布製のものが入っているようだ。

「歓迎会は、これに着替えてって……」


 ……。


 嫌な予感しかしない。

「それ、陽夏に言われた?」

「陽夏さんと、一葉さんと、ウィンディアさんに……」


 ――あの二人も共犯か。


 何が入っているかは今は見ないでおこう。見たら精神衛生的に良くない気がする。

 ただ、これを突っぱねるのもわざわざ持ってきてくれた亜玖亜くんにも悪いとは思った。ここは敢えて受け取って、後で文句でも言ってやろう。

「あ、ありがとうね……」

「……楽しみ」


 ――え?


 亜玖亜くん、今、何て言った?


「それじゃあ、また後で……」

 亜玖亜くんはペコリと頭を下げて僕の部屋から去っていった。

 しかしこれを受け取ったとはいえ、中に何が入っているのか確認するのが怖い。どうしたものか、僕は頭を掻きながら困惑した。

「参ったな……」

 しばらく考えていると、時計が五時五十分を差しているのが見えた。


 ――そうだ、歓迎会は六時からだったな。


 迷っている暇はなさそうだ。既に一階からは程よい料理の香りが漂ってきている。何をされるのかは分からないけど、料理は楽しみなのは本当だ。


 ――ええい、ままよ!


 こうなったら覚悟を決めて中身を見よう。意外とただのパジャマとかかも知れないし。うん、ここは腹を括って……。

 僕は思い切って紙袋を開けた。



「……って、嫌な予感はしていたけどね」

 袋の中に入っていたもの。

 ――黒いワンピース

 ――白いエプロン

 ――またもや白いカチューシャ


 そのセットはそれぞれにレース素材のフリルがあしらわれている。一見するとシンプルなデザインのセットだが、それでも自分にとってはハードルが高かった。



「よおおおおおぉぉぉぉぉかああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 一旦落ち着いて、貰ったセットを着替えた僕は抑えていた怒りを爆発させて一階に降りて行った。

「おうおう、意外とお早いお着がえで」

 陽夏も僕と同じ服に着替えている。正直、ちょっと可愛いと思ってしまった。

「お前、なんだよこの服装ッ!」

 これはどう見てもアレだ。

「メイド服だけど?」

 陽夏の奴は淡々と答えやがった。何を考えているんだ、コイツは……。

 この間着替えた制服のスカートも慣れなかったけど、これは更にヒラヒラの感触とカチューシャの締め付けが落ち着きを奪うような感覚だ。おかげで余計に苛立ちを増幅させていった。

「だああぁぁぁかあああぁっぁあらぁぁぁぁぁっぁあッ! なんで、なんでメイド服で……」

「これがここでの新人歓迎会のルールだからな。もう少しで料理もできるみたいだし、そこでみんながくるのを待ってな」

「……いや、待ってろ、じゃねぇよッ!」

 本当に訳のわからない寮だ。

 僕は一旦深呼吸をして怒りを収めた。折角僕の為に歓迎会を開いてくれたのに、こんな表情をしているのでは申し訳ない。

 そうこうしていると、二階から誰かが降りてくる音が聞こえてくる。


「……お待たせ」


 亜玖亜くんの姿が現れた。が、僕はその姿を見た瞬間、見とれてしまった。

 黒い燕尾服とスラックス。青紫色のネクタイに白い手袋。

 ――恰好良い。

 その言葉しか出てこなかった。が、それすらも口から出てこようとはしなかった。


「あ、亜玖亜くん……」

「ど、どうかな?」

「うん、恰好いいよ……」


 ようやく口に出せて、僕は軽い呼吸を何度も繰り返した。

 元々イケメンの亜玖亜くんだから似合うのは間違いないんだけど、ここまでしっくりと着こなしてしまうのは予想以上だった。執事喫茶にでもいようものならば女性客の人気を一堂に集めてしまいそうだ。

 ――ヤバい、またときめいた。

 乙女の気持ちがちょっとだけ理解できてしまう。これは本当にヤバい。

「おっ、照れてる照れてる」

「照れてないッ! 茶々入れるなッ!」

 陽夏を怒鳴りつけて、視線をまた亜玖亜くんのほうに戻した。

 そうこうしていると、奥からまた別の足音が聞こえてくる。

「やれやれ、やかましいと思ったら……」

「陽夏ッ! サボっていないでこっち手伝えよ」

 やってきたのは火糸くんと大地くん。二人もまた、お揃いの執事服を着ている。ひとつだけ違うのはネクタイの色が火糸くんはオレンジ、大地くんは茶色という点だ。どちらも二人の雰囲気と合っていてなかなかオシャレである。

「わ、わりぃ……」

 陽夏は頭を掻きながら平謝りをした。

「あ、それじゃあ僕も……」

「お前はいいよ。今回の主役だしな。料理が来るまでそこで待っていてくれ」

「えっ、でも……」

 こう言われるとどこか悪い気がしてしまうのは僕の性なのだろうか。

 少し戸惑っていると亜玖亜くんが、

「……大丈夫、僕も手伝うから」

「あ、うん……。それじゃあお言葉に甘えて」

 まだ少しだけ申し訳ない気持ちもあったが、ここは甘えておこうと思った。まぁ、実を言えばどんな料理が出てくるかを早く見たいという気持ちもあったのだけれど。


 そうしてしばらくリビングで待っていると、あれよあれよという間に料理が運ばれてくる。

 サラダから始まり、ちょっとしたおつまみチーズ、揚げ物がたくさん、鍋いっぱいのシチュー、ローストビーフ、等々。中には見ただけじゃ名前が分からない料理もある。 見た目も匂いも僕の胃袋を掴みにかかってくるようで、既に腹の虫が鳴りそうになってくる。

「もうちょい待っててぇな」

 料理を運んできた一葉さんが声を掛けてきてくれた。

 一葉さんの姿は他の人たちとは一風変わっていて、緑色の着物状の衣装にエプロンという形になっている。いわゆる和風メイドというものだろうか。大和撫子な雰囲気の一葉さんにお似合いである。(まぁ男なのだが)

「あ、うん。大丈夫、ありがとう」

「ウチも腕によりをかけたで、楽しみにしときーな」

 一葉さんの料理か、どんなものなのだろう。


 そうこうして待っていると、リビングに全員集まった。

「それじゃあ、冬の姫さんが決定したことを祝しまして……」

 皆が一斉にジュースの入ったグラスを掲げ、

「かんぱああああぁいッ!」


 僕はおもむろに近くにあった卵焼きから手を付けることにした。

 これが美味しいなんてものじゃない。ほんのりと鰹節の香りが効いて、甘すぎず優しい味わいに仕上がっている。卵焼きぐらいは実家で作ったことはあるけど、ここまで美味しくは作れない。

「お口に合いますかえ?」

「うん、とっても美味しいです! もしかしてこれは……」

「ウチが作りましたえ。お世辞でも嬉しいどす」

 一葉さんは優しくにっこりと微笑む。

「一葉さん、お世辞抜きにとっても美味しいです! 料理、お上手なんですね」

「まぁな」陽夏が会話に入ってきた。「一葉は京都の有名老舗料亭の跡取りなんだぜ」

 そうか、道理でこんなに料理が上手なのか。その横に盛られている湯葉の刺身もおそらく一葉さんが作ったものだろう。これもなかなか美味しい。

「一葉サンのお料理はやっぱり美味しいデス! 流石料亭の看板娘デスネ!」

「ありがとうな、ウィンディアはん」

 ウィンディアさんの褒め言葉ににっこりと微笑む一葉さん。『看板娘』って、一葉さん男性だよね? と言いたいところではあるけど、多分日本語に慣れていないのだろう。そういうことにしておこう。

「それにしても……」

 僕はふと乱堂さんのほうを見た。

「どうした?」

「いや、乱堂さんも会社の社長さんでしたよね? 料亭の跡取りもいれば社長さんもいるなんて……。こうして見ると凄い面々だなぁって思って」

「社長とはいっても、親父が会長をやっているグループの子会社だがな」

 それでも充分凄い。僕と同じ年齢で社長職をこなしているだけでも大したものだ。

「その乱堂グループも、我が染咲グループに比べれば足下にも及びませんがね」

 桜花さんが間に入って煽ってきた。当然ながら乱堂さんはムッと眉を顰める。

「ハッ、口だけは達者だな。貴様は何もしていない癖に」

「なッ! なんですのッ⁉ あなたこそお飾り社長の癖に……」

「なんだとッ! オイ、もういっぺん言ってみろッ!」

 あぁ、マズい。喧嘩が始まっちゃったよ……。

 僕はあわてふためながら必死で言葉を探そうとしたが出てこない。

「オイ、お前らッ!」

 後ろから野太い怒号が聞こえてきた。寮母さんだ。

 のしのしとゆっくり近付いてきた寮母さんは、まさかのメイド服姿だ。もちろん、それ以外の風貌はそのまま。ていうか、なんでこの人はメイド服をチョイスしているんだ?

「歓迎会の最中だっちゅうに何喧嘩しとんじゃボケェッ! 桜花、貴様いつも人様の神経を逆撫でするようなこと言いおってからに。乱堂も、そんな煽りに乗っかるなッ!」

「……すみません」

「……申し訳ない」

 寮母さんに怒られて、委縮する二人。流石にこの人にはかなわないようだ。

 それよりも、僕は寮母さんの恰好がどうしても気になってしまっているのだが。

「ったく、貴様らは“春宴しゅんえん”の準備もあるっちゅうに、いつまでも喧嘩しとらんと仲良うせんかい」

 ――しゅん、えん?

 聞きなれない言葉が出てきて、僕は思わず戸惑った。

「あの、“春宴”って?」

「なんじゃ、お主はそれも知らずに入学したんかい。まぁ、そんだけ急じゃったんだろうな」

 そうだ。僕はまだこの学校について知らないことだらけだ。

 名前からして何かのイベントなのだろうけど、一体何なのだろうか。

「春宴っちゅうのはな、毎年四月後半に開催される、まぁこの学校独自のお祭りみたいなもんじゃけん。そこでこの二人、春の姫と若がメインとなって、春の精霊様の前で催し物を披露するっちゅうわけじゃ」

 ――催し物。

 よく分からないけど、要するに発表会みたいなものだろうか。

「催し物って言っても、それは毎回様々だからな。劇をやるときもあれば音楽や歌を披露するときもある。中にはマジックショーなんてやる年もあったぐらいだぜ」

 陽夏が説明に加わってきた。なんだかちょっとした学園祭みたいだ。

「はぁ、そんなことやるんですね、この学校」

「他人事みたいに言ってんじゃねぇよ。お前も冬にはやるんだよ」


 ――えっ?


 そういえば、“春宴”ってことは春にやるわけで。

 まさかとは思うけど、これ春夏秋冬やるわけじゃ……。


「その次は夏休みに俺らが“夏宴かえん”、ウィンディアと一葉が秋に“秋宴しゅうえん”、そしてお前ら冬の姫と若が……」


 ――やっぱり。

「一番最後にやるのか……」

「そっ。年明けぐらいに“冬宴とうえん”があるわけ。つまり、お前らがトリってことだな。ま、その分準備する期間もあるわけだけど」

「……その時はよろしくね」


 僕は頭を抱え、ため息を吐きながらコップに注いだ烏龍茶を一気に飲み干した。

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