第五話 天下布部、丑の刻参り女追跡捕獲作戦-3
「くすんくすん。このあたりは洛中から鞍馬街道へ入る分岐点。鞍馬山への入り口にあたる、深泥池です……」
「深泥池!? って、日本一有名なタクシー怪談の名所ではないですかっ? 嫌ですう宇喜多先生、時速120キロですっ飛ばしてくださいですう! まーた出るですう!」
「やだね。オレには愛娘がいるんだ、もうスピードはあげねえよ。それにこの車はよう、タクシーじゃねーしよ」
《深泥池、キタコレ》
《タクシー怪談ってなに?》
《夜、女の幽霊がタクシーに乗ってきて、気づくと座席から消えていてシートは水浸しっていう定番の都市伝説だよ》
《怪談自体はよくある話だけど、深泥池が発祥の地なんだ》
《次から次へと心霊スポットを通過しなきゃ貴船神社に着かないのか。京都、魔界すぎるだろ》
官兵衛が車窓を開いて身を乗り出し、深夜の深泥池を撮影開始。
深泥池は十万年以上も昔から存在する日本最古の池で、池に生息するあらゆる動植物が天然記念物。故に、ほとんど手つかずのままの自然を保っていて、池というよりも沼。しかも夜中なので周囲は真っ暗。
もうこの時点で他の池とは一線を画している恐ろしい絵面なのだが、今夜はゲコゲコと妙に蝦蟇の鳴き声が響いてくる。
「むふー! この手の怪談や都市伝説はただの噂話で出所不明なことが多いのだが、深泥池のタクシー怪談はガチなんだ! 昭和の昔、実際に女の幽霊を乗せてしまったタクシー運転手が『深泥池で女性客が車内から消えた』と交番に駆け込んで、新聞記事になったのだからな!」
「くすんくすん。幽霊だったとは限りませんが、結局警察が捜索しても消えた女性は見つからなかったそうです。それ以後、深泥池はタクシー怪談の総本山になったようですね。また平安時代の深泥池には鬼が出没していて、鬼を撃退するために豆を投げよとの智恵を住人に授けたお方が貴船神社の神だったとも。つまり深泥池は、豆を投げて鬼を撃退する節分の儀式の発祥地でもあるんです」
「かつての鬼は貴船に住み、貴船と深泥池を繋ぐ洞窟から深泥池に現れたらしい! 京都の地下にほんとうにそんな洞窟があるのかどうかは不明だがな! とにかくヤバい雰囲気ので早く通過してしまおう! しっかし蛙が五月蠅いなー、八月なのに妙だなー!」
「待って、深夜の深泥池に潜ればなにか出そうじゃん? 丑の刻参り女はいないだろうけど、鬼とか河童とか普通にいそう! 呼び寄せ体質の十兵衛を飛び込ませて捜索させましょうよ! わたしはバット片手に捕獲役を務めるから!」
「なにを言いだしやがるですな信奈さま!? 溺れてしまうですう! どう見ても飛び込んだら最後、水中の草に足を取られて浮上できない底なし沼ですう!」
「こーんな巨大な底なし沼なんて普通、ありえないっしょ? どうなの半兵衛?」
「水深は20メートルほどだそうですから、普通に溺死できちゃいます。フル装備ならともかく、軽装での深夜の飛び込みは命取りです、くすんくすん。そもそも深泥池そのものが天然記念物も同然なので、叱られちゃいますよ」
「じゃあ、しょうがないわね。午前二時までに貴船神社奥宮に到着しないといけないし、残念ね」
「信奈さま、思いとどまっていただけましたか! よかったですう」
「ええ。わたしにだって常識はあるもの。それじゃあ、明日の夜にダイビング装備を調達して深泥池へ突入よ十兵衛!」
「昭和のバラエティ番組でもそんな無茶はやらないですう。ひーん、ひーん」
《十兵衛ちゃん虐待、略して十虐は続くよどこまでも》
《終身名誉部長、知らんぞ十兵衛ちゃんになにをされても》
《深泥池に飛び込んだらゾンビ化して部長を襲ってくるんじゃね?》
《相良良晴ってそこまでしてゲットしたくなる男か? 部長の趣味がよくわからんな》
《委員長のほうがもっとわからない。目を覚ましてください委員長! 僕のほうがイケてます!》
《幼なじみなんだっけ。チキショー。俺もミニバンに跳ねられて委員長と幼なじみの異世界に転生してえよ》
《幼なじみって負けフラグ属性だから、応援してあげたい! やっぱり今夜も委員長に投票する!》
どーしてさらに小早川に投票が集中するわけえ? と信奈は納得いかない。
「あんたたちがそうやってわたしを煽るから、ロケが過激化するんじゃーん! そろそろ式神を召喚できそう? 半兵衛、播磨?」
「夕刻、晴明神社で大量に新たな護符を作ってきたのですが反応がありません。くすん」
「強力な霊力でわれら専属のご当地妖怪を縛っている何者かがいることは確定だな!」
「あんたたちがそこまで苦戦するなんて。そいつは、あの丑の刻参り女に違いないわね――あいつを捕縛すれば再生回数百万どころか、一千万オーバーも夢じゃないわね! やだ。公平に八公二民(信奈が八、その他の部員が二))で収益を分け取りしても、結婚資金には充分すぎるう!」
「八公二民って、どこの薩摩藩ですか信奈さま。悪政にも程があるですよ……って、相良先輩っ? 委員長っ? 右、右! タクシー幽霊ですう、出たですううううう!」
《播磨ちゃん、危ない!》
《で、出たああああああ!?》
《貴船神社にいると思いきや、深泥池で先制攻撃してきたー!》
《素早すぎる、なんだこの動き? ターボババアかよ!?》
《やっぱり地下で繋がってるのか?》
上半身を車外に乗り出していた官兵衛が、「ギャー!」と慌てて身体を車内に引っ込めた。いつの間にか深泥池の淵に立っていた白無垢の女が、恐ろしい速度でミニバンに駆け寄り、白い手を伸ばしてきて官兵衛の髪をひっつかんだのだ。
「やだっ? 播磨、だいじょうぶ?」
「うわあああああああああああ! びっくりしたっ、白無垢に鉄輪だー! ささささ触られてしまったぞーっ? 髪の毛を引っこ抜かれたあああ!」
「か、官兵衛さん? 駄目です、式神さんをまだ出せません! しかも周囲の『気』の濃度が信じがたいレベルまで高まっています!」
「こんどこそ人間ではなく、ほんものと言うことなのか? 織田信奈、すぐに引き返そう」
「今引き返したら委員長大勝利じゃないの、やーだー! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことだわ! 十兵衛、捕獲よ! 今すぐミニバンから飛び降りてタックルを入れるのよー! グラウンドに転がしたところで、わたしが一撃入れて引っ捕らえるから!」
「無理ですう、無理ですう信奈さま~! かかかか金縛りに遭ったみたいで、うううう動けないですううう!」
「の、信奈、俺たちもだ。身体が硬直して、指を動かすのがやっとだ……! っていうか、どうしてお前だけ平気なんだよ?」
「わたしは根本的に超自然現象を信じてないからよー! そうだわ。すべての心霊現象には、科学的な理屈があるはず! あやかしだって、もとを正せば人間に毛が生えたよーな存在に決まってんじゃん。死者がゾンビウィルスかなにかに感染しただけに違いないのよ! 故に、わたしには一切の精神攻撃無効! 織田バリア発動! 物理攻撃有効! こうなったらバットを片手に一人で戦うわ、降ろしなさーい!」
「途中までは納得できるが、織田バリアってなんだよお前がいちばん非科学的だよ?」
「くすんくすん。式神さんやご当地妖怪さんの存在をいきなり全否定されてしまいました」
「半兵衛、わたしはたった今閃いたの。それらは超リアルだけれど集団幻覚なのよ! 出てこないのは、半兵衛と播磨がなんらかの暗示にかかってるからだわ! 『件』の京都予言が暗示になっているのよ! ちなみに『件』も集団幻覚よ、わたしは見てないしぃ!」
「むふー。すねこすりはそういう解釈もありだが、前鬼と朧月夜はまるきり人間だぞ。無理があるだろう織田信奈?」
「あいつらは、あんたたちの催眠術に操られている市井の一般市民なのよ! たぶん!」
「失敬だなー! われら陰陽少女をなんだと思っているんだ、きみはー!」
《部長の現実主義は承知していたが、いきなり唐突に過激化してね?》
《三分前までは、式神を全否定とかしてなかったよな? 早く召喚しろって言ってたぞ》
《この全滅のピンチに敢えて現実主義の精神を尖鋭化することで、丑の刻参り女の霊力を跳ね返しているんだよ。まさにバリアだ》
《なるほど……思い込みだけで霊力に抵抗しているのか。とにかくすごいメンタルだ》
《自我が強烈すぎて、催眠術に絶対にかからないタイプだな》
視聴者たちも、だんだん信奈の鋼鉄のメンタルに感心しはじめた。だが、事態はそれどころではない。時速40キロで走るミニバンのすぐ背後を、白無垢鉄輪の女がひたひたと追いかけてくる。おかしい。人間の足の速さじゃない。
バンッ!
バンッ!
バンッ!
車体後部に、女が無言で掌を打ち付けてくる。何度も何度も。
良晴はもう声も出ない。戦国世界の戦場で幾多の合戦を戦い抜いてきた勇者であろうとも、これは無理だった。金縛りを解くこともできないのでは、対処しようがない。
半兵衛が「護符を貼られています! いけません! これ以上貼られると、この車そのものが呪に捕らわれてしまいます! つまり走行不能に!」と泣きながら声をあげた。
「ままままさか。あああああの女はおおおお陰陽師か、陰陽師なのかっ? ねこたま、いつまでも寝てないで早く出てこ~い! 天下布部京都チーム壊滅の危機だー! ドーマン! セーマン! あわわ、鼻血が、鼻血が止まらない~。兵庫県の外じゃ勝てない!」
「か、官兵衛さん? 相手の結界内で無理に術を使わないほうが。くすんくすん」
「播磨、まーだそんなこと言ってんの? まともに動かない指で九字を切っても無駄無駄無駄。物理攻撃しかないって言ってるでしょー!」
「い、いけない織田信奈。一人で車から降りては駄目だ。宇喜多先生、一刻も早く丑の刻参り女を振り切ってください」
「承知した小早川。腰が抜けて立てねえが、かろうじて運転くらいならできらぁ。ちゃっちゃと一騎打ちを望む織田信奈を放りだして逃げ去りたいところだが、このまま一緒に連れて行く! 後で始末書を書かされるのはオレだからなーっ!」
「やめなさーい! 降ろして、降ろしてー! 一攫千金の大チャンスなのよー! 銭はすべてに優先するのよー!」
「洛中へとUターンしてえが、あいにく回る場所がねえ! このまま鞍馬街道を北進するしかねえぞーっ! スピードをあげる!」
《部長以外、全員硬直しちゃってんじゃん!?》
《事故るなよ事故るなよ先生~》
《うわ、ちらちらと画面に丑の刻参り女が映ってる》
《やばい、観たら俺たちも呪われるぞ!》
《もういいから逃げてーみんなー(涙)》
《今すげえバズってどんどんアクセス数が増えてるし、内心ウハウハの部長は絶対に逃げないと思う(確信)》
《守銭奴VSほんもの、ファイッ!》
《まずいだろ。だって丑の刻参り女の本拠地・貴船神社に追い込まれてるじゃん!》
《刻一刻と、丑三つ時が迫って来たぞ》
《どう考えても生きて戻れないルートだろ、これ……》
《供養とかするから。この投げ銭は、香典になるかもな……》
光秀が「いーやーでーすーう! 貴船神社には行きたくないですう! どーせ奥宮行きルートの先頭を歩かされるですう!」と悲鳴をあげるが、宇喜多直家が運転するミニバンは猛スピードで鞍馬街道を北へ、北へと突っ走っていった。
丑の刻参り女の影が視界から消えてもなお。
待ち受けるは、車が通れる道の終着点、貴船神社の入り口である。
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