第56話 ライナーとザック リッドと浴衣

「ふぅ……」


迎賓館の二階にある一番大きな部屋に案内されたライナーは、ソファーに腰を下ろしてため息をついた。


明日は王に謁見。


そして、何かしら仕掛けて来るだろうレナルーテの華族の動きを考えると今から頭が痛くなりそうである。


ライナーはリッドの婚姻の件で、本来はレナルーテに来るつもりはなかった。


だが、リッドにナナリーの病気に関わる問題だと言われた以上、行かざるを得なかった。


その後の苦労を思い出すと、今でも頭が痛くなる。


帝都のアーウィンに婚姻の前に候補者としてレナルーテに行くと手紙で伝える時は、婚姻後のバルディア領とレナルーテとの関係強化のためとそれらしい理由を付けた。


許可はすぐ降りたが、当然その結果の報告もしないといけない。


レナルーテ側には皇帝のアーウィンから連絡をしてもらった。


だが、当然そんな連絡が事前に行けば誰でも思うだろう。


バルディア家が王女の婚姻相手の最有力だと。


当然、その反応を予測したライナーは、同じタイミングでレナルーテにいる協力者にも連絡を取った。


その結果、レナルーテの動きはあらかた把握できた。


そして、協力者側の提案とライナーの意見を合わせてあることを実行することを決めた。


今日、王に謁見しなかったのはその最後の打ち合わせをする為でもあった。


そろそろ来る頃だろう。


そう思っていると、部屋のドアがノックされた。


返事をすると入って来たのはザックだった。


彼は部屋に入るとライナーに向かい一礼をする。


ライナーはその場で立ち上がり、自分の正面にあるソファーに座るよう促した。


そして、二人は机を挟んで向かい合う形で席についた。


するとザックは笑顔でおもむろに言葉を紡いだ。


「いやはや、ライナー様のご子息は将来が楽しみで、末恐ろしいですな」


「はぁ……また、リッドが何かやらかしたのか?」


ライナーはザックの言葉でまた規格外なことをしたのだろうと、眉間に皺を寄せた。


その様子を見ながらザックは楽しそうに話を続ける。


「いえいえ。部屋にエルティア様の絵を飾っていたのですが、見惚れていらっしゃったので、ファラ様の母上であることをお伝え致しました。最初は気恥ずかしい様子でしたが、途中から思慮深い顔をいたしましてね……」


「はぁ……それで?」


もったいぶるような言い方をするザックに、ライナーは息子がまた「規格外なことをしたな」と察した。


「はい。『絵に見惚れた自分であれば、ファラ王女に一目ぼれするかも知れない。その時は応援してほしい』と言われました。飾られていた絵の意味。レナルーテの政治状況。私の立ち位置などを素早く理解しておられました」


「……リッドのやつ、爪を隠すということを知らんのか」


リッドのことを話すザックは満面の笑みで語っていた。


対してライナーは少し忌々し気に呟くと、首を力なく横に振った。


「そう、仰るな。リッド様は私とライナー様の関係をしりません。それに、あの聡明な様子、今から将来が楽しみです。私個人は全面的にリッド様を応援する所存です」


ライナーは少し驚いた表情をした。


ザックの立場を知っているからだ。


「貴殿の立場を考えると、リッドが貴殿を落としたことは私にとってはこの上なくありがたいことだな。だが、何故そこまで惚れ込んだ? 貴殿の性格からすればあまりないことだと思うが?」


ライナーの言葉を聞いた、ザックは笑顔を崩さない。


ただ、眼光の鋭さが増した。


「先ほども言った通りでございます。将来が楽しみだと。それに我がリバートン家所縁の王女がリッド様と婚姻出来る。これは、今後を考えると、皇族と婚姻するよりも遥かに良い見返りがありそうです」


「……貴殿にそこまで言わせるか……。我が息子ながら規格外この上ないな」


ザックの言葉を聞き終えたライナーは肩をすくめると、腰かけていたソファーに背中を預けた。


その様子をザックは微笑んで眺めていた。


ザック・リバートンはライナーの協力者だ。


だが、彼は王の側室であるエルティア・リバートンと血の繋がりがあり、現リバートン家の当主でもある。


そして彼が秘密裏にまとめている組織がレナルーテの諜報機関だ。


当然、王命を直接受ける立場でありエリアス王との繋がりも深い。


そんな彼がリッドを全面的に支援すると言う。


この言質を取れただけでも今回、レナルーテに来た意味に繋がる。


それほどの人物をリッドはライナーの知らぬところで誑し込んだ。


確かに、ザックの言う通り末恐ろしいと言っていいのかもしれない。


ライナーは眉間に皺を寄せながら、思慮深い表情になっていた。


そんなライナーにザックは軽い様子で言った。


「それはそうと、将来リッド様とファラ様には子宝に恵まれて頂き、可能であれば我がリバートン家の跡継ぎもお願いしたいと思っているところです」


「ブッ⁉」


ライナーは思わず噴き出した。


まだまだ子供の婚姻に何を言い出すのか。


「ダークエルフにとって幼少期など人生のほんの一瞬でございます。婚姻が無事に決まった暁にはライナー様にもお二人の関係を応援してほしいものですな」


「それは、当人達の問題だ……私の関与するところではない」


ダークエルフは長寿であるせいか時折、人族のライナーでは理解しがたいことを言う時がある。


ライナーはザックの言葉にただ首を横に振るだけだ。


そんな様子を楽しそうに見ていたザックだが、サーっと笑顔が消える。


その様子に気付いたライナーも厳格な雰囲気に戻る。


「では、そろそろ本題です」


「うむ」


二人はその後、明日のエリアス王との謁見。


そして、反対派の華族達の動きなどを確認していった。


それからしばらく、話し合いは続いた。



「こんなところですな」


「わかった。明日起こることに関して、私は目を瞑ろう」


「ありがとうございます。では、私はこれで失礼致します」


ザックはライナーとの話し合いが終わると席を立ちあがり、部屋を後にした。


部屋に残されたライナーは打ち合わせの内容を思い返していた。


そして、明日のことを考えると自然と意地の悪い笑みが人知れずこぼれていた。





リッドは温泉から部屋に戻ると護衛のディアナに考え事をしたいから、しばらく一人にして欲しいと伝えた。


彼女は最初、渋ったが部屋の外、ドアの前で待機してくれることで折れてくれた。


というか、寝る時はどうするつもりだろう?


彼女が部屋を出ると僕はベッドの上に仰向けで寝転がると「メモリー」を呼んだ。


「やぁ、リッド。随分と悪戯を楽しんでいたじゃないか?」


「悪戯って……まぁ、ディアナに軽い意趣返しのつもりだったのだけどね。まさかあんなことになるなんて思わなかったよ」


リッドからしてみれば「風呂上がりの浴衣姿の女性」は前世の記憶から見慣れている。


とはいえないが衝撃は受けない。


だが、ルーベンスは違ったようだ。


そもそも、お風呂自体が高級なのでディアナの風呂上りの姿をルーベンスが見たのはあの時が初めてだろう。


加えて彼は初めてみるディアナの浴衣姿だ。


今になってあれはやり過ぎたと思う。


恐らく、マグノリアの文化から考えて浴衣は女性が着る服ではかなりの薄着の部類になるはずだ。


風呂上りで、色気に満ちたスタイル抜群の恋人。


しかも、彼は初めて見る浴衣という薄着姿にも相当衝撃を受けたはずだ。


その結果、ルーベンスの理性が飛んであの二人の世界になってしまったのだろう。


ディアナも自分の魅力でルーベンスの理性を飛ばせたことに嬉しくて、その場の雰囲気に酔って流されてしまったのかもしれない。


そうでなければ騎士の二人があそこまで暴走しないと信じたい。


浴衣の魅力がすごすぎたと思うことにした。


僕の考えていることが伝わったのかメモリーが悪戯っぽく声をかけてきた。


「ちなみに、君はその時の事に加えて、お風呂でのディアナをとても意識的に見ていたね。必要ならいつでも瞼の裏に写せるよ? なんだっけ、録画再生? みたいな感じかな?」


「ブッ‼ 要らないよ‼」


確かにとても衝撃的だった。


だけど、そんな記憶まで好きに見ることができるのか。


そう思うと少し男心が擽られるような気がした。


すると見透かしたようにメモリーの声がした。


「あ、いま邪な考えをしているでしょ? 駄目だよ? 僕、そんな依頼は断るからね?」


「だから、要らないって‼ というか言い出したのはメモリーでしょ‼」


メモリーは絶対にクスクスと笑っていると確信できる。


でも、そんなことより聞きたいことがある。


僕はため息を吐いてからメモリーに質問した。


「はぁ……もうその件はいいよ。それより、新しい情報あるかな?」


「ごめん……ないね」


うーん。


やっぱり間に合わなかったか。


まぁ駄目もとだったからそれはいいか。


それより、折角だからもう一個お願いしよう。


「わかった。それなら、別件で石鹸の作り方もしくは代用品の記憶がないか調べてくれないかな?」


「石鹸の作り方もしくは代用品ね。わかった。それも調べてみるよ」


「ありがとう。とりあえず今日はそんなところだね」


「わかった。じゃあ、リッド明日頑張ってね」


「はーい。ありがとう」


僕はメモリーにお礼を言うと通信を切った。


やりとりが終わったあと、部屋の外で待機してくれていたディアナを呼び、部屋に入ってもらった。


ディアナはいまメイド姿だ。


浴衣は魅力的だったけど、さすがに護衛中に着る服じゃない。


そう思った時、ある提案が浮かんだ。


「ね、ディアナ」


「はい。なんでしょうか?」


「浴衣を何着か貰って帰る?」


「……‼ よ、余計なおせ……ゴホ、ゴホン。……謹んでご遠慮申し上げます」


いま、絶対に「余計なお世話」って言おうとしたよね。でも、ディアナはいらないのか。


「それは残念だな。すごく似合っていたのに……」


「うぅ……。それでも、浴衣は謹んでご遠慮申し上げます」


「わかった、欲しくなったらいつでも言ってね」


「……わかりました」


ディアナは今日の失態ともいうべきことでも思い出しているのだろう。


僕との会話中は終始、顔が赤くなっていた。



ちなみにこのやりとりの後、結局ディアナからは浴衣について何も言われなかった。


だけど、僕はまた悪戯心で浴衣の話を後日、こっそりとルーベンスにもしてみた。


すると彼からの答えは「是非、お願いします‼」だった。


何故、欲しいのかはあえて聞かなかった。


後日、ザックに浴衣が何着か欲しいと伝えて了承をもらったが怪訝な顔をされた。


「若い騎士が一人、女性の浴衣姿が気に入ったようでして……」


と説明したら、予想外の言葉だったようでザックは目を丸くした。


あと、何かを察してひたすら笑いを堪えて肩を震わせていたのが印象的だった。


その後、ルーベンスに浴衣を渡したらとても喜んでいた。


だが、ルーベンスの話を聞きつけた他の騎士、男性陣全員からも浴衣が欲しいと言われたのは予想外だった。


僕はまたザックにお願いすることになった。


ザックは僕の話を聞くと、肩を震わせ口元を手で押さえてしばらく実に苦しそうに震えていた。


それでもザックさんは浴衣を全員分用意してくれた。


本当に頭が下がる思いだ。


僕としてはいつも騎士団の皆にはお世話になっているからそのお返し程度のつもりだったのだが、全員から凄く喜ばれた。


その様子を見て、これは商売に繋がるかも? と思いクリスに事情を話して浴衣を輸入するように依頼した。


事情を聞いたクリスの顔は珍しく白けていたのが印象的だった。


だが、この浴衣は何故か男性から恋人もしくは妻に贈る品としてバルディア領で大流行した。


そして、帝都にもその話が伝わり帝国全土で流行ることになる。


だが、それはまた別のお話である。

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