★幕間3 嵯峨野・福生寺跡

★幕間3 嵯峨野・福生寺跡


 翌日、午後二時。

 上杉謙信と武田信玄は、洛西の嵯峨野・化野方面を訪れていた。

 今は、清涼寺を二人で仲良く(?)散歩している。


「謙信、あたしはあだし野念仏寺には絶対に行かないぞ? お前から見せられたガイドブックのあの恐怖写真はなんだ? みっしりと詰まった八千体の無縁仏とか、昼間でも怖すぎるだろう!?」


「信玄。化野は東の鳥辺野と並ぶ古代からの埋葬場なのだから、大量の石仏があって当然だ」


「どうしてお前はそーゆーところにばかり行くんだ?」


「そうか。信玄が意外と怖がりさんだということはわかった。だいじょうぶ、私の今日のお目当ては清涼寺の大文字屋だ。あのお店のあぶり餅は、炭火で炙られたきなこ餅と、その上にぶっかける白味噌の味のフュージョンが最高に美味なのだ。五人前は軽い」


「結局この旅はグルメツアーなのか!? はるばる山を越えて京都まで来た意味は!?」


「なにを言う。京都と言えば和菓子の聖地ではないか信玄。ほら、到着した」


「あぶり餅にも、幽霊飴みたいに怖い逸話があるんじゃないだろうな? って、あれ?」


「……これは困ったな信玄。清涼寺にあったはずの大文字屋が――ない――私の食欲を阻む恐ろしい怪異現象が、起きているようだ……」


「いや、単にお店が閉店しただけだろう?」


「……ぐすっ。悲しすぎて、力がでない……もう、歩けない……お腹すいた……」


「子供か、お前は! ぐずるな! しゃがみ込むな!」


「いったん嵯峨嵐山駅まで戻って、嵐山のレストランにでも入ろう……信玄、おんぶ」


「我が儘を言うなああっ! あたしは生まれてはじめて京都に来たお上りさんだぞ。嵐山だか嵯峨野だかに至っては完全に未知の世界だ! 遭難しても知らないぞ?」


「スマホがあれば迷子にはならないはず。おんぶ」


「……どうしてあたしが謙信の介護をしなくちゃいけないんだ、まったく。とりあえず寺から出るぞ。こっちか? こっちの道を進めばいいんだな?」


「丸太町通りまで出れば、駅はすぐそこ。嵐山には食べ物屋がたくさんある。頑張れ信玄」


「気楽なもんだな。おや? 間違ったかな? なんだか、往路とは風景が違う……」


「ふふ。案の定、道を間違えたみたいだな。信玄」


「お前! 今、あたしを田舎者を見るような目で見てるだろー!」


 信玄は清涼寺を出たあと、南へと歩いて嵯峨嵐山駅に戻っているつもりだったのだが、どうやら東へ東へと進んでいたらしい。

 行く手に、寺のような空間がぽっかりと開いていた。しかし、寺ではない。さりとて公園でもない。石碑や石灯籠などは立っているが、遊具もなければ本殿などもない。まるで打ち捨てられたかのような、奇妙な場所だった。


「往路ではこんなところを通った記憶がないぞ?」


「おやこれは奇遇だな。信玄、ここは福生寺跡だ」


「福生寺跡?」


「東山では、幽霊飴を食べるついでに六道珍皇寺を参拝しただろう? あそこは小野篁が冥界に入る入り口の井戸があったから、『六道の辻』と呼ばれていた。実はこの福生寺跡には、その小野篁が冥界から現世に戻ってくる出口の井戸があったという。冥界に入る東山が『死の六道』で、現世に戻るこちらが『生の六道』」


「そういえば、出口は西にあると言っていたな。そんな由緒ある寺が廃寺になったのか? また、誰も衝いていない鐘が勝手に鳴るような怪異が起きたりしないだろうな?」


「冥界の入り口を尋ねた後、偶然にも出口に出くわすとは。なにかの縁を感じる」


 謙信は「よいしょ」と信玄の背中から降りて、よちよちと福生寺跡を散策しはじめた。なにかを感じ取っているらしい。ただし、空腹で足取りがおぼつかない。


「こら謙信。カロリーメイトを一本分けてやるからとりあえず食べろ。そんなにふらついていたら危ないだろう」


「すまない信玄。実は私は今、炭水化物ダイエット中なのだ」


「お前、さっきまで餅を五人前食うつもりだっただろうがーっ! 幽霊飴もぼりぼり食べてたろうがー!」


「うん、だから旅行先での和菓子は別腹なんだ」


「なにが『うん、だから』だーっ!?」


「京都で信玄と一緒に和菓子をたっぷり食べるために、炭水化物ダイエットが必要なんだ」


 真顔でなにを言っているんだこいつは、と信玄は謙信の天然ぶりに少々呆れながらも照れくさくなった。開封してしまったカロリーメイトは、湿気る前に囓っておくことにした。


「しかし、どうして廃寺の寺跡が保存されてるんだ? 宅地にしてしまえばいいものを。業者が工事をはじめると必ず祟りがあるから捨て置かれているとか、そういう話はするなよ謙信?」


「洛中から化野へ運ばれてきたご遺体は、いったん福生寺に安置されて法要を済ませた後に化野に送っていたというが、その手の話は聞いたことがないな。小野篁が出口として用いていた井戸は七つあったそうだが、昭和の土地開発の際に埋められたはず……」


「待て、片隅にひとつだけ井戸があるぞ謙信。これか。これが冥界からの出口なのか?」


 信玄が発見した井戸はしかし、分厚い蓋をされ、さらには無数の護符を張り付けられて完全に密閉されていた。


「うげっ。なんだ、この乱暴で出鱈目な封印は? 鳥肌が立った……絶対に井戸の外には何者も出さないという、強固な意志を感じる。やはりここは心霊スポットなのか謙信?」


「さあ、聞いたことがない。『生の六道』と呼ばれるように冥界からの出口なのだから、むしろありがたいパワースポットのはずだが」


「東山の入り口の井戸から落ちても、この出口の井戸から這い上がってくることはできない。そういう思惑のもとに封印しているように、あたしには見えるが」


「うん、妙だ。この護符は、私が知っている密教系列のものではない……五芒星が書かれているし、陰陽道絡みの護符なのだろうか。でも、それにしても奇異すぎる」


「天下布部に、飛び級進学してきた竹中半兵衛がいただろう? あの子は陰陽師だ。ちょっと聞いてみる」


 信玄はスマホを取り出して半兵衛にメッセージを送ってみた。だが、送信できない。おかしいぞ、とメールを送ってもやはり送信失敗。電話までかけたが、繋がらない。


「妙だな? どうなってるんだ。今どこにいるんだ、あいつらは?」


「嫌な予感がする、信玄。私にあぶり餅を与えず、冥界から出る井戸を塞いでしまった者は、きっと恐ろしい陰謀を企んでいるに違いない。私がお腹をすかせたら弱体化することを熟知した者の仕業だ……!」


「お前はいい加減に、その正義の毘沙門天ごっこをやめろ。お前の敵はあたしだろうが。そーゆーキャラ設定で何年も通してきたくせに、いきなり知らないヴィランを出すな! いいからカロリーメイトを食え!」


「いや、私は囓りかけは要らない……むぐっ? はぐはぐはぐ……美味しい……」


「いったん口に入れたら食欲に抗えないよーだな謙信! きゅうりを囓るハムスターのように食いつきやがって、はっはっは! そうか。お前の弱点は空腹か。上杉謙信と戦う永遠のヴィランとして、よく覚えておこう」


「はぐはぐはぐ。武田信玄、なんという卑劣な……もぐもぐもぐ。カロリーメイト、お代わり。次はフルーツ味を所望する」


「ほんとうに我が儘だなお前は! フルーツ味は持ってない! 奥歯にドライフルーツが挟まるから苦手なんだ。それよりこの井戸、どうする? SNSにでもあげるか?」


「そうだな信玄。護符をはがして、蓋も外せるようにしておこう」


「ちょっと待て謙信? 遊び半分で井戸の封印を破ったら、必ず中から邪悪ななにかが出てくる! それが、この手の映画のお約束だろうに!?」


「遊びではない。『冥界への入り口があって出口がない』という現状は、よくないと私は思う。誰かが冥界に落ちた時に、脱出できなくなるだろう?」


「まーたお前の毘沙門天ごっこ空想がはじまった。京都の地下に冥界なんか、ない、ない。いいか? 地中を通っているのは水道管とガス管と地下鉄だけだ」


「だが、この護符には邪悪な念を感じる……野望、欲望、妄執、そのような念がみっしりと込められている……勇気を奮って、誰かがはがすべきだろう。正義の毘沙門天は、霊障も祟りも畏れない。さあ、一緒に護符をはがそう信玄。きりきりと」


「待て待て待てーっ! あたしまで巻き込むなーっ! ああもう、なんだこの護符は。ぜんぜんはがれない! うぎぎぎぎぎ! ペットボトルの水で濡らして破ってやるっ!」


 信玄は(これって絶対に後から祟られるパターンじゃないか! 恐れ知らずの謙信に付き合っていたら、これでもかと怪異現象に遭遇させられる気がする。ああっ一緒に京都に来るんじゃなかった!)と内心震えながらも、毒を食らわば皿までとばかりに「侵掠すること火の如く!」と居直って、いよいよ護符はがしに全力を注ぎ込むのだった。

 謙信の「フ。もしかして怖いのか? 信玄」とこちらをナチュラルに見下してくるかのような涼やかな瞳に、信玄はブチ切れたのである。後の祟りより今の謙信の視線のほうが、幼い頃から「打倒謙信」を誓ってきた信玄にとっては許しがたい大問題であった――。

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