番外編 : 紗那

「ーー紗那、紗那、紗那、紗那……」


 何度も呼び掛けてくる彼女の声で紗那は目を覚ました。

 ようやく目を開いた紗那を見て、彼女はーー緋夏あかなつは安堵する。


「あれ……私、何をしていたんだっけ」


 意識を失う前後の記憶が混濁していた。


「緋夏、私は……どうして倒れているの?」


「覚えてないの? 昨日、紗那は三百年級の空腹の魔物の相手を一人でしていた。でも魔物の腹はどれだけ料理を出されても満たされることなく、紗那は料理を作り続けて……そのまま倒れた」


 緋夏の説明を受け、少しずつ記憶を取り戻していた。

 その記憶は紗那にとっては屈辱的なものであり、自分の実力がまだまだであったことを思い知らされた出来事でもあった。


「私はさ、一級料理人になれて自惚れていた。三百年級の魔物にも私の料理は敵うって、そう信じていたのに……」


「紗那……」


 紗那の瞳は悔し涙が浮かび上がっていた。

 敗北からわき上がる劣等感、幼い紗那にとっては自信の喪失にも繋がっていた。


 三百年級の魔物に対し、十品目の料理を出した瞬間から紗那の調子は崩れていた。

 どれだけ出しても満たされることのない魔物の空腹にただただ脅えていた。それから彼女の料理は乱雑になっていき、しまいには倒れ、こうして店の外で項垂れている。


「私は……到底特級料理人には近づけない。もう、諦めたいな」


 紗那は、初めて誰かに弱音を吐き出した。

 いつも強気を装って、誰よりも強くあろうとした彼女が見せた弱い部分。


「私には料理人見習いの私にとって、十級料理人ですらない私が何言ってんだって話だけど、私は紗那の料理が好きだよ」


「ーーーー」


「楽しい時はその感情が料理にも表れて、踊っているようなたこさんウインナーの大群をメインにした料理を作ったり、悲しい映画を見た時は曇天のようなシチューを作ったりして、一人で十色といろの料理が見れて、料理実習は毎日楽しみにしてたんだよ」


「…………」


「紗那は私の憧れだよ。だからさ、挫けていても、苦しんでいても、諦めたいだなんて言わないでよ」


 ずっと紗那を追い続けていた。

 先陣を恐れずに突っ走る紗那の背中に憧れを感じていた。


「私はね、本当は入ってすぐに辞めるつもりだったんだ。でも、君のような凄い人がいるんだって分かったら、君の活躍を側でみたくなった。いつからかその願いは膨れ上がって、君の隣でアシスタントをしたいとそう思うようになった」


 緋夏は叫び続けた。


「だから、諦めないでよ。失敗したならまた立ち上がれば良い。紗那のカッコいい姿を私に見せてよ」


 緋夏の胸の内の叫びを聞き、紗那はしばらく上を向いて考えていた。


「私は何度も挫折をしてきた。だけど今日のような挫折は初めて味わった。だからかな、本当は泣いてなんかいないんだから。私は、余は今思っているぞ。

 ーー今度こそあの魔の者が満足するほどの料理を振る舞ってやろうと」


 紗那の様子が戻ったことに、緋夏は嬉しさのあまり目に涙を浮かべていた。


「余はもう諦めるなどとは言わないさ。そんな暇があるのなら、特級料理人になるために腕を磨いた方が良いからな」


 誰よりも気高く、カッコいい彼女がそこにはいた。

 一級料理人紗那は天に向かって決断する。


「特級料理人になってやる」


 誰よりも高い目標を、誰よりも早く実現を。


「そうだ。泣いてた事は袰月くんには絶対に内緒だからね」


「うん、分かった」


 紗那の復活を微笑ましく思っていた。


 今の紗那は料理を作りたい衝動に駆られていた。

 身体中の細胞がうずき、彼女を厨房へ走らせた。

 百人ほどのシェフが一度に料理を作れるほどの広々とした厨房の真ん中に、特級料理人クシュル=バインツァルツが待っていた。


「紗那、ようやく来たか」


「まだあの客はいますか」


「戦うのか?」


「はい。あのまま挫けていては、余は余でなくなってしまう気がした。それに、余は誰かを喜ばせる料理人に憧れたのだから、諦めるわけにはいきません」


 特級料理人クシュル=バインツァルツは称える。

 少女の勇姿を、少女の選択を。


「お前が眠る数時間の間に客の空腹が強まってしまっている。それでもやれるか」


「はい、最高の料理を届けます」


「あのお客様は任せたぞ」


「はい」


 紗那は厨房で激しく料理を作り始めた。

 周りから見る者には激しく見えるが、クシュルにはちゃんと見えていた。一つ一つの行程を丁寧にこなしていく紗那の繊細さを。


「さすがは最年少で一級料理人に選ばれるだけはある」


 それから十分ほどで料理を完成させた。


 ステーキの上にステーキを重ね、間には半熟の目玉焼きを挟み込んだ。

 近くにいるだけで肉の分厚いにおいが波のように押し寄せてくる。


「できた。これが私の料理です」

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あやかしと料理人の百食日行 総督琉 @soutokuryu

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