第八話 粟田口刑場跡→京都××××-7

「斎藤利三! 俺がこの世界を『見て』観測する以外に、京を覆っている結界を解除する方法はないのか? 結界解除の方法を教えてくれるなら、取り引きをしよう! そちらの要求を可能なだけ呑む!」


「ちょっと良晴? 勝手に譲歩しちゃ駄目よー! わたしがまだ生きてるということは、本能寺のわたしも生きてるはずじゃんっ? ちょっと息苦しくなってきたけどぉ! けほ、けほ、けほ」


「でも信奈。このまま百鬼夜行軍を福生寺に釘付けにしていたら、お前は本能寺で死んでしまう! 京に誰も入れないんだぞ? この世界側の俺がお前を救う『旅』に出ることも不可能になる! 結界の解除と大奥設立を条件に、この世界の俺を世界線移動の『旅』に出発させるんだ! それで、学園世界も戦国世界も併存できるはずだ!」


「やーだー! 大奥なんかを認めるくらいなら、わたしはこのまま本能寺でおっ死んでやる~!」


「我が儘を言うな~! お前が死んだら意味がないじゃないか! 俺も切腹して死ぬぞ!」


「あ。ちょっと。なに言いだすのよ良晴? 駄目よ駄目駄目! 後追い切腹は駄目~! わたしの仇を討ち果たすまで戦いなさいよー!」


 そのご提案を私が受けられれば明智光秀さまの大勝利が確定しますが、残念ながらそれはできません、と斎藤利三が口惜しげに呟いていた。


「な、なんだって? どうしてだ!?」


「この結界は、確かにはじめは私自身が構築したものでしたが、今の結界を維持しているものは平将門公の霊力なのです。既に、私の手に負えるものではなくなっているのです。将門公の霊が調伏されて眠らない限り、結界術は解けません」


「じゃあ、このまま結界の範囲がじわじわと地球全土に広がり続けていく未来しかないのかっ? 俺が明日信奈を救う『旅』に出ることは、不可能!?」


「そうですね。結界が広がる速度と、各武将と京との距離を鑑みると、間に合いません。結界の拡張速度は結界内の面積が増えるとともに加速していくので、京しか封じていない現状では亀のように遅いのです。必要なプラトン立体とメンバーが南蛮寺に集まるまで待ち続ければ、織田信奈の生存率は絶望的となるでしょう。また、二条御新造に籠もっている今川義元たちの命も、恐らくは――」


「そうか、義元ちゃんまで!? 駄目だ駄目だ! だ、だが、学園世界の誰かがこの異変に気づいて福生寺の井戸から救援に来てくれる可能性も、まだ……! ずっと生配信を続けていたのだから、気づいた人はいるはず……!」


「生配信は清滝トンネルで私が乗っ取っておりますし、勘のいい視聴者が異変に気づいたとしても間に合いません。仮に間に合っても結界を突破できませんし、結界を突破しても福生寺の井戸から出てくることは不可能です。なぜならば学園世界の福生寺の井戸七基のうち、六基は再開発によって埋められ、残る一基は私自らが念入りに封印を施しておきましたので」


「でも、俺たちの目の前には、七つの井戸があるじゃないか?」


「皆さんはこの私が『承認』したので、こちら側の井戸を潜れたのです。私の承認なしに福生寺の井戸から出ようとしても、学園世界側の封印された井戸に突き当たって詰むのです」


 つまり誰かが奇跡的に六道珍皇寺の入り口の井戸から入れても、福生寺の出口の井戸は決して突破できません、井戸の内側からあの封印は決して破れませんと斎藤利三は豪語していた。


「それに、相良良晴。ほんとうにあなたは、世界線移動の『旅』に出ていいのですか?」


「どういうことだ?」


「使い魔を駆使した私の調査によれば、あなたは世界線移動の『旅』の中途で現代の横浜に閉じ込められ、移動できなくなった。そのあなたを再び『旅』に送るために、義姉の相良義陽があなたの身代わりとして現代の横浜に留まり、そのまま戦国時代に帰還できなくなってしまった――間違いありませんね?」


「……そんなことまで調べて……確かに、そうだ……」


「しかも、あなたが『旅』の終着点まで辿り着いて本能寺の織田信奈を救えたかどうか、誰も知らない。あなたは『旅』の途中で分霊として学園世界に呼ばれたからです。織田信奈の生死もわからず、相良義陽は現代に置き去りにされたまま。そもそも学園世界というイレギュラーな世界が生まれた最初のきっかけは、その相良義陽の願いでしたよね? いいのですか。戦国世界のあなたは、織田信奈も相良義陽も救えなかった可能性があるのですよ? すべての実を拾おうとして、新妻と姉、いずれも落とした可能性が?」


「……なにが言いたい?」


「私と協力して一刻も早く本能寺に閉じ込められた織田信奈を救出すれば、あなたが『旅』に出ることもなくなり、織田信奈も相良義陽もこの戦国時代に共存できるのです。すべての実を拾いきることができるのです、相良良晴。あなたが迷っていればそれだけ、織田信奈の死が近づくのです! 相良義陽の犠牲も無駄になってしまいます! 私が計画したこの策こそ、あなたの理想を実現する唯一の道! ただちに決断してくださいませ!」


 良晴は逡巡した。義陽姉さんのためにも信奈のためにも、利三の進言を呑んで今すぐに本能寺に向かい、信奈を救出するしかないのか。

 本能寺の信奈がまだ生きていることは、目の前でバットを振り回して戦っている信奈が健在なことから明らかだった。そして、現代の横浜に置き去りにしてしまった義陽がこの戦国時代から切り離されることもなくなる……息子を失ったまま良晴の帰還を待ち続けるだろう両親にとっては不幸だが、戦国時代の人々にとってはいいことずくめではないだろうか。


「そうそう。これはあくまでも計画の副産物ですが、学園世界で生きている斎藤道三や織田信秀たちも、戦国世界に世界が融合されれば生き返ります。というよりも歴史の辻褄が自動的に合わされて、死ななかったことになるのですよ」


「そうはならないだろう? 戦国世界では既に死んでいる人が召喚されても、運命は戦国世界のほうに準拠するはず……だって、本能寺の信奈が死ねば学園世界の信奈も死ぬんだろう?」


「ええ。同一人物が同一時間内に二人併存した場合はそうなりますが、『一人』しか存在しない場合は、存在している一人のほうの運命力が優先されるのです。故に死にません」


「……それはおかしい。そもそも世界に一人入れば、一人減るはずだ。藤吉郎のおっさんが召喚された俺の代わりに撃たれて死んだのも、姉さんが俺の代わりに現代に残ったのも、そのルールのためだった」


「ところが、二つの世界が『融合』される場合は、そのルールは適用されないのですよ。本来、二つの世界が並立すること自体がイレギュラーだからでしょうね」


「……戦国時代の戦いの中で、大勢の人たちが命を散らした。彼らが……戻ってくるのか」


 あやかしたちと戦いながらこれを聞いた上杉謙信は(宇佐美も直江も戻ってくる?)と激しく惑い、武田信玄は(勘助も太郎も戦国に戻ってくるのか!?)と胸を突かれた。小早川隆景は(兄者が……)と息を呑んだ。むろん、信奈も(父上が? 蝮が? ほんとうに?)と思わず握っていたバットを止めていた。

 だが。

 誰もが、すぐにこの計画の最大の問題点に気づいた。

 良晴が、その問題を言語化した。


「斎藤利三。学園世界で今生きている人たちの大部分はどうなる? 地球上に何十億人の人間がいると思う? 今夜の時点で戦国世界に存在しない人々は、全員消えてしまうんだろう? 俺の父さんや母さんを含めて、みんな」


「いいえ。宇宙に無数に存在する見えない夢の世界、『陰世』のひとつに戻るだけです、相良良晴。死ぬわけでも消えるわけでもなく、泡沫の夢に戻るだけ。そして四百年後の陽世にみな、ちゃんと人間として生まれてきますよ。本来の歴史通りに。問題はありません」


「……そう、か……死ぬ人間はいないということか。俺が父さんと母さんとの再会を諦めれば……信奈も小早川さんも、謙信ちゃんも信玄も、戦乱の中でかけがえのない人を悲しいかたちで失わなかった人生を手に入れられるのか……それこそ、夢のような話だな」


 良晴は、悩んだ。

 思い当たる範囲では、二つの世界が戦国世界に統合されることで家族を失う人間は、未来人の俺一人のはずだ。信奈たちは誰もが戦国の世界で誰かを失っている。そしてその失った人たちの多くは、学園世界に蘇っていた。その人たちが、戦国世界に戻ってくる……ならば、斎藤利三の策に乗るしかない。

 俺が、父さんと母さんを諦めれば――二人は四百年後の未来に生まれてくるのだから、俺さえ諦められれば――。


「駄目よ良晴! 良晴だけが失ってしまうだなんて、そんなのって――!」


「だが信奈。学園世界に、斎藤道三をはじめ戦国の世で非業の死を遂げていった人たちが蘇ったのは、みんながそれぞれ、その人にもう一度会いたいと願っていたからだろう? だったら――俺は、いくらでも耐えられる。だから――」

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