第八話 粟田口刑場跡→京都××××

 京都心霊ツアー三日目、深夜。

 右京区、嵯峨嵐山。


《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《呪呪呪呪呪呪呪》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《逃げても無駄ですよ、諦めなさい》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《あなた方は既に私に敗北したのです》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《魔界への扉は既に開きました、後は現世と繋げるだけなのです》

《まもなく、最後の駒をいただきます》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》

《呪呪呪呪呪呪呪呪》

《もう、無駄なことはおよしなさい》


「いやああああ! コメント欄を完全に乗っ取られてるうううう! 配信は? 動画配信はできているの? 半兵衛?」


「くすんくすん。今、自撮りを試みていますが、実際の配信映像は滝夜叉姫らしき黒い女の影に差し替えられています。動画も乗っ取られたようです。委員長の無免許運転動画がネットに流れていないことが唯一の救いですが」


「……頭が、頭が痛いですぅ……お、降りて休憩したいです、相良先輩」


「すまない明智光秀。今はとにかく京都から脱出して、神戸に援軍を要請するしかないだろう。京都にいる限り、竹中半兵衛の陰陽術の力も出しきれないし、SNSや電話だけでなくついに配信動画まで封じられてしまった。滝夜叉姫の力がどんどん増している。これ以上京都に留まれば……」


「最後の駒を奪われて完全にゲームオーバーね、委員長。やっぱり最後の駒って十兵衛なの?」


「そうだな、九割方は。竹中半兵衛という可能性もまだあるが、既に地の利を得ている滝夜叉姫が術対決では彼女を圧倒している。恐らくは――」


「宇喜多先生、やっと起きてくれたか。運転を頼む! 渡月橋を逆に渡って、とにかく嵯峨エリアから出る! 桂川を越えれば、あとは大阪方面まで突っ走るだけだ!」


「……お、おう……俺さまの黄金の腰が痛んで目ぇ覚ましちまったぜ……なんだ相良良晴。黒田官兵衛はいいのか?」


「先生。逃走しながら協議しましたが、現在の状態では救出は不可能、むしろ京都に留まっていれば全員返り討ちに遭うという結論に達しました。増援が必要です」


「そっか。小早川がそう言うんじゃ、仕方ねーな。ま、あの調子なら感染はさせられても命までは取られねーだろうしな。むしろ殺しちまったら、あのヘンな白装束女は都合が悪いようだ」


「そうですね。黒田官兵衛をはじめわれらを殺すことが目的ならば、式神をもっと大暴れさせて殺せたはずですし。どうやら生きたまま『最後の駒』を奪い取ることが彼女の目的のようです」


「ほんとに~? わたしのあやかし特攻のご加護で助かってるだけじゃないの、委員長?」


「おいおい。この期に及んで撤退拒否は勘弁してくれよ織田信奈。それじゃあ、俺は朝が来るまで一眠りするぜ――スヤァ……」


「って、起きたばかりでまた眠らないでよーこの適当教師~! 信じられな~い! 委員長ごめん、先生が起きるまで運転して!」


 天下布部京都チームが乗り込んだミニバンは、渡月橋を北から南へと突っ走った。


「これは戦略的撤退よ、決して逃走じゃないのよ播磨! 見てなさい、必ずや援軍を引き連れて滝夜叉姫を……! あ、駄目。やっぱりわたしだけでも京都に居残って戦わせてよー!」


「が、我慢しろ信奈。半兵衛が、戦力比で圧倒されている、外部からの増援なしには解決できないと結論を出したんだから」


「くすん。すみませんすみません官兵衛さん。ただちに大返しを敢行してお救いに戻りますから、後でいぢめないでください……」


 だが――。

 おかしい。

 橋を渡りきって桂川右岸に到達したはずなのに、車外の夜景を見ると同時に全員が奇妙な既視感に襲われていた。


「ぐげっ? ののの信奈さま。外、外! あだしの念仏寺ですう! ここは、さっき通ったはずではないですか?」


「嘘っ? わたしたち、嵯峨野に戻されている? 桂川を渡ったはずなのにっ? いったいどうなってるの半兵衛?」


「くすんくすん。滝夜叉姫が張っている結界の強度が増した結果、わたしたちは京都という都市の内部に完全に閉じ込められてしまったのかもしれません」


「そんな馬鹿なこと、あってはならないわよ! もう一度、渡月橋を突破するのよー!」


 しかし、二度、三度と渡月橋を強行突破したが、結果はやはり同じ。


「ギャー、脱出できねえですうううう! 援軍要請の道も絶たれたですうううう!」


「信奈。何度ミニバンで橋を渡っても、あだしの念仏寺まで戻されてしまっている! まずいぞ。完全に結界内に封じられているんだ!」


「嘘でしょー!? トンネルをやけにあっさり脱出できたと思ってたけど、そういうこと? 既に京都そのものを封じたから、トンネルから逃がしても問題なかったってこと?」


「くすんくすん。天下布部神戸チームとの連絡も途絶したままですし、これでは援軍要請は不可能です」


「これほどの怪異に遭遇していながら、配信すらできないなんて悪夢そのものじゃん! だって一円にもならないしい! 渡月橋は諦めて他のルートから脱出するわよ! とにかく、桂川さえ越えれば京都から離脱できるって!」


「……桂川沿いに南下して、他の橋を総当たりで試してみるか。申し訳ないが頼む、小早川さん」


「わかった良晴。他に車が走っていないし通行人もいないから、なんとか事故らずに運転できているが……不気味なものだな」


「潜水艦よ。義元に連絡して今川家謹製の潜水艦を調達すれば桂川を越えられるわ!」


「織田信奈、桂川を潜水艦が通れるのか?」


「その今川義元に連絡をつける手段が封じられているですぅ、信奈さま~。うぎぎぎ。頭痛が酷くなる一方ですぅ……」


「じゅ、十兵衛、あんた死人みたいな顔色になってるじゃん? いきなりゾンビ化して噛みついてこないでよねっ? 念のために十兵衛の手足を縛っておく? 良晴?」


「い、いや、それはさすがに……」


「んもう。情に流されてバッドエンドだけは駄目だって言ってるでしょ、わたしは! 今は、合理的に考えて動きなさいよー! 後で十兵衛にお詫びとしてたこ焼きでもイカ焼きでもモダン焼きでもおごってあげればいいじゃーん!」


「ま、待て織田信奈。かえって明智光秀を怯えさせて憑依体質を悪化させるから、そういう手荒な真似はいけない……」


 光秀の処遇を巡り、信奈と小早川隆景が激しい応酬を繰り広げている間に。

 相良良晴が「駄目だこれは。桂川沿いに南下していたつもりが、またしてもあだしの念仏寺付近まで戻さてれしまっている」と呟いていた。


「どうやら渡月橋以外の橋には到達できない。ある程度嵯峨野から離れると、強引に車体ごと引き戻されるらしい」


「うええええええっ? どういうことなの良晴~? そもそも、今は夜の何時なの?」


「の、信奈さま。老ノ坂を出発してから、かれこれもう五、六時間くらい経っているはずですぅ。そろそろ陽が昇ってもいいはずですのに、ずーっと深夜のままです。妙なのです」


「もしかすると? みんな、スマホや腕時計を確認してくれ。時刻表示はどうなっている?」


「はい、委員長。午前二時零分零秒で止まっていますね。くすん、くすん」


「やはり。私もだ」


「うわっ、ほんとだわ!? いったいどういうことなのよー!? せめて六時六分六秒に止めなさいよー、なんて中途半端な!」


「俺たちは時空ごと結界内に捕らえられているってことか、半兵衛? もしかして、滝夜叉姫に捕らえられるまで時間が進まず、永遠に京都市内を逃げ回り続けるしかないのか?」


「くすんくすん。もしかすると、このミニバンそのものに呪がかけられているのかもしれません。トンネル内で滝夜叉姫にさんざん掌で叩かれていますし、手形そのものが護符の機能を果たしているのかも」


「でも半兵衛。ミニバンを放棄したら、それこそ滝夜叉姫の思う壺じゃん? 電車もバスもタクシーも動いていないんだし、もう逃げようがなくなっちゃうわよ?」


「そうですね。この車はわたしたちを、そして最後の駒・明智さまを守ってくれる最後の砦です。下車は悪手です。いったん渡月橋の前で車を止めて、急いで手形を消してしまいましょう、良晴さん」


「わかった。小早川さん、橋が見えてきた。止めてくれ」


「承知した。だが……わ、私はもう限界だ。宇喜多先生を起こして運転を代わってもらわないと……」


「くすんくすん。いくら揺すっても起きません。朝日が昇れば目覚めるでしょうが、結界をどうにかしないと昇ることはないでしょうし」


「私がこれ以上運転すれば、事故を起こしそうだ。なんとかして先生を起こしてくれ、半兵衛」


「そ、それでは、宇喜多先生にメッセージを送ります! 電話をかけて着信音も鳴らします! これで、秀家ちゃんの『おはよーございまーす! 起きてください!』と愛らしい声が先生のスマホから鳴り響きました!」


「おおっ、愛しの秀家! って、なんだ、着信音かよーっ? まだミニバンの中にいたのかよお前ら。俺以外全員感染させられてとっくに下車していると思っていたぜ。なんだよ、大量のメッセージを送りつけやがって……うん? こいつは……」


「くすんくすん。よく読んでください宇喜多先生。今回の先生の怠慢ぶりについてとっぷりとお説教を書いておきました」


「……なんだよ、まったくもう。だーっ! お前らは京都に残って遊んでていいからよーっ、オレだけはさっさと返してくれよーっ! オレぁ愛宕神社にも呼ばれてねーし、無縁の第三者じゃねーか! おめーらジャリどもの心霊配信ごっこの巻き添えを喰らうなんて、冗談じゃねーぞ!」


「うう、宇喜多先生。確かにこの騒動は私たちの責任だ。京都限定土産のキティちゃん護符をお譲りするので、機嫌を直してほしい。秀家がきっと喜ぶと思う」


「ああん? 委員長ともあろう者が教師に袖の下を握らせるのかよ? まあいい、こいつは預かっておいてやらあ」


 仏頂面の宇喜多直家に「袖の下」の護符を渡した小早川隆景と竹中半兵衛は、なぜか言葉を発することなく、視線をかわしてなにかを伝えあっていた。信奈も良晴も、二人の挙動のわずかな不自然さに気づいていない。

 だが、桂川の手前で止まったミニバン内で、宇喜多直家は「ハア? 手形の掃除だって? オレは絶対にやらねーからな。祟られたくねーんだよ。少し寝るぜ」と運転席を占拠したまま再び眠りはじめてしまった。


「う、宇喜多先生。起きてください、揺すりますよ? くすんくすん」


「宇喜多先生? 頼むから起きてください、そうでなければ困る……うう、駄目だな」


 半兵衛と小早川隆景が揺すったりつねったり叩いたり手を握ったりスマホを鳴らしたりしたが、こんどこそ宇喜多直家はなにをされても目を閉じたまま「んがー」と吼えるばかり。


「んもう。宇喜多先生ってば徹頭徹尾、我関せずなんだから~! 前代未聞のピンチなんだから、大人の引率員として少しは活躍しなさいよね!」


「さすがに酷だよ信奈。秀家のこと以外には一切興味がないからな、先生は。それに、もういい歳なのにずっと俺たちの京都ロケに付き合わされてヘトヘトなんだ」


「しょうがないわねー。ちょこっと車外に出てちゃっちゃと手形を消すわよ半兵衛! 小早川も良晴も急いで! わたしはあやかし特攻バットを握って周囲を監視するからっ!」


「……十兵衛は後部座席で寝ているですう……うぐぐぐぐ、もはやロキソニンも効かねえですぅ」


「くすん。おだいじに、明智さま。四方八方蝦蟇の鳴き声だらけで、怖いです……今この瞬間も、滝夜叉姫にはわたしたちの言動も行動も筒抜けなのでしょうね……」


「竹中半兵衛。手形は消せても、滝夜叉姫が切り裂いたルーフの亀裂はどうしようもない。恐らく、この亀裂こそが最大の呪だ――」


 闇の中、車外に降り立った小早川隆景がぼそりと呟いた。既にミニバンのルーフに一本の大きな亀裂が入っている。修復のしようがなかった。


「やはり、結界を破って桂川を渡りきる方法を考えたほうがいいだろう。完全に結界を解くことは無理でも、短時間かつ一点に絞ればあるいは」


「ですが、わたしの陰陽術は封じられてしまっています。滝夜叉姫も陰陽少女ですので、官兵衛さんを奪われた時点でわたしは既に勝負の土俵にさえ立てません」


「しかもミニバンの呪も解けない。と、いうことは――」


「あーっ! わたしってばやっぱり、天才! 一休さんの逸話を思いだしちゃったー! ミニバンが駄目なら、橋を歩いて渡ればいいんじゃーん! ちょっと行ってくるわね!」


「お、お待ちください。信奈さまがいてくれないと、式神から身を守れません。くすんくすん」


「それじゃあ、俺がひとっ走りしてみるよ。橋を渡りきったらスマホのライトを照らすから、目視で確認してくれ!」


「了解よ。行きなさい、カプセル怪獣良晴! 勝利へ向かってレッツゴー!」


 やっと活躍できる場面が来たと勇んだ相良良晴が、「俺は逃げ足だけは自信があるんだ!」と勢いよく渡月橋を全力で駆け抜けていった。

 だが―― 。

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