第2話 分からないことだらけの学校

「えっと、ここからどうすればいいんだろう?」

 僕は校門の前で立ち止まり、周囲を見渡した。

 今日はまだ入学式ではない。春休みの真っ最中で、人もまばらにしか見かけない。

 僕が今日ここに来た目的は、あくまで学校見学だ。この春から転入することに決まっているのだが、まだ寮の見学はおろかどんな学校なのかあまり把握はしていない。それだけ急遽決まった転校だったのだ。

 転入試験も別会場だったし、そもそもこの転校が決まったのは三カ月前、まだ年が明けたばかりの頃だ。その間は色々ありすぎて、てんやわんやな状況が続いていた。

「はぁ、それにしても……」

 流石中高一貫校なだけあって、広い。大きい。

 正門周辺の塀は煉瓦造りだが、少し周りを見渡すと大きなグラウンドに立派な鉄筋校舎が聳えてる。校舎はふたつあるが、どちらも褪せたような感じはなくてピカピカ輝いているように見える。

「この学校、凄いな……」

 山奥の学校だからといって侮っていたかもしれない。

 あの恰好いい制服も相まって非常に近代的な学校だと改めて認識した。

「あら、氷渡くん!」

 校門前で佇んでいた僕を呼ぶ声が聞こえた。

「あ、えぇっと……璃々先生?」

 やってきたのは一人の女性だった。

 ポニーテールの茶髪に赤縁の眼鏡、薄いグレーのスーツ姿の彼女は、僕がこの学校で唯一知っている人だ。

「お久しぶりね。遠いところお疲れ様」

「こちらこそ、わざわざ学校見学の機会をくださってありがとうございます」

「いいのよ、急な転校だったもんね」

 彼女、浅見あさみ璃々りり先生はこの学校の教師だ。昔、僕は彼女にお世話になったこともある。

 今回の転校の手続きも彼女の協力があって、なんとか今年中に転校することが出来た。彼女には本当に頭が下がるばかりだ。

「それにしても、雪くんももう中学二年生かぁ。月日が経つのは早いわねぇ」

「あはは……」

 そう言って璃々先生は微笑んだ。僕が最後に彼女に会ったのは小学校四年生ぐらいの頃か。あれからもう四年以上経つんだな。まぁ、身長はあまり伸びていないんだけどね。

 それから僕と先生は他愛もない話をしながら、学校の中を進んでいく。

 外見もさることながら、内部は更に綺麗だ。春休み中の閑散とした空気が、なんともいえない不思議な感覚を醸し出している。

「そういえば、璃々先生」

「何かしら?」

「あの、水波亜玖亜くんっていう生徒ご存知ですか? ほら、ヘッドフォンをぶら下げた……」

 僕は先ほどの少年のことを尋ねてみることにした。

「あら、水波くんのことを知っているの?」

「ええ、さっき偶然会って……」

 とりあえず亜玖亜くんにお金を立て替えてもらったことは伏せておこう。

「すっごく優等生でいい子よ。あなたと同じ中等部の二年生だから、会うこともあるかも知れないけど……」

 同じ学年だったのか。大人びた雰囲気があったからてっきり年上だと思ってた。

 なんて、考えながら歩いていると――、

「あ、うぃっす璃々ちゃん!」

 一人の生徒が璃々先生に話しかけてきた。

 水色のセーラー服に紺色のリボン。この学校の制服は女子のほうもかなりお洒落だ。そんな制服とは対照的に、彼女の髪は明るいオレンジ色のショートボブだ。

 ――あれ、似てる?

「あら、日向ひなたさん。今日は部活かしら?」

「そっす。ところでそっちにいるのは?」

「あぁ。この春から入る転校生なの。今日は学校見学と手続きに、ね」

 日向と呼ばれた生徒は、まじまじと僕の顔を覗き込む。

 日向、日向――。

 昔、僕の近所に住んでいた子と同じ名前だ。何度も遊んだことはあるし、何なら一緒に風呂に入ったこともある。

 けど、多分他人の空似だろう。うん。

 だって、あの子は――

「ふぅん……」

「えっと、よろしく……」

 僕がたどたどしく挨拶をすると、その日向と呼ばれた生徒はニッと笑い、

「先生、良かったら自分が学校案内してきましょうか?」

「あら、いいの? 私も、書類とかを準備したいと思っていたところだったし、お願いしようかしら?」

「おっけー! それじゃ決まり!」

「え、ちょっと……」

 あれよあれよという間に物事が決まってしまう。僕としてはありがたいところなのだが、日向と呼ばれた生徒の存在が気になりすぎて戸惑いを隠し切れない。良く言えば猪突猛進、悪く言えば傍若無人な性格なのだろうか、そういうところも“アイツ”にそっくりだ。

 僕が戸惑っている間に、璃々先生はいつの間にかこの場からいなくなっていた。

「そういえばさ、転校生。さっき、水波亜玖亜のこと話してなかったか?」

「えっ……?」

 さっきの話が聞こえていたのだろうか、日向と呼ばれた生徒が尋ねてきた。

「まぁ、ここに来るときに偶然会ったから……」

「そっかそっか。もう水波と知り合いになったとはな。これは好都合かもな」

 そういって、日向さんはニヤリと口に笑みをこぼす。

「んじゃ、行きますか!」

「行くって、どこに?」

 僕はため息を吐きながら返事をした。

「決まってるだろ、水波亜玖亜のところだよ」

「えっ……?」

 どうして彼のところに行くなんて……。

 と、聞きたい気持ちはあったが、僕はどういうわけか言葉が出てこなかった。

「いやぁ、ちょうど良かったなぁ! これは面白いことになりそうだ!」

 まるで話を聞いていない。あと、ちょうど良かったとか、好都合とか、面白いことになりそうだとか、さっきから何を言っているのかさっぱり分からない。

 現状黙っておいたほうがよさそうだ。うん、そうしよう。

 ――ん?

 なんか、後ろに……

「チッ……」

 今、誰か舌打ちしなかった?

 誰か、いる? と思ったが、周囲を見渡しても天真爛漫な笑顔を浮かべている日向さん以外には誰もいない。

 誰かに付け狙われてる?

 ――なわけないか。

 気のせい、だろう。間違いない、気のせいだ。

 と、思案を巡らせていると、

「おっと、すぐ近くにいたな」

 先ほどの場所からそんなに遠くない、中庭の真ん中に見覚えのある少年の姿があった。

 小さな池のほとりに、ボーっとした様子で佇んでいる。泳いでいる魚でも見つめているのだろうか。

「おーい、水波ッ!」

 特にためらう様子もなく、大声で呼びかけた。

「……ん?」

「探してただろ、連れてきたぞ!」

 ――探してた?

 どういう意味だろう? お金を立て替えてくれたのは感謝しているけど、まさかさっき会ったばかりで借金返せなんて言うわけじゃないだろう。それ以外に彼が僕を探す理由が見当たらない。

 先ほどから日向という生徒は何を言っているのか、さっぱりだ。今分かっていることは、この二人が知り合い同士だということだけだ。

「君は……?」

「あっ、先ほどはどうも……」

「そっか、君が……」

 亜玖亜くんは僕の顔をじっと眺める。

 どういうわけだか、僕は次第に顔が赤く染まり始めていた。気恥ずかしさもあるのだが、なんだろう、うまく言えないけど、彼からは良い匂いがする。

「どうだ? コイツならお願いできるだろ?」

「あ、うん……」

 亜玖亜くんも少し戸惑ったような声を出している。最も、あまり感情が出しているわけではないのであくまでもそんな気がするだけだが。

「名前……」

「えっ?」

「君の、名前は?」

 そういえばさっきは亜玖亜くんの名前を聞くだけで終わってしまったな。

「えっと、氷渡雪って言います……」

「雪、くん……」

 そういうと、彼はおもむろに僕の手を両手で握った。

 暖かい。そして、柔らかい――。

 僕の心臓の鼓動が更に早くなっていく。なんだろう、これじゃまるで僕が男の人にときめいているみたいじゃないか――。

「ボクの――」

 亜玖亜くんは一旦呼吸を整えて、もう一度言葉を発した。

「ボクの姫に、なってください――」


 ――はい?

 またもや意味の分からない状況になった。

「そういうことだ、よろしくな!」

「いや、よろしくって、話が全く見えないんだけど……」

 日向さんは僕の肩に手を置いて、グッと親指を立てる。

 なんなんだよ、本当に――。


 と、その時――

「おい、てめぇッ!」

 力強い声が、僕の耳元を掠めた。

 中庭の端から、赤い髪の少年が颯爽と現れ、僕らのいるほうを目掛けて走りこんできた。

 次から次へと、今日は一体何なんだ……。

「あれ、火糸ひいとじゃん。お前も学校に来てたのか?」

 淡々と日向さんは話しかける。どうやら知り合いらしい。

「てめぇ、さっきからコイツと馴れ馴れしくしやがって、どういう関係だッ⁉」

「いや、別に馴れ馴れしくって……」

 コイツっていうのはおそらく日向さんのことだろう。

 見た感じ、僕と同い年ぐらいだろう。気崩した学ランから赤いシャツが見えている。

 なんとなく分かったことは、先ほど聞こえた舌打ちはおそらくこの不良っぽい少年だろう。

「問答無用だッ! 陽夏ようかにおかしな真似してみろッ! タダじゃおかねぇからなッ!」

 ――陽夏? 今、陽夏って言った?

 ということは、やっぱりこの日向って子は――。

「日向陽夏……?」

「気安く呼び捨てで呼ぶんじゃねぇッ!」

「って、ちょっと待ってって! いったん落ち着いて話そう!」

「……ほむらくん、落ち着いて」

「水波もコイツのこと庇うんじゃねぇッ!」

 ダメだ、完全に頭に血が昇っているみたいだ。彼の辞書には冷静さという言葉はないらしい。

「いや、あっ……」

 焔と呼ばれた生徒にきをとられて、背後に池があることを忘れていた。

 僕はこの不良少年が迫ってきた勢いに釣られてバランスを崩し、更には咄嗟に亜玖亜くんと焔くんの袖を引っ張ってしまったため――

「うあぁぁぁぁぁッ!」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

「あっ……」

 背後にあった池に足を滑らせて落ちてしまった。

「いたた……冷たっ」

 池は思ったより深くなかった。僕はゆっくり立ち上がり、水気を払いながら池から出る。

 あぁ、もう。上着もズボンも水浸しになってしまった。仕方がないので、僕は上着を脱いだ。

「ち、チクショウ……」

「……冷たい」

 一緒に落ちた二人も池から出て、学ランを脱ぎだした。

「……ん?」

 学ランの下から、Tシャツが現れるが、なんか違和感が……。

 二人とも、男子、だよな?

 学ランの厚みで気付かなかったけどけど、胸のあたりが……。

「Tシャツも濡れちまったじゃねぇか……」

 更に二人はシャツまで脱ぎ始めた。

「てか、こっち見るなッ!」

 日向くんが叫ぶのも間に合わず、僕は二人の驚愕な事実を目にしてしまった。


 ――シャツの下から、ベージュの肌着が見える。

 なんか肩幅が少し丸っこいような気がしたけど、今ならよく分かる。

 二人とも胸がやや膨らんでいる。二人が身に着けているベージュの肌着、僕は知っている。いわゆる“胸潰し”というやつだ。

 そっかそっか。そういうことか。

 ようやく、違和感のひとつが理解できた。

 すぅっと僕は息を吸いこんで、


「お、女の子おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ⁉」


 思いっきり叫び、中庭に声が響き渡った。

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