第八話 粟田口刑場跡→京都××××-10


 蜘蛛丸と夜叉丸が駆ける速度は、やはり異常。

 夜の京の町人たちが「本能寺で反乱が発生」という異常事態に気づいて戸締まりをして引きこもっていたこともあったが、ほとんど目撃者に気づかれることもなく、驚くべき短時間で二体の式神は半兵衛と官兵衛を乗せて「戦国世界の」晴明神社に到着していた。


「はじめて上洛した時にも、この神社で護符に『気』を注入したものです……懐かしいですが、今は一刻を争います。戦国世界の前鬼さんは既に消え去り、天に還りましたが」


「今の京は、二つの世界が統合されつつある特殊な状態! つまり、学園世界では消滅していないから前鬼を召喚することも可能というわけだな半兵衛! さすがに判断が速いな!」


「官兵衛さんも式神を召喚してください。将門公の霊力でパワーをかさ上げされている今の晴明神社なら可能です!」


「あーははは! 芦屋道満を晴明神社で召喚するというのも乙なものだな! あっ、式神の真名を言っちゃ駄目だったな! 出でよ式神! 朧月夜!」


「くすんくすん。誰も聞いていないのでセーフでしたけれど、気をつけてくださいね。前鬼さん、どうかお願いします! 京の、そして世界の危機なのです。将門公を調伏してください!」


 半兵衛と官兵衛の召喚に応じて、まず平安王朝風の和服に身を包んだ朧月夜が。そして戦国世界から永遠に消えたはずの平安貴公子――前鬼が、その姿を実体化させていた。


「ぜぜぜ前鬼さん! こここちらの世界では、おおおお久しぶりです! うっ……な、な、泣いている場合じゃ……くすん、くすん」


「ふふ。戦国時代で主と再会するとは、意外な思いであるな。積もる話もあるが、ただちに将門公を調伏せねばなるまい。朧月夜」


「半兵衛ちゃんの危機なんだから、当然あんたに協力するわよ! でも、ほんとうにだいじょうぶなの前鬼?」


「ほう、なにがだ?」


「将門公の結界を解除すれば、『歴史』通りに相良良晴に世界線を確定させる『旅』をさせることになるのでしょう? ほんとうに成功するのかしら? 既に、『旅』の途中で学園世界というイレギュラーな世界を派生させてしまっているし! 織田信奈の命をあいつに託してだいじょうぶなの?」


「愚問だな。わが主が、生涯お仕えし支える主君として選ばれた御仁だ。俺は、相良良晴を信じておる。日頃は頼りないがな、あれで存外いざとなればやる男だ」


「仕方ないわね……それじゃ、はじめなさい。将門公の霊にあんたの『気』を繋げておいたわ。なにかあれば、あなたの責任よお?」


「うむ。承知した、朧月夜。京の神田明神に眠る将門公よ、お聞きあれ。今宵現れた滝夜叉姫は、将門公の実娘にあらず。将門公の霊力を借用するために別人がなりすましたものでありまする。その証拠は、この蜘蛛丸と夜叉丸――」


「滝夜叉姫がほんものならば、将門公が娘に継承させた式神が他の陰陽師に奪われて操られるはずがないわ! そうよ。たとえ、その陰陽師が陰陽道の極限に到達した伝説の天才陰陽師、安倍晴明であったとしても!」


 好敵手のお主にそうも褒められるとくすぐったくなる、と前鬼は狐のような笑みを浮かべていた。照れているのですね、と半兵衛は泣きながら笑った。

 手応えがあったぞ、将門公の霊圧が落ちた! と蜘蛛丸の背中に乗っていた官兵衛がはしゃぐ。


「京も関東も、武家の棟梁たる織田信奈が平氏の名の下に安らかに統治いたす。武家より権力を奪回せんと目論む朝廷の貴族どもの陰謀は、彼女の天下布武へと向かう意志の力によって完璧に粉砕されまする。今宵の本能寺の変さえ乗り越えれば、もはや関東と京、武士と貴族の対立もことごとく消滅いたします。どうか安心してお眠りあれ、将門公――」


 前鬼が紡ぐ言霊が、平将門の霊を鎮めていた。蜘蛛丸と夜叉丸が半兵衛官兵衛の式神となっているという事実に加えて、目覚めて以来京の結界内の時空すべてを支配していた平将門は、斎藤利三自身が自らの正体を明かした時の言葉もうっすらと聞いたのである。

 なによりも、自分を説得して調伏しようとしているこの平安貴族然とした男の正体を、真名を、平将門ははっきりと知った――死してなお、自ら式神となって戦乱の日ノ本に平和な人間の世を実現しようと文字通り身を粉にして完全に消滅するまで奉仕し続けてきた男の行動を、その記憶を、夢の残滓を、彼に相対した今、すべて知った。

 この男を祟ることなど、日ノ本人の誰ができようか――たとえ、平将門であろうとも。


『――我を、起こすべからず』


 その一言を最後に残して、平将門の霊は再び永い眠りについた。

 この瞬間に、京を覆っていた結界は解除されたのである。


「ふむ、さすがは将門公。速やかにわれらの願いをお聞きいただけた――やれやれ。われらにできる仕事はここまでだ、わが主。この世界での再会はこれが最後となるな――学園世界で、また会おう。さらばだ」


「前鬼さん……ほんとうは、もっと……もっとお話したかったです。くすん、くすん」


「相変わらず泣き虫だな、主は。よいのだ、これで。行くぞ朧月夜。戦国世界のお主と鉢合わせしたら、歴史が狂って困ることになるだろう? 急ぐぞ」


「そうだわ。こっちの私って今頃なにをしていたのかしら? 半兵衛ちゃんがたいへんな目に遭っているというのに! ああもう、二つの世界の記憶が入り混じって思いだせない! ねえ前鬼? あんたって戦国世界の前鬼なの、学園世界の前鬼なの? それとも両者が混じっているの?」


「さて。戦国世界の俺の魂は完全に消滅した。だが、今の俺は戦国世界の前鬼だ。学園世界の前鬼の身体を借りて奇跡的に顕現できたのか、それとも……」


「前鬼さん! これでお別れです! ですが、また――また、お会いしましょう! これからも、よろしくお願いします!」


「うむ。奇縁によって生まれた儚き学園世界を守り抜くのだぞ、わが主」


「はいっ、頑張ります!」


 前鬼と朧月夜が、幻のように消えた後。


「元気を出せ半兵衛、泣くな! きみはほんとうにすぐに泣くな、あーははは!」と敢えて陽気に笑いながら官兵衛がスマホを取り出して、時刻を確認していた。


「むふー! やったぞ半兵衛! 時間が進みはじめている! 将門公の結界が解除されたんだー! だ、だが……おかしいぞ? 晴明神社はまだ戦国時代の荒れ果てた姿のままだ。現代の綺麗に整備された晴明神社じゃないぞ!?」


「結界は消滅しましたが、私たちはまだ戦国世界に留まったままのようです! ふふふ二つの世界を繋げているいいいい井戸の扉が閉じるまで、ほほほほとんど時間がありません! スマホのタイマーが勝手に作動しています! 恐らくこれが残り時間でしょう、あと三分弱です!」


「どうしてだーっ? 将門公を調伏したのに元の世界に帰れないだなんてっ?」


「斎藤利三さんによれば、結界を維持していた霊力は将門公のものでしたが、今宵この時、『本能寺の変』発生の最中の京に私たちを呼び込んだ霊力は男明智光秀公の妄執なのです! きっと、まだ十兵衛さんに憑いているんです! 調伏しなければ!」


「普通、将門公が調伏されたら明智光秀公も眠るだろうに! あーもう、どこまで取り憑かれ体質なんだー! もう将門公の野良霊力は拾えないぞー! 蜘蛛丸と夜叉丸が残った霊力を使い果たして消える前に、急いで福生寺に戻る!」


 そういうことに、なった。

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