第八話 粟田口刑場跡→京都××××-3
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度重なる怪異との遭遇、そして滝夜叉姫から直視された「邪眼」の呪によって明智光秀は半ば意識を滝夜叉姫に奪われ、時間が静止した夜の京都を彷徨っていた。
闇の中である。通行人も走行車もない無人の京都市街地。光秀は自分が今、どこを歩いているのかもわからない。
(か、身体が勝手に動くですう……せめて心霊事故物件部屋に泊まっていなければ、ここまでは……うぐぐ……)
そんな光秀の前に、不意に巨大な蜘蛛丸が姿を現していた。
「ギャーーーーーーー! 十兵衛は蜘蛛が嫌いなのですうううう! でかい、でかすぎるううう! 糸を吐くなですううう!」
糸で縛られた光秀の身体は、蜘蛛丸の背中に引き上げられ、そして。
驚くべき速度で、西から東へと運び去られていた。
(うげげ。この東山行きルートには覚えがあるですぅ。三条大橋を渡って鴨川を越えやがったです……まさか? 信奈さまですらロケを回避した、栗田口刑場跡へ向かっているのでは? ほほほ本能寺の変を起こした直後に討たれた、せせせ戦国武将のああああ明智光秀の首が晒されたという……冗談じゃねえですう!)
光秀の不吉な予想は当たりでもあり、外れでもあった。
蜘蛛丸は栗田口に到着する寸前に右折し、東山区梅宮町方面へと立ち寄った――出来たての饅頭が備えられている、小さな首塚に。その社の名は、「梅宮社」という。
光秀の首塚は日本に複数あるが、粟田口刑場跡からほど近いこの梅宮の首塚こそが首が埋まっている可能性がもっとも高い。
「ぐげげ? こ、こ、こ、ここは……あああああ、明智光秀首塚……!? こんなところにあったですかっ? ひいいいい、お助けください信奈さまあああ!? 相良先輩っ? んがぐぐ。この蜘蛛野郎、桔梗紋の入った饅頭を食わせるな、ですうう! あ、あれ? 味噌が入っているです? 味噌は織田家武将の大好物。やっぱり光秀公にお供えするための饅頭なのでは?」
そう。その名も光秀饅頭。桔梗紋は言うまでもなく、本能寺に翻った軍旗にも示されていた、明智家の家紋。
「はぐはぐ。結構いけるですね、味噌味の饅頭は……しまった、呑み込んでしまったですう!」
やっちまったです、と光秀はおのれの迂闊さを悔いたが、既に精神の半ばを滝夜叉姫に乗っ取られている。抵抗しても食べるしかなかっただろう。
(今の餌付けは完全に、なにかの儀式の準備です……と、いうことは……)
光秀が呆然としている中、蜘蛛丸は光秀の首塚を、つまり石塔を叩き折ってしまった。
たちまち黒い霧のようなものが、破壊された石塔から立ち上ってくる。
「げーっ? この大蜘蛛、封印を解きやがったですぅ!? どうしてあっさりと解けたですかあ?」
光秀の体内に、なにかが侵入してくる。
(……これは……この世界の戦国武将・明智光秀公の魂の一部……「わが敵は本能寺にあり!」と人生に疲れた感じのおっさんが叫ぶ声が脳裏に……ま、まずいです。きっと十兵衛は名前繋がりで、戦国武将の光秀公の魂を封印から解き放ち、現世に呼び出すための器にされているです! まして、戦国世界では性別こそ違えど、この十兵衛自身が明智光秀でしたから! 十兵衛以上に光秀公の器としての適性がある人間は……いな……い……)
そこで光秀の意識は遠のいた。
目を覚ますと、そこは――漆黒の闇に覆われた荒れ地。
本能寺の変を起こすも羽柴秀吉に討たれて無念の死を遂げた明智光秀とその重臣・斎藤利三の死骸が晒された因縁の処刑場。
栗田口刑場跡であった。
あの、神をも畏れぬ織田信奈が忌避したほどの土地である。
光秀は、夢のように淡いものとなっていた戦国世界の記憶を、再び少しずつ思いだしていた。そう。光秀が伊賀忍びの藤林長門に拉致されて明智軍を乗っ取られ、織田信奈が明智軍ににって本能寺に襲われたあの日の記憶を。かろうじて生き延びた相良良晴が、信奈を救出するために世界線を巡る『旅』に出て行った翌日の記憶を。
この世界は、戦国世界から分岐したIFの世界であり、相良良晴の分魂が召喚されたことで奇跡的に現実の世界になった泡沫の夢のような世界だという実感を、光秀は再認識していた。
本来の戦国世界でオリジナルの相良良晴が信奈を救うことができたのか、本能寺の変で敵味方に引き裂かれた信奈と光秀はどうなったのか、それを知る者はこの学園世界にはいない。
だが、どうして今さら戦国世界の記憶が「現実感」を取り戻しているのか。もしかして、二つの世界の境界が曖昧に?
(う……う……もう身体が言うことを聞かねえです……松永先生の時に続いて、まーた十兵衛は……どうしてこうも暗示に弱いのでしょうか、われながら……明智光秀公の魂を自分に取り憑かせて、滝夜叉姫はなにをするつもり……そもそも将門公の娘の滝夜叉姫が現代に生きてるわけねえです、きっとあいつは信奈さまが言うように滝夜叉姫になりきったコスプレ女ですぅ。いったい何者ですか……?)
だが、光秀の意識はこんどこそここで途切れた。
蜘蛛丸が栗田口刑場跡の石碑をことごとく破壊し尽くしたこの時――この世界で本能寺の変を起こした惟任日向こと明智光秀の魂は、十兵衛光秀の身体の中に完全に入り込んでいたのである。
目覚めた。
『……わが世界は、学園世界にあらず! われは惟任日向守、明智光秀なるぞ! 新たな身体を得て現世に舞い戻りし今こそ、戦国の世に戻る時ぞ! こんどこそ……わが悲願を果たす時ぞ! あの夜の本能寺でお待ちあれ、信長公!』
四百年の眠りから、明智光秀公が、目覚めていた。
この世界で戦国時代を生きた光秀と、かつて戦国世界を生きていた十兵衛とが、今こそ完全に一体化した。
『もはや動機や原因など、どうでもよい……わが敵は、本能寺にあり!』
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