★幕間1 六道の辻・六道珍皇寺

★幕間1 六道の辻・六道珍皇寺


 信奈と官兵衛が好き放題に試合を荒らした例の野球決戦で親しくなった二人、上杉謙信と武田信玄も、信奈たち天下布部とは別に京都食い倒れ観光旅行を敢行していた。

 信玄はなぜか武田家の旗を掲げて「瀬田にかけるんだこの旗を!」と盛り上がっているが、「信玄。瀬田はずっと遠くだ」と謙信は困り顔。


「そうなのか? あたしは生まれてはじめて京都に来たんだ! 謙信、お前は何度も京都に来ているからって、通ぶるな」


「そんなことを言われても、京都に親戚の家があるから……生八つ橋を食べながら、適当に散策しよう。もぐもぐ」


「ずっと食べ歩きしてないか、お前は? その細い身体のどこにそれだけのお菓子が? あたしは、ほうとうが食べたい」


「どうして有馬人が、甲斐名物のほうとうを? 有馬人の好物は炭酸せんべいではないのか」


「有馬人とはなんだ失敬な、あたしは神戸人だ! 有馬の山奥だって神戸なんだ! その証拠に、神戸電鉄が通っているんだぞ!」


「神戸にそんな電車会社があったのか。初耳だな」


「神戸高速鉄道経由で阪急・阪神とも一応繋がっているのに、どうしてこんなに影が薄いんだ……新開地駅止まりだからか? おのれ神戸海側民め! 山の民の怒りを知れ、あたしは必ず海へ到達してみせる!」


「そんなことより信玄。炭酸せんべいの上にホイップクリームをたっぷりと載せてサンドすれば、きっと美味だろうな。ぐうう~。あっ、想像しただけでお腹が」


「うう、まだ食べ足りないのか? 気持ち悪くなってきた……あたしは実は胃弱なんだ。マリトッツォとか見ただけで胃もたれする」


「そうか。その割に胸とかお尻とか発育していて羨ましい。私はいくら食べてもやせっぽちで悲しい。あむあむ、ぺたぺた」


「こら。あたしの身体にぺたぺた触るな、お前はまったく~! ところで、ここはどこだ? 京都の碁盤の目みたいな道路を歩いていると、迷子になりそうだ……行く先々が、寺、寺、寺。方角がわからない……」


「ここは東山、六道の辻。六道珍皇寺への通り道だ。さらに進むと清水寺に着く」


「六道の辻?」


「六道の辻とは、現世と冥界の境界だ。平安時代、小野篁という美男子官僚がいて、六道珍皇寺の井戸を入り口として現世と冥界の間を行き来していたという。だからここが六道の辻、通称『死の六道』」


「ほう。安倍晴明は聞いたことがあるが、小野篁というやつは知らないな」


「自分の妹と恋仲になったり、その妹が死んだ後も幽霊になった妹と付き合っていたりという奇妙人で、閻魔大王と直接交渉して死人を生き返らせたという逸話もある。死んだ妹とともに冥界へ行くために異能力を身につけたとも。物語の主役になることも多いが、陰陽師安倍晴明が大正義すぎるので少し地味なのだ」


「……吉川あたりに書かせれば盛り上がりそうだが、レディコミよりもドロドロだな……あたしは、さっぱりした戦国合戦絵巻もののほうが好みだ。だが、なぜここが冥界の入り口なんだ?」


「そうだな。きっと葬送地だった鳥辺野に近いからだろう。平安時代の京都は、死者を風葬していた。もともとは都のそこら中に死体が放置されていたが、小野篁が葬送地を鳥辺野をはじめとする数カ所に定めたという」


「……風葬って、要は野ざらしか……葬送地というよりも死体置き場。いよいよ食欲が……」


「あっ、よかった。お目当ての幽霊飴屋さんが開いている。信玄、せっかく京都に来たのだから名物の幽霊飴はちゃんと食べておかないと、もったいないお化けが出るぞ」


「待て謙信、幽霊飴とはなんだーっ!?」


「――時は慶長四年、関ヶ原の合戦前夜。六道の辻の飴屋に、夜な夜な髪の長い女が飴を買いに来たという。しかし、その女が店主に支払った銭は、朝になると必ず六文銭や葉っぱになってしまうのだ……」


「六文銭って、真田で有名な『三途の川の渡り賃』だろうが! 怖い前振りはやめろ!」


「あれ~なんだか怪しいなあ~なんだか妙だなあ~と飴屋の主人が、ある夜、いつものように飴を買って帰ったその女を思いきって尾行すると……追いつけない。おかしい。これは妙だと主人は全力で走ったが、どうしても女に追いつけない。まずい、これはこの世の者じゃないと主人は確信した。だが、どういうわけか足を止められない。主人は、どんどんどんどん女を追っていく。そして――!」


 日頃は無表情な謙信が、くわっ、と目を見開いて信玄の瞳を覗き込んできた。ふんふん、と信玄の鼻先に謙信の生暖かい鼻息が当たってくる。


「やめろ。やめろやめろやめろ! その稲川淳二みたいな口調をやめろ謙信! あと、距離が近い!」


「……そしてその女の姿は鳥辺野で、すうっ……と消えたのだという」


「いや待て、鳥辺野って死体置き場……もうオチが見えてきたから、やめてくれ!」


「そう。実はその女は既に亡くなっていて、墓に葬られていた。飴屋の主人がその墓を確認しに行くと、どうしたことか墓の下から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。墓を掘り出してみると、死んだ女の遺体に泣いてすがりつきながら、赤ん坊が飴を舐めていたという――母親の愛の深さが感じられる、不思議な話だろう?」


「ひいいっ? 謙信、この旅行はグルメツアーじゃなかったのか? あたしを怖がらせるための卑劣な罠だったのかっ? あたしは猪には強いけれど幽霊は駄目なんだ! 物理攻撃が通じないからな!」


「いや、幽霊飴の逸話を聞かせてあげただけだ。せっかくの名物なのだから、逸話を知っていたほうがより美味しくいただけるだろう? 墓から掘り出された赤ん坊は、後に立派な僧侶となったから問題ない。すみません、幽霊飴を十人前ください」


「あたしは一人前でお腹いっぱいだぞ、一人で何人分食うつもりなんだっ!?」


「全部一度に食べるわけではない。飴湯にしても美味しいので半分はお土産だ。ホテルで作って一緒にいただこう――京都よもやま話は、まだまだある」


「お前が怪談好きだとは思わなかったー! 夜な夜な百物語を語るなよ、あたしは泣くぞ! 腕力で倒せないものは、あたしは苦手なんだ!」


「それでは一晩中、般若心経を流しながら寝ればいい。なにも近寄ってこない」


「それも不気味だからやめろ! そんなBGMを流されて眠れるかっ!」


「ところで信玄。実は、京都にある冥界への入り口は東山の六道珍皇寺の井戸だが、冥界からの出口は遠く離れた西の嵯峨にある。ということは、洛中の真下は丸ごと冥界だということになる。むしろ、冥界の上に平安京を築いたかのような。不思議だとは思わないか? そもそも桓武天皇が早良親王の怨霊を畏れて平安京に遷都したはずなのに、なぜ敢えて冥界を王城の地に選んだのだろう」


「知らない、あたしはなにも知らないっ! 謙信、お前がそんな怪異マニアだなんて知らなかった!」


「いや。私はただ、京都の歴史に興味があるだけだ。表の歴史も興味深いが、私は政治音痴だし、闇の歴史のほうに心を引かれるらしい。そう、私は毘沙門天の化身だから――」


「あーっ、こんなヘンな女と二人で京都まで旅行に来るんじゃなかったー! 気の迷いだった~!」


「せっかくだから六道珍皇寺を参拝して、冥界から霊魂を召喚するという『迎え鐘』の音色を聞いていこう。自分で突かせてもらえれば最高に気分が出そうだ、やってみよう」


「召喚するなっ! 召喚するなっ!」


「あ、そうそう。実際には京都の地下は巨大な水盆なのだそうだ。地下冥界は実在しないから安心しろ信玄。ただし――地下で、水盆と見えない冥界が重なりあって同時に存在しているという可能性も、あるかもしれない」


「ない、ない! ああもう茶器騒動以来、この手の話が流行って大迷惑だ、あたしは……」



 六道珍皇寺に参拝した信玄と謙信はその直後、確かに聞いた。

 六道珍皇寺の「迎え鐘」が荘厳に鳴り響く音を。

 だがしかし――奇妙なことに誰も、鐘を衝いてはいなかったのでる。

 武田信玄が「疾きこと風の如く!」と逃げだしたことは言うまでもない。

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