第八話 粟田口刑場跡→京都××××-2
「了解よ。行きなさい、カプセル怪獣良晴! 勝利へ向かってレッツゴー!」
やっと活躍できる場面が来たと勇んだ相良良晴が、「俺は逃げ足だけは自信があるんだ!」と勢いよく渡月橋を全力で駆け抜けていった。
だが―― 。
「あ、あれ? 渡りきったと思ったら、ミニバンの真後ろに戻っているっ? まさか、俺自身も呪を喰らって結界に封じられているのかっ?」
「なにやってんのよ良晴、駄目じゃーん! これ、どういうこと? 半兵衛、説明できる?」
「はい。この渡月橋そのものが最大の結界となっているのかと。くすん」
「わかったわ! だったら橋を使わなきゃいいんじゃん! 良晴、桂川を泳いで結界を突破するのよー! いってらっしゃーい!」
「待て、俺を蹴り飛ばすな信奈! 川に落ちる落ちる! すげえ増水してるじゃねーかよ、うわーっ!」
「くすんくすん。無駄です信奈さま。良晴さんが川を流されたら……」
「良晴は体力だけは超人的だから、へーきへーき! 木津川口の大海戦で船から落ちて沈没しても浮上してきた不死身の男だからっ!」
「うう。織田信奈。その記憶、少し私の頭にも残っているような……あの時は、私が良晴を海に突き落としたような……」
「えー、そうだったかしら? ああ、そうそう! 委員長、あんたってば木津川口で織田水軍に負けた時、良晴を裏切り者として海の藻屑にしようと押したんだっけ!? この裏切り者め、死ねー、って悪役台詞とともに! わたしは自分だけでなく良晴の戦国記憶も継いでるから、うっすらとだけと覚えてるのよ! やーい、この悪役令嬢!」
「い、いや、断じて違うぞ織田信奈。きみは台詞だけは反芻できても、その場の空気や行間を読めないから……そもそも台詞自体が改竄されているし……困ったな」
「くすんくすん。む、無駄だと思います信奈さま。恐らく桂川を泳いで渡っても同じことに」
「え? どうしてよ半兵衛?」
「……げほ、げほ、げほ。なんとか岸に泳ぎ着いた……って、あれっ? またミニバンの真後ろに戻されているっ? 俺は確かに泳いで川を渡りきったはず? どういうことなんだ半兵衛?」
「くすん。このように、桂川の水流そのものも結界化されてしまっているのです」
「よ、良晴? た、タオルで身体を拭かないと。いくら夏でも風邪をひいてしまう」
「ありがとう、小早川さん。でも参ったな、これじゃどうしようもないぞ……」
「ウッソでしょ~? もう、地下に穴を掘って川を越えるしか方法がないじゃーん!? 気合いを入れて二、三年も掘り進めば、きっと向こう岸にトンネルが開通するはず! 食糧はコンビニスーパーから現地調達よ! 時間が止まってるから食糧は腐らないはず! これより、明日へ向かってトンネル工事! 大脱出作戦発動よ!」
「無茶を言うなよ信奈。トンネルを開通させる前に、式神たちに襲撃されて十兵衛ちゃんを奪われるよ」
「はい。さすがに永遠に結界を張り続けることは不可能だと思いますので、いずれチャンスが来れば滝夜叉姫さんは即座に明智さまを奪いに来るでしょう。くすんくすん」
「それじゃあ、物理攻撃が可能なわたしが寝落ちしたら、その時点で式神がやってきてゲーム終了? 嫌よ、わたしだって眠りたいのにー! やーだー! お肌が荒れちゃう!」
渡月橋をミニバンで渡っても引き戻され、徒歩で橋を渡っても川を泳いでも元の地点に戻される。そして渡月橋から南下すれば、やはり引き戻される。
天下布部京都チーム、万事休す!
小早川隆景がこの時、竹中半兵衛と無言のうちにアイコンタクトをかわし、そして口を開いた。
「一応、私は厳島神社の巫女だ。本家・安芸の厳島神社では巫女のことを内侍と呼んでいたそうだが、神戸では普通に巫女と呼ぶ。海と川とでは祀る神が違うが、私ならば桂川の結界の力をわずかな時間でも鎮めることができるかもしれない……」
「はい。少なくとも巫女術と陰陽術とは別の体系ですから、私のように力を完全に封じられていることはないはずです。委員長」
「そういえば委員長って巫女属性なんだっけ? 幼なじみで巫女とか、これはもう恋愛バトルの負け属性てんこ盛りじゃ~ん? 巫女術ってなに、もしかしてなにかすごい和物パワーを使って戦うの~?」
「ち、違うぞ織田信奈。み、巫女は舞を舞うことしかできない。水の神を鎮めるための舞を。本来は姉者と二人揃って、五常楽と狛桙をそれぞれ舞うのだが――今は姉者がいないから、五常楽しか舞えないな」
「ふーん。五常楽ってなによ、なんなのよ?」
「後白河法皇が厳島神社で二人の巫女に舞わせた唐楽の舞だ。雅楽器はこの場にはないが、私のスマホに練習に使う音源ファイルが入っている。それを流しながら五常楽の『破』を舞ってみる――十分ほどかかる」
「決して茶々を入れてはいけませんよ、信奈さま。台無しになっちゃいますので、くすん」
「入れないわよー! 頼むわよ委員長! わたしは、十分以上じっとしてられないから!」
かくして、深夜。
月明かりのもとで優雅に舞う小早川隆景の愁いに満ちた横顔を見つめながら、神秘的だな、もしもこれが巫女さんの衣装だったら……と良晴はつい想像してしまい、隣に立っていた信奈にケツバットを喰らうのだった。
(うぐっ……こ、こ、声をあげちゃ駄目だ……台無しになってしまう……)
(今、委員長に巫女さんの衣装を着せてあんなことやこんなことをしたいって邪心を抱いたでしょ! 喝よ喝!)
まったく、織田信奈は十分もじっとしていられないのだなと小早川隆景は冷や汗を流しながら、かろうじて五常楽を舞い終えた。この瞬間にもしも式神が襲ってくれば危険だったが、落ち着きがない上に巫女の神聖さなどこれっぽっちも認めていない信奈が平常運転でバットを振り回していたので、式神も襲ってこなかったのだろう。
結果オーライだったとも言えるし、やはり織田信奈こそあやかしに対して最強とも言える。
「くすんくすん。桂川に細い通り道が開きました! 今なら泳いで渡れます!」
ともあれ、小早川隆景の舞は成功した、のだが――。
「急ごう織田信奈。わずかな時間で結界は再び閉じるだろう。一人が通るのが精一杯だ」
「それじゃ、もう一度良晴を川に突き落としてみましょう!」
「俺はもう無理だよ。身体がかちこちに冷えてしまっていて、こんどこそ河童の川流れになっちまう」
「はあ? 戦国世界で幾多の合戦を生き延びてきた勇者が、たかが一度川に落ちたくらいでギブアップするの? このヘタレ~! 浮気者~! ハーレム主義者~!」
「だってすぐに閉じるんだろう? 体力万全のメンバーじゃないと、泳ぎ切れねえぜ?」
「疲れていても、良晴より体力があるメンバーがいないでしょ、この場に! わたしはバット係だから動けないし、委員長も半兵衛も身体が弱いじゃーん! 十兵衛は頭痛でブッ倒れてるしい! 頑張りなさいよ~!」
「そ、それもそうか。それじゃ、俺が行くしかないか……三途の川になりそうだなあ」
「ひいいい? やばいですう、信奈さまああああ! ううううう宇喜多先生が、にににに逃げやがったですうう~!」
「えっ? どうして車外に出てくるのよ、十兵衛っ?」
そう。
小早川隆景の可憐な舞にみんなが見とれている隙を衝いて、運転席で狸寝入りをしていた宇喜多直家が「裏切るのは今だーっ!」と車から飛び出し、舞が終わると同時に桂川へと飛び込んでいたのである。
「ちょっと、なにやってんのよ宇喜多先生っ? 待ちなさいってばー! 運転免許を持ってる唯一のメンバーが脱走してどーするのよーっ!」
「わはははははは! オレさまは奸悪無限の宇喜多直家、裏切りだけが人生よ! 一瞬だけ結界が解かれたこの桂川を渡りきって、秀家のもとまで辿り着いてみせるぜーっ! そもそも俺は最初から運転手のバイト仕事を請けただけの部外者だぁ! 後は当事者のお前らだけでなんとかするんだな、あばよーっガキども!」
宇喜多先生ってあんなに水泳が得意だっけ? と良晴が呆然とするほどの凄まじい速度で、川の中を突き進む宇喜多直家の姿が小さくなっていき、やがて闇の中に消えた。
「ああああああ、定員オーバーになっちゃったーっ!? 教師失格だわ、あの男! どーするのよ、どーするのよ委員長? もう一度舞を舞って、良晴を桂川の向こう岸に……!」
「い、いや。続けて舞っても効果は得られない織田信奈。一定の時間を空けなければ。だが、その時間が止まっている。つまり万事休すだ。もうわれらは、桂川を越えられない」
「そんなああああああ? あとは、いつゾンビ化するかわからない十兵衛を車内に閉じ込めながら防衛に徹するしか道がないってこと~? そんなの絶対にジリ貧じゃん!」
「くすん。う、運転でしたら、委員長ができますので。時間が止まっていますから、無免許運転で補導される心配もありません」
「でもミニバン自体が呪にかかってて解除できないんでしょ? そうだわ、近くに巨大なイオンモールはない? イオンモールなら籠城戦に最適よ、ゾンビや式神の攻撃だってしのげるわ! 籠城中にストレスでブチ切れた人間同士でどーせ内紛劇になるんだけれどもね! そうよ、きっと良晴を巡る醜い女の争いがはじまってしまうんだわ……! だから今から決めておきましょう、良晴はわたしのだって。時間が止まってるなら良晴の脳が不安定になっても問題ないでしょ?」
「お、織田信奈。どさくさ紛れになにを言いだすのだ、きみは」
「信奈、お前はゾンビドラマの観すぎだから! 巨大な商業施設に籠城する手は確かに名案だが、嵯峨野から離れすぎるとまた引き戻されるんだろう? 辿り着けないよ」
「いや、良晴。今の舞が、ある程度はミニバンにも効いていると思う。つまり、これまでよりは長い移動距離を稼げるだろう。京都と大阪方面の間の結界となっている桂川を越えない範囲内ならば、だが」
「結局桂川から外には出られないということか、小早川さん……って、あれっ? 十兵衛ちゃんは? 十兵衛ちゃんの姿まで消えているぞっ? どこへ行ったんだ!?」
「くすんくすん。急いで車内に戻ってもらおうと振り向いた時には、もう消えていました。恐らく明智さまは官兵衛さん同様に、滝夜叉姫さんに操作されて自らの足でどこかへ」
「しまった。宇喜多先生に気を取られた一瞬の隙を衝かれたか」
「私が視線を逸らしたばかりに。すみませんすみません」
「ちょっと~っ!? 結界は閉まっちゃったし、『最後の駒』の十兵衛が消えちゃったし、もうわたしたちって明らかに詰んでるじゃんっ!? 十兵衛を奪われたら、いったいなにが起こるのっ? 十兵衛はどこへ? 見つけて連れ戻さなくちゃ!」
「うう、ぬかったな。すまない、織田信奈」
「やっぱり十兵衛は縛り付けて転がしておくべきだったのかしら。とにかく探すわよ! まだ遠くへは行ってないはずよ!」
「滝夜叉姫さんに操られている状態になると、ゾンビのように脳のリミッターが振り切れますから、縛っていてもきっと縄を千切って脱出していたでしょう。くすんくすん。と、とにかく、ミニバンに乗って探しましょう!」
「……十兵衛ちゃん……俺たちはこれから、いったいどうなってしまうんだ……今以上に最悪な事態なんて、ありえるんだろうか? 俺には想像もつかない」
「明智さまは、車内で『邪眼を見た』と怯えていました。きっとルーフの亀裂から顔を覗かせた滝夜叉姫と目が合ったあの時に、既に呪にかかっていたのでしょう。くすん」
天下布部京都チームは、急激なスピードで「詰み」へと向かっていた。
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