第4話 今日から暮らす場所
「これでよし、っと」
キャリーケースに荷物をまとめて、静かに閉めた。
生まれてこの方暮らしてきた自室とはこれでしばらくお別れになる。色々な物品は残ってはいるものの、これからの自分には必要のないものばかりだ。
そう、箪笥に入っている男物の衣類も……。
「はぁ……」
――これから僕は、女子生徒の制服を着て学校に通わなければならないのだ。
僕が通うことになる私立四鈴学園には、姫と若という制度がある。
男女がそれぞれ逆の性別として生活をして、地域の行事などに象徴として参加するというものらしい。
で、僕はこともあろうに冬の姫になってしまった。
その時はてっきり、学園に通う生徒は全員男女逆で生活をしなければならないものだと勘違いしていたのだが、基本的に服装は自由らしい。ただし、姫と若はそれぞれに合った服で生活をすることになる。
一度だけ女子の制服を着させてもらったのだが、ヒラヒラとした感触がどうも落ち着かなかった。僕はこれからあれで暮らさなければならないのかと思うと、少し憂鬱だ。
「まぁ、住むところが決まっただけでいいか」
僕は陽夏に教えてもらった寮の場所をメモした紙を眺めた後、懐にしまった。
「それじゃあ、行ってきます。姉さん……」
ふぅ、とため息を吐いてから、僕は慣れ親しんだ部屋を後にした。
教えてもらった寮は学園からさほど離れてはいない場所に建っているとのことで、僕はバス停から田舎道をずっと歩いていく。
「えっと、こよみ寮、こよみ寮、っと……」
姫と若に選ばれた生徒が入ることが出来る寮があると、陽夏に教えてもらった。住む場所の問題が解決したという点だけでも、姫に選ばれたのは幸いだったのかもしれない。
地図に描かれた場所へと歩いていくが、寮はおろか建物らしい建物は見当たらない。畑か電柱か、もしくは木々ぐらいしか見えない。
「もしかして、あれかな?」
ようやく塀に囲まれた一軒家が見えてくる。寮というよりはどこかのお洒落なペンションのような、白い外国風の建物だ。
陽夏曰く、着いたら寮母さんがいるから話しかけて欲しいとのことだけど……。
もう少し歩くと、門前で一人の女性が箒で掃除をしているのが見えてきた。もしかして、あの人が寮母さん、かな……?
「あの、すみません」
僕はその人に尋ねてみた。
「はい? ウチに何か御用ですえ?」
黒くて長い髪をたなびかせながら、彼女は優しそうに応対してくれた。僕よりも少し背が高いぐらいだけど、どこか落ち着きがあって大人びた印象がある。
「えっと、こよみ寮を探しているのですけど……もしかしてこちらで――」
「あぁ、こよみ寮でしたらこちらどす」
やっぱり、合っているみたいだ。僕はほっと胸を撫でおろした。
「あの、僕、今日からこちらで……」
「あぁ、もしかして、冬のお姫さんでいてはりますか? 陽夏はんと亜玖亜はんからお話は聞いておりますえ」
一気に僕は安心感が増した。この滑らかな声で京都弁を話す女性の雰囲気が、余計に僕の心を落ち着かせてくれる。
「はい、僕が冬の姫ですッ! 今日からこちらでお世話になりますッ! よろしくお願いしますッ!」
安心した途端、僕は思いっきり意気揚々と挨拶をしてしまった。
「あらあら、元気がええどすな。よろしゅうおたのもうします。生憎、陽夏はんも亜玖亜はんも、寮母はんの買い物に一緒に行ってるさかい、今留守にしてますけど……」
――ん?
「あれ、あなたが寮母じゃ……」
「あぁ、ウチは寮母じゃありまへん。天気が良かったので少し外の掃除をしていただけどす」
この人が寮母じゃなかったのか。
……ということは、この人は?
「おーい、帰ってきたぞ!」
「……ただいま」
遠くから聞き覚えのある声がふたつ耳に入ってきた。
「おかえりなさい、陽夏はんに亜玖亜はん」
間違いない、陽夏に亜玖亜くんだ。
「あれ、雪じゃん。もしかしてちょうど着いたところか?」
「あぁ、うん。今来たところなんだけど……」
陽夏の恰好は、赤いパーカーに緑のプリーツスカート。学校で見た女子制服に引き続き女装姿である。大して亜玖亜くんは青いジャケットにジーパン。短い髪も相まってほとんど男子にしか見えない。二人とも私服からこんな感じなのか。
と、そこにツッコむのは野暮なのでよしておこう。
「帰ってきたぞ……」
二人の背後から野太い声が聞こえてきた。
「あぁ、寮母はんもおかえりどす」
遅れてやってきたのは、スキンヘッドにサングラスを掛けた、大柄の人物。半袖の上半身から見える二の腕は、鍛え抜かれた筋肉で逞しく膨れ上がっている。
――いや、この人どう見ても。
「お主が、冬の姫か?」
「は、はい……」
僕は強面のその人物にたじろいでしまう。
「ワシがこのこよみ寮の寮母じゃけん、よろしゅう頼むッ!」
――寮母。
僕が想像していてものとは百八十度かけ離れた、その人物。
「寮母はんも昔は秋の若やっとったんやで」
――“若”、というよりは“若頭”
「王子とも呼ばれていたって噂もあるらしいぜ」
――“王子”、というよりは“オジキ”
じゃないのか、この人……。
と、僕はいくつかツッコみたい気分だったが、流石に失礼に当たると思って黙っておいた。
……そして。
「それじゃあ、君は?」
この大柄の人が寮母さんということは、僕がさっきまで寮母だと思っていたこの女性は一体誰なのだろう?
「あぁ、ウチ? ウチは
……。
あぁ、この人も“姫”なのか。
……。
あれ、ということは――?
「君も、男?」
「はい、そうどすが……」
やっぱり。
「大丈夫です、なんかもう慣れましたから」
「はい?」
つくづく僕は失礼な反応をしてしまったと思う。
この学園で男だ女だの性別に関する反応は、もうこれ以上やめておこう。僕はそう心に誓った。
「……ここで立ち話するのもアレだから、中に入ろ」
「あ、うん。そうだね……」
亜玖亜くんの言うとおりだと思い、僕たちは寮の中に入ることにした。
庭先には鉢植えに色んな花が並んでおり、非常に綺麗だ。言われないとあまり寮という感じはしない。
扉を開けると、これまた中は白い壁のゴシックな色合いが目に入る。外見もさることながら、本当にお洒落な建物だ。ここでクラシックの一曲でも流そうものなら余計に雰囲気が出るだろう。
「ただい……」
「だあああぁぁぁぁぁかあああぁぁぁぁらああぁぁぁぁぁぁぁぁッ! てめえええええええぇぇえッてやつはあぁぁぁぁぁッ!!」
雰囲気に似付かわしくない、強烈な怒鳴り声が耳に響いてきた。
間違いない、この声は火糸くんの声だ。この間も確かこんな感じで怒鳴り込んできたような記憶がある。
「なんだなんだ、アイツらまだやっているのか?」
「アイツ、ら?」
僕たちは声のするほうへ向かった。
ロビーで二人の人間が睨み合っている光景が見えた。一人はあの火糸くんだ。
「おだまりなさい、あなたのような野蛮人には分からないでしょうね」
もう一人は初めて見る顔だ。長い金髪に黄色のワンピース姿。どこか気品のありそうな高貴な少女。
……いや、これまでの経緯からいって、この子も男子なのだろう。
「おーい、お前ら。まーだ喧嘩してたのか?」
「まだ?」
「いやな、コイツら俺らが買い物行く前からずっとこんな調子なんだよな」
それを淡々と説明する陽夏の様子も違和感があったが、おそらく日常茶飯事のことなのかもしれない。男女逆ということを抜きにしても、この寮はなんだか変わり者が多い気がしてきた。
「……で、なんでそんな長いこと喧嘩しているの?」
「確か、目玉焼きはどっち派かって話だったっけな?」
あぁ、よくあるやつね。醤油かソースか、半熟か固ゆでか、みたいな。
「絶対、黄身を潰してからだろッ! 潰した黄身を白身に掛かるようにしてなぁ……」
「そんな野蛮な食べ方をなさるとは、流石おサルさんですわねッ! 白身から優雅にいただくのがマナーというものでしょう?」
……。
うん、予想以上にくだらなかった。
どうしよう、これ止めるべきなのだろうけど、どうやって止めればいいんだろう?
「てめえぇぇぇぇらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
突然背後から野太い怒号が聞こえてきた。
これは、あの寮母さんだ。見た目通り、怒鳴るとやっぱりヤクザばりに怖い。
「は、はい……」
「申し訳、ございません……」
先ほどまで睨み合っていた二人が一気に直立不動になって大人しくなる。流石にこの怒鳴り声には勝てないのだろう。
「新入りが入るっちゅうのに、何やっとんじゃァッ! 大人しゅうしとれって言わんかったんカイワレェッ!」
怒鳴り方もヤクザみたいだ。僕は色んな意味でここでの生活が不安になってきた。
「新、入り……?」
金髪の少女? が僕の方に視線を向けた。
「あ、あの……今日からお世話になります、氷渡雪、です……」
「あぁ、あなたが。よろしくお願いしますわ、“冬の姫”さん」
どうやらこの人にも僕が冬の姫だということはつたわっているようだ。
「え、えっと、あなたは……」
消去法で考えると、あと僕が会っていないのは……。
「わたくし、春の姫をさせていただいています、
やはり春の姫のようだ。
つまり、彼女も男、であるがとてもそうは見えない。が、これ以上驚く理由もない。
「あ、はい。よろしくお願いします」
「ふふふ、あなたもわたくしの美しさに驚愕なさっているのかしら? 緊張しなくてよろしいのですよ」
先ほどまでの喧嘩が嘘みたいに高貴な挨拶をする桜花さん。ナルシスト、といって良いのかわからないが、どういう人なのかはなんとなく理解できた。
「ほら、焔も挨拶せぇや」
「俺はこないだ学校で会ったから……」
「あ、うん。この間はどうも……」
相変わらずの仏頂面を保ったまま、たどたどしい挨拶をする火糸くん。彼、じゃなくて彼女とも上手くやっていけるのか不安になってきた。
「それであと雪が会っていないのは……」
姫は全員会ったから、あと僕が会っていないのは春と秋の若になる。
「……まったく、騒々しい」
部屋の片隅に置いてあるソファから、声が聞こえた。
そこから一人の好青年が立ち上がる。黒い髪に眼鏡の、凛々しい風貌のイケメンだ。
――まぁ、今までのパターンからして彼も女子なのだろう。
「紹介しますわ。こちらが春の若をされています……」
「
「は、はぁ……」
若干高圧的に挨拶をされたので僕は戸惑ってしまう。
「あぁ、大地は会社経営もしているからな。多忙だし、気を使ってくれな。特に……」
陽夏の視線が火糸くんに向かった。
「な、なんだよ……。悪かったって」
「フンッ、さっきは本当に五月蠅かったぞ。気をつけろ」
やはり先ほどの喧嘩騒ぎは大地くんの癇にも障ったようだ。睨みつけられて、火糸くんの顔が余計にしょぼくれてしまう。
「……そういえば、ウィンディアはんはいてはりまへんか?」
ウィンディア? もしかして秋の若かな? 名前からして外国の人みたいだけど、ここにいるメンバーにはそれらしき人物はいない。
「ハーイ。ボクのことを呼びマシタカ?」
二階から陽気な声が響いてきた。どこか怪しい感じの日本語である。
「あ、ウィンディアはん」
「おや皆サンお揃いデ。お買い物お疲れ様デシタ!」
「おう、ただいまッ!」
銀色の髪に外人らしい透き通った肌。そして青い瞳。ここにいる若の誰とも違った感じのイケメンである。
「そちらの方がモシカシテ?」
「あ、僕……冬の……」
「ソウデスカソウデスカッ! アナタが冬のプリンセスなのですネッ! ナイストゥーミーチューッ! ワタシ、秋のワカをやらせていただいていマス、ウィンディア・リストームと申しマスッ!」
ウィンディアさんは僕の手を握りながら、にっこりとした笑顔で語りかけてくる。本当に怪しさ全開だ、この人……。
とりあえず、これで姫と若全ての人に会えたわけだけど――。
「これで寮のメンバーは全員どすな。というわけで雪はん、改めてよろしゅう頼んます」
「今日はパーッとやろうなッ!」
――パーッと?
「てなわけで、新入り。今夜はお主の歓迎会をしちゃるけん、楽しみにしとれよ」
怖い。
言葉だけなら嬉しいところなのだろうけど、いかんせん寮母さんの厳つい声のせいで身体が強張ってしまう。
姫と若。僕が思っていた以上に、強烈な面々の集まりみたいだ。
――大丈夫かな、これ。
これから始まる生活に不安を覚えながら、僕は必至で心を落ち着かせようとした。
「ようこそ! こよみ寮ヘ!」
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