第五話 天下布部、丑の刻参り女追跡捕獲作戦-5
頭上に二本の蝋燭を明々と点したその女の顔は、朱塗り。まさに鬼女だった。
信奈は(ど、ど、どこから? いったいどこからワープしてきたのっ? ほんとに深泥池から貴船神社に繋がる地下道があったのっ?)となおも現実主義者として果敢に抵抗を試みるが、最初に敏感な光秀が「ひいいいいい! でーたーでーすううううう!」と素っ頓狂な悲鳴をあげ、その悲鳴に共鳴するように全員が叫び声をあげていた。
「「「ギャーーーーー!?」」」
配信動画のコメント欄も、無数の悲鳴で埋め尽くされた。
駄目よ怖がってたらまーた金縛りに遭っちゃう、目を覚ますのよー! と信奈が慌てて光秀たちのお尻にケツバットを入れ、「喝!」と気合いを注入する。
だが、怪異調伏の専門家である半兵衛と官兵衛が「将門公の姫?」「滝夜叉姫っ?」と最初に気を呑まれてしまったため、天下布部京都チームの士気は総崩れとなった。
陰陽師の世界には、「日本三大怨霊」という調伏困難な強力な怨霊が存在する。
平安京の朝廷で活躍していながら、藤原氏の讒言によって九州の太宰府に流されて無念の死を遂げ、朝廷と藤原氏に厄災と死と祟りを成した菅原道真。そのあまりの祟り神ぶりを朝廷は畏れ、北野天満宮に「天神」として祀ることとなった。
東国の民を搾取していた京の朝廷に反旗を翻して関東に日本史上初の武家政権を樹立し、「新皇」となりながら朝廷側に付いた追討軍に討たれてしまった平将門。その首は京の七条河原に晒されたが、将門公の無念は凄まじく、首になっても何ヶ月も目を閉じず歯ぎしりをやめず、ついには首だけで関東へと飛んで去って行ったという。東京大手町のオフィス街には、今なお将門公の首塚が残されている。祟りを畏れて誰も破壊できないのだ。
そして、後白河法皇と対立し讃岐へ流され、朝廷に赦しを乞うも拒絶されて闇落ち。「日本国の大魔王となってやる」という呪詛の言葉を残して死後も後白河法皇に祟り続け、鎌倉幕府という武士政権を誕生させて朝廷から政治の実権を奪い去った崇徳院。
この「日本三大怨霊」は、全員が京を憎み呪う恐るべき怨霊だが、中でも関東に独立国家を築きあげて「新皇」を名乗った日本最大の怨霊・平将門にだけはみだりに手を出してはならない――それが陰陽少女たちのルールだったのである。
滝夜叉姫は、その平将門の娘で、朝廷に討たれた父と一族の仇を討つために貴船神社で丑の刻参りを行って妖術使いの鬼女になり、蜘蛛丸・夜叉丸という配下を従えて関東で反乱を起こしたという伝説を持つ。一説では、蟇蛙の妖怪・肉芝仙から妖術を授かったとも。
「ふふふ。『件』で釣ったら案の定、鴨がネギをしょったみたいに私の本拠地まで来てくれてありがとうございます。あなたたちは将門公の仇ではないけれど、京で魔界の扉を開くためにどうしてもあなたたちが必要なのです――人身御供になってくれますね? 蜘蛛丸。全員を捕らえなさい」
「逃げるですううううう! 冗談じゃねえですう、命ばかりはお助けですうう!」
「良晴、早く! 足が動くうちに!」
「わかった小早川さん! 信奈のケツバットのおかげで助かった! 信奈も応戦しないで早く撤退を……!」
「委員長たちは撤退しなさい、わたしは戦うわよ! とうとうガチのあやかしに出会えて、気分は最高にハイなの! 今宵こそ返り討ちにして捕獲するんだから! 大蜘蛛も丑の刻参り女も一網打尽にして、億万長者ルート一直線よー!」
「くすんくすん。いけません信奈さま! 将門公絡みだけは駄目です、逃げましょう!」
しかし、ひとたび「捕縛すれば大勝利」という野望に火を付けられた信奈は「平将門とか言われても、わたしは陰陽師じゃないしぃ! 平安時代の怨霊とか、現代っ子のわたしには関係ないのよー! そもそも将門の首塚は東京にあるじゃーん! 京都は関係ないじゃーん!」と撤退を拒否。
金属バットを構えて、大蜘蛛の式神を相手にバトルを開始してしまった。
《嘘だろ、部長www》
《逃げて逃げてー。この子のメンタル、おっかしいだろ!》
《もはや部長のほうが悪鬼だよ。銭の鬼だ!》
《この唐突な怪異のインフレに、俺の脳がついていかない》
《金属バットで勝てる相手じゃねーだろ》
《いくらでも投げ銭を出すから、もう撤退してくれええ!》
視聴者たちがドン引きする中、信奈は「はっ? 人間は死を目前にすると脳が活性化してあらゆる記憶を再生し、生存の可能性を探るというわ。すなわち走馬灯現象! 急に戦国世界の合戦の記憶が蘇ってキター! なーにが式神よ、孫市に鉄砲で狙い撃たれた時よりずっとマシよー!」と恐怖心のリミッターを自ら解除。
急接近してきた蜘蛛丸めがけて、全力で金属バットを振り下ろしていた。
大柄ながら意外に俊敏な蜘蛛丸は、信奈のバットを素早く避けながら、口から白い糸を吐き出してくる。
「信奈さま! 蜘蛛の糸に絡め取られたら、容易には剥がせません!」
「わかってるわよ、半兵衛! 『スパイダーマン』で学習済みだからっ!」
信奈は怯まない。バックステップと爆転を立て続けに繰り出して、糸の攻撃をかろうじて避けた。戦国世界での戦闘能力を一時的に覚醒させているらしい。
「この蜘蛛、なかなかやるじゃない! バットを絡め取るつもりね! だいたい、どーして式神が大蜘蛛なのよ? 半兵衛官兵衛が召喚する人間型じゃないじゃーん! これがいわゆる黒陰陽師ってやつ?」
「織田信奈、いいから撤退しよう! 式神を召喚できないわれらが絶対的に不利だ!」
「やーだー播磨! だってだって、アンケート勝負じゃもう委員長に勝ち目がないんだもんっ! わたしは、どうしても良晴を諦めたくないのっ! お願い、戦わせてっ!」
「うう。か、勝ちなら譲るから、織田信奈……」
「えーっ? 委員長にとって、良晴はそんなに簡単に譲ったりできる存在だというの!?」
「そ、そうではないが……今はそれどころでは……こ、困ったな」
「聞いて委員長。蜘蛛丸の正体は、放射能かなにかを浴びて突然変異して巨大化した単なる虫なのよ! 滝夜叉姫も自称! 梵天丸が『黙示録の獣』を名乗ってるのと同じよ、痛いコスプレ陰陽少女なのよー! 平安時代の陰陽師が今も生きてるわけないじゃーん!」
確かに滝夜叉姫については一理あるが、蜘蛛丸がただの虫と言い張るのは無理がある、織田信奈はとにかく撤退したくないのだろうと小早川隆景は嘆息した。
「ほら、どんどんきみに票が入っている。みんな、きみに生き延びてほしいんだ」
小早川隆景が言う通り、もはや投げ銭でも織田信奈は止められないと悟った視聴者たちは、
《みんな~、織田信奈に投票しろ!》
《今すぐ織田信奈に勝利の可能性を与えてみせろ!》
《部長が保たん時が来ているのだ!》
《試してみる価値はありますぜ!》
と、一斉に織田信奈へとアンケート票を投じはじめていたのである。
「嘘っ? あれほど『もう暴力女の時代じゃないんだよ』と逆風続きだったアンケートの票差が、一気に縮まっていく……!? ありがとうみんな! やっぱり、戦う女の子はウケるんだわ! 鋭気りんりんよー、もっと戦うわね! ガンガン応援してちょうだい!」
「い、いや、そういう訳では……困ったな」
「信奈、いいから撤退するぞ撤退! ええい。こうなりゃ、羽交い締めにして引きずっていく!」
「良晴っ? やーだー! どさくさ紛れに抱きつかないでよ! 胸! 胸に手が当たってる~! やだもう、胸を押し潰さないでよ!
まだ成長中なんだから! 痛い痛い痛~い!」
《相良良晴、死ね!》
《織田信奈は私の母になってくれるかもしれない女性だとか思ってんだろ?》
《呪われろ、相良良晴!》
《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》
《呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪》
「なんでお前ら、俺を呪うんだよー!? それどころじゃないってば!」
「くすんくすん。私が手持ちの護符を全部用いて式神を足止めします。その隙に、宇喜多先生のミニバンまで全力で駆けてください!」
「ひいいいい! 捕まったら絶対に十兵衛が最初に生贄にされるに違いないです! 早く逃げるです信奈さま~!」
「駄目よ十兵衛まで! ああもうっ、目の前に逆転勝利が見えているのに~!」
「むふー! 式神の足止めならクロカンにお任せ! 今こそ播磨産陰陽少女の実力を見せてやる! 相良良晴、早く織田信奈を抱きかかえて脱出しろー!」
半兵衛と官兵衛が決死の覚悟で護符を飛ばして山道に強固な結界を張り、蜘蛛丸の突進を阻む。
「結界は長くは保ちません、皆さん急いで逃げてください! くすん、くすん」
「くっそー。ここが播磨だったらクロカン大勝利なのにい~!」
二人が結界を張っている隙に、良晴と小早川隆景、そして光秀は「是非に及ばずよ! ひとたび生を得て滅せぬものはないのよ、戦わなくちゃ! やだやだ、委員長に良晴を取られたくなーいー! うええええん!」となおも蜘蛛丸を捕縛しようと駄々をこねる信奈を三人がかりでミニバンのもとまで引きずっていったのだった。
……
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