第五話 天下布部、丑の刻参り女追跡捕獲作戦-6

 もはや生配信中だということすら忘れて、良晴たちはからくも貴船の山の獣道を逃げて式神の蜘蛛丸を振り切った。半兵衛も官兵衛も結界を張るので精一杯で撮影どころではなくなったため、配信はいつの間にか中断されたらしい。

 宇喜多直家が寝ながら待機していたミニバンの車内に飛び込んだところまでは覚えている。

 それから、どこをどう逃げたのか。

 気づけば、良晴はホテル本能寺の寝室へとかろうじて飛び込んでいた。

 着替える気力も体力も尽き果てた良晴は、ベッドの上に大の字に転がると同時に、大きく息を吐いた。


「……ど、どうにか生きてホテルに戻ることができた……信奈も十兵衛ちゃんもみんな無事だ……はあ、はあ……なんなんだよ滝夜叉姫って。平安時代の鬼女がどうして21世紀に? 俺たちと彼女にいったいなんの関係が?」


 二泊目なので、小早川隆景が同室となっている。

 小早川隆景は巫女さんという仕事柄、この種の怪異には耐性があるほうだが、


「……うう、良晴。私たちは取り返しのつかないことをしてしまったような気がする……」


 と、隣のベッドに潜り込んでからも身体の震えが止まらなかった。


「良晴。滝夜叉姫が使役する式神・蜘蛛丸は、完全に妖怪の姿となっていた。あれは恐らく、古代の朝廷に討伐されたまつろわぬ先住民族が『土蜘蛛』と名付けられた結果、その言霊が呪となってほんとうに妖怪化してしまったものだと思う」


「つまり、呪によって生みだされた概念が京の人々の恐怖心を吸収して、ほんとうの怪物になったってことかな」


「そうだ。陰陽道や密教の全盛期にはその手のあやかしが京に大増殖して、百鬼夜行となったという。陰陽師や僧侶、妖怪退治を本業とする武士たちの尽力もあって、すべて厳重に封印されたはずなのだが……」


「あの自称滝夜叉姫がその封印を解いて回っているということか、小早川さん?」


「わからない。もしかすると私たちはわざわざ京都の心霊スポットを訪れて、封印を解く手助けをさせられているのかも……最終的には将門公にまつわるすべての封印が解かれて、将門公の怨霊が目覚めるという結末になるのかもしれない」


「目覚めたら、ど、どうなるんだろう?」


「『件』の予言通り、京都のどこかにある魔界への扉が開くはずだ――それがどういうことか、私にはわからないが。陰陽少女の竹中半兵衛と黒田官兵衛なら詳しいだろう」


 私たちが想定しているよりもはるかに危険な事態になりそうだ、と小早川隆景は怯えていた。松永久秀の茶器事件の時よりも恐ろしいことになる、と利発な彼女はすぐそこまで迫っている危機を感じ取っている。

 良晴も(人間相手の合戦より、化け物になっている式神を使役する術士を相手にするほうがずっとたちが悪い。俺も金ヶ崎ではずいぶんと土御門に苦しめられた。あの時は仲間たちが大勢倒れたし、前鬼と半蔵がいなければ俺は死んでいた)と戦国世界での陰陽師相手の苦戦ぶりを思いだし、さらに呼吸が荒くなってきた。

 半兵衛官兵衛の陰陽少女コンビが手も足も出ないのは、京都という自称・滝夜叉姫の管轄内に入ってしまっているからだろう。

 それになにより、自称・滝夜叉姫の計画がこれ以上進行すれば――いったいなにが起きるか予想もできない。


「小早川さん。朝が来たら急いで京都から脱出したほうがよさそうだ。さすがの信奈も懲りただろうし。最後のほうはギャン泣きしていた」


「……わ、私も、震えが止まらなくて、ね、眠れない……よ、良晴。と、隣に寝ても、い、いいだろうか」


「あ、ああ。だ、だいじょうぶ。俺もまだ心臓がバクバク言ってるんだ。今夜は添い寝しよう。心配ない、あと数時間だよ」


「……手を、握っていてほしい……そ、それで、きっと眠れる」


「ああ……これでいいかな? あれ、まずいな。かえって心臓の鼓動が……」


「も、もう。こんな時に良晴は……そ、そのときめきは吊り橋効果というやつだぞ。今の良晴と私の脳内では、恐怖心と恋愛感情がごっちゃになっている。織田信奈に抜け駆けだと叱られるから、一応説明しておいた」


「小早川さん。戦国世界では、毎日が吊り橋効果の連続だったよ。たぶん恋愛感情って、そもそも死地に陥った人間が生き延びようとする上でとても大切な感情なんだ。だから、『吊り橋効果』だとか言ってわざわざ相対化しなくてもいいんじゃないかな?」


「……良晴?」


「だって俺は、戦国世界で信奈と、そして小早川さんと出会っていなければ、何度死んでいたかわからないんだ。自分の命だけのために生きていたら、どこかできっと心が折れていた。特別に強いわけでもないボンクラの俺があの過酷な世界を生きてこられたのは、いつ死ぬかわからない日々の中で、恋に堕ちたから――その分『生きたい』という思いが強まったから。そういうものだと思うよ」


「……そ、そういう言い方は駄目だぞ。うう。か、顔が火照って、ね、眠れなくなる……戦国世界の私は、いつもこんな風に良晴の隣にいる時にずっと……と、ときめいていたのだろうか……」


 小早川隆景が震えながら良晴の手を握りしめ、そう呟いた時には。

 良晴は既に、力尽きて眠りに落ちていた。

 隆景の手の温かさに、安心したらしい。


「……もう。自分だけ眠って、ずるいぞ。良晴……」


 隆景もまた、良晴の背中に小さな身体を寄せながら、そっと瞼を閉じていた。



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