第八話 粟田口刑場跡→京都××××-5

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 良晴が目覚めると、ミニバンは既に大破して稼働不可能となっていた。

 天下布部京都チーム一行は、ミニバンから放りだされて、深夜の見知らぬ寺の境内に転がっていた。

 目の前に、実に七基もの井戸があった。良晴は(なんだこれ?)と思わず震えた。


「信奈。小早川さん。半兵衛。梵天丸たちも。みんな無事か?」


「あーっもう、ここが終点なのっ? いったいどこよー、ぜんぜん見覚えがない風景なんだけどー! 見渡す限り、真っ暗じゃーん!

 夜空の星はいっぱい輝いているけどぉ、照明もなにもないの~?」


「……空気が違う……妙に澄んでいる……排気ガスなどが一切ない、清浄な空気だ……」


「くすんくすん。この七つの井戸は、小野篁さまが冥界からの出口として用いていた嵯峨野の福生寺の井戸です! 六道珍皇寺の井戸が入り口で、福生寺の井戸が出口なんです。ですが、福生寺は明治時代に廃寺となったはずです。つまり、ここは」


「梵天丸にはわかる! われらは異世界に召喚されてしまったということだにゃ! さっそくモンスターを狩って経験値を稼ぐにょだ! フハハハハ!」


「ということはわれらは今、異世界の嵯峨野にいるということか。ならば見知らぬ異世界の名物菓子を探索しよう信玄」


「お前は食べることしか頭にないのか! あたしには、異世界という感じがしないのだがな。むしろ、勝手知ったるわが世界という感じがするが……どういうことだ?」


「おっ? だんだん、消えかけていた記憶をいろいろと思いだしてきたど! ここは、おいたちが戦国姫武将として生きていた戦国世界じゃ! んにゃ。つまり戦国時代の京!」


「良晴、見て! 向こうの方角! 赤々と炎が吹き上がっている! 北か南かわからないけど、火事だわ! かなりの大規模よ!」


 おいおいおいおい。待てよ。これってまさか……と良晴が思わず背後を振り返ると。

 そこに、使い魔と式神、そして黒田官兵衛を従えた滝夜叉姫が立っていた――。

 もはや、あの鬼女らしい白装束も鉄輪も捨て去っている。

 代わりに彼女は、戦国武将らしき甲冑を身に帯びていた。

 鬼女化粧を落としたその素顔に、誰もが見覚えがあった。


「あーっ、あんたは!? あんたがニセ滝夜叉姫だったのね? いったいなんのつもりよ、なにがどーなってるのかを説明しなさいよー!」


 と信奈が思わずバットを振りかざして突撃しようとしたが、夜叉丸と蜘蛛丸がすかさず主を守るべく立ちはだかって壁になる。



「実はあなた方は世界間を移動したのではありません。まだ京都の結界内だけですが、二つの世界がひとつに融合したのです。そう、学園世界は戦国世界に統合されたのですよ。ふふふ。誰も事態を飲み込めず京の結界に侵入できないうちに、京から全世界へと、一ヶ月ほどかけて徐々に統合が進んでいきます。最終的には、戦国世界だけが唯一の『陽世』として宇宙に残るわけです。世界線を移動できるプラトン立体を用いずにこれだけの秘技を成すには、織田信奈の器としての力、明智光秀公の本能寺への執念、さらには京都という魔都に眠る将門公の霊力がいずれも必要だったのです。『件』の予言はここに成就されました、私の勝ちです」


 滝夜叉姫に扮して平将門の霊をも謀り、時空をことごとくねじ曲げて二つの世界の統合という大魔術を決行した犯人の正体は――そう。


「この眼鏡を装着すれば、忘れている方も思いだしますよね? 私のほんとうの名は、もうおわかりでしょう。斎藤利三でございます! 戦国世界では、わが主君・明智光秀さまに忠実にお仕えする姫武将でした! 光秀さまと相良良晴の恋を成就させるべく奔走してきた者にございます! 学園世界では稲葉山学園にも入れず、神戸の光秀さまとは巡り会うことすらできませんでしたが――茶器騒動の際に私も戦国記憶を取り戻し、忘れる前にそのすべてをノートに克明に記録しておいたのです! わが使命をこんどこそ達成するために! そのために『件』を動かしてあなた方を京におびき寄せ、自らは滝夜叉姫になりきり将門公の霊力を解放したのです!」


 斎藤利三。

 学園世界の戦国時代を生きた斎藤利三(男)は、本能寺の変に敗れた後捕らえられて栗田口刑場で処刑されたが、戦国世界を生きた斎藤利三(女)は神戸から離れたとある進学校で淡々と勉学に励んでいた地味な少女であった――松永久秀による茶器事件の影響で、戦国世界の記憶を取り戻すまでは。


「斎藤利三~? そういえば出てこないわねとは思っていたけれど……せっかく並立していた世界を戦国世界に統合するって、どういうつもり? ここはどこで何年何月何日の京都なのよう?」


「ここは、本能寺の変が勃発している最中の京でございます、織田信奈さま。あの赤々と燃えている炎は、『戦国世界の』私を捕らえた藤林長門が率いる偽明智軍が本能寺を焼いている証しでございます――この嵯峨野からは少し離れておりますが、移動できる井戸の位置が固定されておりまして、致し方なく」


「えっ? あんたが捕らえられている? だってあんたは今ここにいるじゃん。どういうこと? っていうかあの夜の本能寺って……わたしと良晴がいるはずじゃんっ? なにがどうなってるのよ?」


「まだ両世界は完全に統合されていませんので、私も信奈さまも良晴さまも、ここにいる全員が戦国世界に『二人』存在しております。もともと戦国世界に生きている存在と、井戸を通じてここに召喚された存在とに分かれております」


「今は同じ世界に、わたしが二人いるってこと? おかしくない? 矛盾してない?」


「はい、矛盾しています。ですから、世界がその矛盾を修正致します。いずれ時間が経てば全員戦国世界の側に統合されますので、問題はありません」


「どちらかが消えるってことじゃんっ? 問題ありすぎでしょっ?」


「『統合』であって『消滅』ではないので、ご心配なく。それよりも目下の問題は――織田信奈さまは現在二人おられますが、両者は同一の存在ですから、片方が死ねば、もう片方も死んでしまいます」


「ちょ。わたしは今、本能寺で包囲されて火攻めに会っていて……本能寺のわたしが焼き殺されたら、このわたしも死ぬってこと~?

 あんたねえ、なんてことをするのよ~!」

 信奈も。小早川隆景も。半兵衛も。家久たちも。徐々に明晰に思いだしていた。戦国世界での、本能寺の変前後の記憶を。

 とりわけ「良晴の記憶」をも継承している信奈は今、すべてをはっきりと思いだしていた――。

 炎に包まれた本能寺の内部に今、自分が閉じ込められていること。

 主犯にされてしまった光秀が、安全な場所に匿われていること。

 良晴が刺客に刺されて失神し、治療を受けていること。

 本能寺が全焼した翌日、信奈が生きている世界線を確定するために良晴が長く危険な『旅』に出ること。

 だが、その先の戦国世界の記憶は、信奈にもそして良晴にもない。本能寺の変の結末がどうなったのか、信奈や光秀が生き延びられたのかは、誰も知らない。

 良晴の分霊は、その『旅』の途中で学園世界に呼ばれたのだから。

 世界線を移動中の良晴が、現代の横浜で良晴の身代わりとなった相良義陽と別離した後に、その分霊召喚は起きたのだ。


「信奈さま。現在、わが手許には滝夜叉姫が使役していた二体の式神がおり、さらには戦国世界の京に残存しているあやかしどももただいま続々と集結中です。竹中半兵衛どのが叡山で龍脈を絶ったおかげで八割方は現世から去ってしまいましたので、少数精鋭ではありますが――この百鬼夜行軍が集まり次第、本能寺へとただちに出立し、偽明智軍を蹴散らして信奈さまを明け方までにお救いいたします!」


「ええ、どうして? なんのためにっ? 記憶にはないけれど、良晴が必ずわたしを救いだしてくれるはずよ!?」


「いいえ、それでは駄目なのです! なぜなら、相良良晴が世界線を確定する『旅』に出てしまえば、たとえ相良良晴の試みが成功しても戦国世界で天下人の信奈さまと相良良晴が夫婦として結ばれることになり、軍団を奪われて謀叛人の容疑をかけられただけの光秀さまは負けヒロイン確定です! 失敗すればむろん、光秀さまは破滅いたします!」


「そうかもしれないけどぉ、別世界に生きているわたしたちには直接関係ないじゃん?」


「さりとて学園世界でも、腐れ縁の信奈さまや幼なじみの小早川隆景に対して大幅に出遅れた転校生の光秀さまには勝ち目はなく、いずれの世界でもわが永遠の悲願――明智光秀さまと相良良晴の恋は成就しないのです! 勝ち筋があるとしたら、戦国世界で本能寺の変が発生した今夜だけなのです!」


「……は? なにそれ? ここまで滅茶苦茶やっておいて、それが……それが目的? なんなの? スイーツ脳なの? カプ房なの?

 そんなことのために、二つの世界をひとつに統合しちゃうわけ? バッカじゃないの、あんたって?」


「ええ、ええ。どうとでも仰ってくださいませ! 私が光秀さまとともに信奈さまを救援すれば、相良良晴は世界線を確定する『旅』に出る機会を永久に逸し、光秀さまこそが本能寺の変から信奈さまを守った勲功一等武将に! その恩賞として、私は『大奥』の設立を要求いたします! 相良どのに複数の妻を娶らせる大奥制度を築きあげ、光秀さまの恋を成就させるのです! これは嫉妬深いあなたといえど、決して断れますまい!」


 信奈も良晴も、言葉を失っていた。

 斎藤利三がかつて並々ならぬ意欲で光秀と良晴をくっつけようと活発に運動していたことを、良晴の戦国記憶は雄弁に物語っている。

 しかしまさか、「大奥設立」などという目的のために、学園世界を戦国世界に融合してしまおうとは――!

 なんという執念深さ、なんという大奥へのこだわり……良晴は呆れていた。

 慎み深い小早川隆景に至っては、完全に理解の範疇外であった。

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