第五話 天下布部、丑の刻参り女追跡捕獲作戦-4


 深夜一時すぎ。

 京都市左京区鞍馬、貴船神社。


「どうにか逃げ切ったか、やれやれ。ゲッ? もうおねむの時間じゃねーかよ、オレは寝るぜ。ボンクラ生徒ども、起こすなよ?」


「はーい、おやすみなさい宇喜多先生。ひとまず戦略的撤退に成功! 貴船神社の本宮前に到着したわよ。この先は自動車では進めないわねー」


「やっと金縛りが解けたですう! さすがのあやかしも、現代文明の利器・自動車には勝てなかったですね。無尽蔵のスタミナを誇るエンジン万歳ですう!」


「信奈。小早川さん。十兵衛ちゃん。例の丑の刻参り女は振り切れたようだ。このまま車内で一夜を過ごすか、思い切って車外に降りて取材を続けるか、それとも先生を起こしてUターンしてホテルに帰るかだ。どうする?」


「外に出るのは危険だ良晴。Uターンすればまた丑の刻参り女と鉢合わせするかもだし、このまま車中で陽が昇るのを待とう。各自はシートで寝て、二人づつ起きて交替しながら見張ろう」


「なにを言っているのよ委員長? 動画チャンネルで配信中だということを忘れてない? 目的地の奥宮に突撃ロケしなきゃ、ただ敗走しただけになっちゃうじゃーん? 門は突破できないけどー、脇の山道を使えば奥宮には行けるって!」


「神社はもう門を閉じている。ふ、不法侵入だぞ織田信奈。それに、丑の刻参りの発祥地にむざむざ突入したら、避難した意味が……また遭遇したらどうする。きみ以外の部員は金縛りを解けないのだぞ」


「金縛り~? あれは一種の集団催眠みたいなものなのよ。わたしがみんなにケツバットで喝入れすれば、痛みで目が覚めるっしょ! ウェイクアーップ!」


「十兵衛も籠城策に一票ですう、信奈さま。そろそろ世の中には理不尽な怪異が存在することを素直に認めて、懲りましょうですぅ」


「だってこのまま逃げ続けたら時間切れでわたしの負けじゃん。良晴との交際権はどーなるのよ? わたしは最後まで勝負を諦めないわ!」


 この時。

 スマホを片手に一足先に車から降りて、車体に貼られていた護符をはがしながら燃やしていた半兵衛が、突然声をあげた。


「かっ、官兵衛さ~ん? 待ってください、いったいどこへ行くんですか? くすんくすん。た、たいへんですっ! 官兵衛さんが森の中に入り込んじゃいました!」


 半兵衛と一緒に護符はがしをしていた黒田官兵衛が、いきなり暴走。


「あーはははは! クロカンは兵庫が大好きやでー。もちろん神戸も丹波も淡路島も。兵庫に住んでるやつも、兵庫から離れて暮らしているやつも、同じ兵庫の仲間やで! みんな、ありがとう! 体操の体形に、開け~! ヤー!」


 などと意味不明の台詞を叫びながら、どんどん山奥へと突き進んでいく。

 この瞬間、視聴者が増えすぎてもはや信奈たちにもほとんど読めなくなっているコメント欄は《ヤー!》と《くっさw》に二分された。

 言うまでもないが、兵庫県民が《ヤー!》で、それ以外が《くっさw》である。


「ちょ、なにやってんの播磨? まさか十兵衛に代わって奥宮へ突撃するルートを切り開いてくれるのかしら? って、いやいや駄目でしょさすがに!? 連れ戻さなきゃ!」


「まずいぞ信奈。急にどうしたんだよ官兵衛のやつ? 式神も使役できないのに。もしも今、丑の刻参り女と遭遇したら……」


 半兵衛が、剥がしたばかりの護符を手に、良晴に囁く。


「良晴さん。車体に貼られた護符はやはり、陰陽道由来のものでした。彼女の正体は、京都を管轄区とする陰陽少女ではないでしょうか。だとすればあの驚異的な身体能力にも納得いきます。どうして私たちを追い回すのかは謎ですが、官兵衛さんは既に彼女に操られている恐れが」


「どうやって官兵衛を? そうか、さっき髪を掴まれた時か?」


「はい。髪の毛を陰陽術に用いられて、操作されているのでしょう。これはきっと罠です、くすんくすん」


「ひいいん。罠とは言っても、官兵衛どのをこのまま奪わせるわけにはいかないですう」


「そうね。危険だけど……播磨を連れ戻しましょう」と信奈が決断し、小早川隆景も「承知した」と了承。天下布部京都チームは慌てて、森に入った官兵衛を追いかけることに。


 自動車を守る留守番役は、運転手の宇喜多直家。歳なのか、既に熟睡している。


「いいじゃない、どんとこい心霊現象! 要は、京都在住の性格が悪い陰陽少女がわたしたちをからかっているってことでしょ? ぶぶ漬けを出してきてるってことじゃん? そうとわかれば恐るるに足らずよ! 天下布部、颯爽と出動! 半兵衛はスマホで撮影配信を続行! 先頭は憑かれ体質の十兵衛ね!」


「ひーん。やっぱりこうなったですう~! どーせ奥宮行きの鉄砲玉ですぅ十兵衛は~」


 ……

 ……

 ……

 夜の山道を辿り、官兵衛を追跡すること数十分。

 天下布部京都チームは、奥宮に到着。


「官兵衛の足が、はやーい! 真っ暗なのにどーしてすいすいと獣道を進めるのよー? はあはあ、ぜえぜえ。奥宮に到着しちゃった……あー、疲れた~」


「十兵衛は憑かれそうですう! 官兵衛どの、追いついたですよ! さっさと目を覚ましてくださいですう~!」


「官兵衛さんほどの霊力の持ち主ですから、触れられればこちらのものです。護符をおでこに貼ってみます。えいっ」


「……はっ? 半兵衛? クロカンは今までなにをしていた? あれっ、おかしいな兵庫県へ逃げていたつもりなのに。貴船神社の奥宮じゃないかここはーっ? 敵の本拠地だぞーっ? 誰がむざむざこんな愚かな真似をしたんだーっ?」


「あんたよ、あんた! ほーんと、姫路から一歩出たら口ほどにもないんだから! 視聴者のみんなー、わたしたちは無断で奥宮に入ったわけじゃないの。播磨が遭難しそうだったから追いかけてきただけよ! 不可抗力よね!」


 しかし視聴者たちのコメントは、信奈たちが奥宮に到達したあたりから《確かに不可抗力だけどさ》《引き返そう、画面越しにも伝わってくるこのヤバい空気》《まずいよまずいよ》と引き気味になっていた。もう冗談を言い合っている場合ではない、と誰もが直感していた。

 それほどに、山中の奥宮の空気は冷え切って張り詰めている。

 しかも、ついに時刻は午前二時。丑三つ時のまっただ中である。


「ここここが、丑の刻参りの総本山なのですね。ひーん、もう我慢できないですう」


「あわ。あわわわわわ。強力な『気』が奥宮から流れてきます。ここは、地下から高濃度の『気』が湧き水とともに吹きだしてくる京都有数の龍穴スポットなんです」


 光秀も半兵衛も、立っているだけで足が震えてくる。

 巫女さん故に深夜の神社には慣れていて冷静な小早川隆景も、良晴の隣にそっと立ちながら、


「まさかさっきの白装束の女が追いついてくることはないと思うが、万が一ということも。今のうちにこの場を離れたほうがいい」


 と撤退を勧めてきた。


「はーん。ご丁寧に、ここが『鉄輪』伝説発祥の地ですって立て看板まであるじゃーん。藁人形を打つのに最適な老杉もいっぱい! 後は、丑の刻参り陰陽娘と対決して捕獲するだけよ十兵衛! あーでも、あの女が追いつくのを待っていたら朝日が昇っちゃう!」


「信奈さま、諦めましょうです。かかか官兵衛どのも確保しましたし、いいい今のうちに宇喜多先生のミニバンまで戻りましょうですぅ」


「そうだぜ信奈。三泊の旅なんだから、明日の明るいうちにまた貴船神社でロケすればいいだろう? 官兵衛ですら操るような相手なんだ、夜は危険すぎる」


「うーん。仕方ないわねー。わたしとしてはあくまでもロケを続行したいところだけれど、これ以上続けたら八甲田山みたいなことになりそうだし……あのコスプレ陰陽少女が追いつけない以上、ホテルにいったん戻ったほうがいいかも……あ、でも、あの女がタクシーを拾って奥宮に来るってこともあるわよね?」


「いや、あんな格好をしている女の子をよりによって深夜の深泥池で拾って乗せないだろ、誰も。普通に乗車拒否だ」


「それもそーね……じゃ、あの女は今夜はもう出てこないってことね。これ以上ここに留まっていたら言い訳できなくなりそうだし、撤退しちゃおうか良晴?」


 コメント欄も《暴走部長が退くことを覚えただと?》《しゃーない》《丑の刻参り女がどうやら人間だと判明したが、十二分に怖いというか》《むしろ物理的に危ないからやめ、やめ!》と一斉に信奈に撤退を進言。

 ようやく、朝から続いてきた長い一日が終わる――と思われた次の瞬間だった。


「ひうっ? わわわ藁人形を発見してしまいました信奈さま。ごごご五寸釘でごごごご神木にうううう打ち付けられています。ままままだ新しい人形です……かかか官兵衛さんのななな名前が書かれて……」


 よりによって半兵衛が、杉の木に打ち込まれた藁人形を見つけてしまったのである。


「え? おかしいでしょ半兵衛。京都の陰陽少女は今頃、ぜえぜえ言いながら鞍馬街道の上り坂をマラソン中のはず……他に仲間がいて、奥宮で待ち伏せしていたってこと?」


「むふー! さっき抜かれたクロカンの髪が人形の中に入っているぞ? クロカンが愛用している姫路限定ご当地トリートメントの香りが残っているから、間違いない!」


「良晴。織田信奈。ということは、われらのミニバンを追いかけていたあの女が、先にこの奥宮に到達して藁人形に官兵衛の髪を詰めたということになる」


 ぞぞぞぞぞ……。

 凍りつく天下布部京都チーム、そしてこれまでの経緯を見守ってきた視聴者たち。

 さしもの信奈も「物理学的にありえないでしょ」と呟き、しばし言葉を失った。

 そして、結論に到達する。


「……やっぱり、官兵衛を囮に用いての誘導待ち伏せ策だったのね……それじゃあ……」


 その信奈の言葉が終わるよりも早く、闇の中に佇んでいた奥宮の扉が突如開いた。

 白装束と鉄輪に身を固めた「あの女」が、信奈たちの前に再び姿を現していた。

 一体の巨大な蜘蛛。無数の目と、糸を垂らしている巨大な口を持つあやかしを、引き連れて。


「ええ、その通りです。私の本拠地たるこの奥宮にあなたたちを誘導して待ち構えていたわけです。私は確かに陰陽師です。この大蜘蛛は、わが式神の蜘蛛丸。そして私の名前は――滝夜叉姫。平安の昔、関東に独立王国を築くも朝廷軍に討たれて京に首を晒された平将門公の娘。亡き将門公の遺志を継ぎ、貴船神社で丑の刻参りを二十一日間続けて鬼女となり、陰陽道の力と二体の式神を得た女なのです」

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