第55話 温泉

「リッド様、そろそろ温泉に移動した方がよろしいかと存じます」


「え? ああ、そうだね。ザックさん、案内してもらっても良いですか?」


ディアナの声でハッとすると思ったより時間が過ぎていたことに気付いた。


意外に話し込んでいたらしい。


「ええ、承知致しました」


先程までザックと色々と話していたが、ディアナに温泉のことを急かされて迎賓館の中を移動し始めた。


それにしても、ディアナがやたら温泉を押している気がするのは気のせいだろうか? 


「こちらでございます」


案内された温泉の出入り口には赤と青の「のれん」がかけてある。


すごく見たことのある風景に少し呆気に取られてしまった。


しかも、のれんをよく見ると漢字はさすがにないが、見たことのある温泉マークが描かれている。


川っぽいマークを湯気に見立て、そのマークの少し下を円で囲むようにデザインされたものだ。


恐らく日本人ならだれでも一度は見たことがあるのではないか? 


そう思わせるものだった。


「青が男性。赤が女性となりますので、入るときはご注意下さい。それからお湯が熱すぎる場合は恐れ入りますが、係の者に申し伝え下さい」


「わかった。ありがとう」


ザックは一礼してその場を後にしようとしたが、ふと気になることが頭に浮かび質問をした。


「そういえば、迎賓館の温泉のお湯ってどうしているの?」


温泉と言っても確か、成分によって危なかったりしたはず。


それに、この世界には電気などもないから、どうしているのだろう? 


と、疑問を抱いたわけだが、ザックはすぐに答えてくれた。


「ご安心下さい。ここの温泉は人体に問題はありません。源泉と水路をつないでおりますので、お湯はそこからです。また、温度に関しては「湯もみ」を行って調整しております」


ザックは言い終えると再度、一礼をしてこの場を去った。


湯もみと言えば、草津温泉とかでしているやつかな? 


船の櫂みたいな棒で混ぜて温度調整していた気がする。


とすれば源泉のみのかなりいい温泉ではないだろうか? 


質問して良かった。


僕の温泉に対する期待度が上がった。


だけど、ディアナも目を輝かせている気がする。


でも、長旅の疲れもあるし、ディアナにもゆっくりしてもらいたい。


そう思い、僕はディアナに言った。


「僕は一人でも入れるから、ディアナもゆっくり入ってきなよ」


「……いえ、護衛の任務がありますから、そういうわけには参りません」


「気にせず入りなよ。お風呂ぐらい大丈夫だよ。もし、気になるならルーベンスでも呼んで、風呂場の前に立たせておいたら?」


僕は冗談交じりにいったのだが、ディアナの目が輝いた。


「……それ、名案ですね」


彼女はそう呟くと近場にいたダークエルフのメイドに声をかけた。


ディアナの言葉を聞いたメイドは僕たちに一礼をしてその場を後にした。


ルーベンスを呼びに行ったのだろうか? 


彼も疲れているから寝ているだろうに。


少し気の毒に思ったが、考えたらディアナはルーベンスの彼女だ。


なら、そんなに気にしなくて良いのかもしれない。


「リッド様、私はここでルーベンスが来るのを待ちますので、先にお入り下さい」


「わかった。護衛は最悪ルーベンスに全部任せていいから、ディアナもゆっくりしてね」


「ありがとうございます」


ディアナは僕の言葉に一礼すると、姿勢を正してのれんの前に立った。


うん。門番みたいだ。


僕は「じゃあ、先に入るね」とディアナに声をかけ青いのれんをくぐり、その先の通路を進んで脱衣所の中に入った。


「うわー、見たことのある風景だなぁ……」


そこは前世の記憶にある温泉とよく似た脱衣所だった。


棚が何個もあり、各棚には脱いだ服を入れる籠が入っている。


それを、引き出すと僕は驚いた。


「タオルと……うん? これは……浴衣だ」


僕には残念ながらサイズが合わないが、浴衣に間違いない。


迎賓館がますます高級旅館に思えてきた。


僕は服を脱ぐと、温泉の浴室の洗い場に移動した。


移動する時に温泉に目をやると岩風呂の露天風呂だった。


良い、とても心擽る温泉だ。


早速、体を洗おうとするがそこで気が付いた。


石鹸がない。


そういえばこの世界ではまだ石鹸は高級品だったはず。


さすがの迎賓館でも置いていないらしい。


少し残念だが僕は諦めて体にかけ湯をしてから温泉に浸かった。


「いい湯だなぁ~……」つい言葉にしてしまう。


僕は温泉につかりながら「石鹸」に関しても何か出来ないか考えることにした。


こういう時こそ「メモリー」だ。


そう思った矢先、脱衣所から音がする。


誰だろうか? 


ルーベンスか父上かな?


と、思いながら脱衣所をのんびり眺めていた。


そして人影が目に入り、やがてそれが女性だと理解した。


「リッド様、失礼いたします……」


「へ……?」


僕は予想外の入浴者に呆気に取られた。


そして、間の抜けた返事をしてしまい、そのまま固まってしまった。


え? なんで? ディアナが来るの? 女湯いかなかったの?


いや、そもそもルーベンスは来ていない? 


あまりの出来事に頭が混乱する。


そして、ボーっと彼女、ディアナの裸体を眺めてしまった。


「……リッド様、さすがにそんなに見られると恥ずかしいです」


ディアナの言葉に僕はハッとした。


その瞬間、僕は激しい水音を立てながらディアナとは反対方向を向いた。


そして顔を赤くしながら強く言った。


「ディアナ‼ なんで男湯に入ってくるの⁉」


「え? 護衛のためですが……?」


ディアナは当然のように僕に言った。


温泉まで来るのが護衛の役割だろうか? 


脱衣所前に立っていても良い気がする。


「ル、ルーベンスは?」


「はい。来ました。なので、のれんですか? あれの前に立っていますよ」


会話しながらディアナが岩風呂に近づいているのを感じた。


「なら、女湯‼ 隣に行けばいいじゃないか⁉」


「リッド様、何を言っておられるのですか? 今のタイミングが一番危険なのですよ? それに、ザック様の様子を見るかぎりレナルーテも様々な動きがあるでしょうから」


確かにディアナの言っていることは正しいかもしれない。


でもそれと、これとは別だ。


「ふふ、リッド様。何をそんなに戸惑っているのですか?」


ディアナは僕の真後ろまで近づいてきて、耳元で囁いた。


顔が真っ赤になっていくのを感じる。


これ以上は危険な感じがする。


というか、婚姻の候補者が護衛とはいえ女性と入浴しているのはまずいのではないだろうか? 


そう思い、お湯から立ち上がると言った。


「ぼ、僕はもう上がるから、ディアナはゆっくりしてきて‼」


「それはダメです」


僕は目を瞑りながらディアナの横を通り過ぎようとして、腕をディアナに掴まれてしまった。


咄嗟にディアナに振り返って叫んだ。


「なんで⁉」


「先ほど、ゆっくり浸かっても良いと仰ったではないですか? 私はリッド様の護衛を兼ねておりますから、リッド様が上がると一緒に出ないといけません」


振り返った僕はさらに顔が真っ赤になった。


咄嗟の事で目を開いてしまった。


そして、ディアナの綺麗な体をしっかり見てしまった。


「な、ななな……」とたじろいでいると、ディアナはクスクスと笑い始めた。


「リッド様は本当に面白いお方ですね。まだ小さな子供なのですから、私とお風呂に入っても誰も何も気にしません。それより、気にする方がおかしいと思いますよ?」


確かにその通りかもしれない。


でも、僕の中で何かがダメだと言っている。


前世の記憶の僕は普通に邪な気持ちは人並みにあったと思う。


でも、今の僕はディアナを邪な気持ちでなんか見ることは出来ない。


ディアナというか女性がとても尊いものと感じるようになったからだ。


僕は深呼吸をしてから、深いため息を吐いた。


そして、ディアナに言った。


「はぁ……わかったよ。でも、僕は出入口近くの所でディアナを見ないようにするから、上がりたくなったら言ってね」


僕の言葉にディアナは少しきょとんとしてまたクスクスと笑い始めた。


「ふふ、ありがとうございます。でも、私はそんなに魅力がないですか?」


ディアナはまたからかうような意地悪な顔をして言ってきた。


僕は頭をがっくりさせて呟いた。


「そんなわけないでしょ……? その逆だよ。ディアナはとても綺麗で誰だって目を奪われる。そんな美しさを持っているよ? そんな、色気を子供に見せたらそれこそ教育上良くないよ……」


「あら……」


お風呂でのぼせてきたのか、今度はディアナの顔が赤くなった。


大丈夫だろうか? 


僕は心配になり声をかけた。


「ディアナ、大丈夫? 顔が赤くなっているよ? のぼせてない?」


「……リッド様なら、ザック様の言う通りファラ様をきっと大切になさるのでしょうね。はぁ、ルーベンスに見習ってほしいぐらいです」


顔を赤くさせつつ、少し残念そうな表情をしてディアナは呟いていた。


「ファラ王女のことはわかるけど、なんでルーベンス?」


「……なんでもありません。それより、もう少し温泉につかりましょう」


「あ、うん」


その後、ディアナにからかわれることはなかった。


ただ、気になった事としてルーベンスとどうなのかを聞いたら、「そのことは今、聞かないでください」と怒られてしまった。


ルーベンス、お前はディアナに何をしたのだ?


それから少し温泉で温まってから順番に上がった。


先に僕があがり、次にディアナがあがった。


脱衣所ではディアナの体を見ないように気を付けた。


すると、ディアナから「これ、どう着るのですか?」と聞かれて浴衣の着方を伝えた。


でも、口頭だけでは伝わりにくいから最後は手伝った。


浴衣を着たディアナは湯上りで血色の良い肌なども重なって凄い色気を醸し出していた。


それに、騎士をしているからディアナは姿勢がとても良い。


その姿勢の良さがより浴衣の魅力を引き出していた。


僕はちょっとした悪戯心からディアナにお願いをした。


「お願いなのだけど、その姿をルーベンスに見せようよ。絶対、反応面白いよ」


「え?……ま、まぁ、リッド様のお願いでしたら……」


ディアナは恥ずかしそうに、ルーベンスがいるところに向かった。


僕はニヤニヤしながら脱衣所からその様子を見ることにした。


のれんから脱衣所までは少し通路がある。


だから、脱衣所を出て通路から、のれんのある方を見れば、二人のやりとりだけは見ることが出来るわけだ。





「ふ…う……」


ルーベンスは眠気からきたあくびをかみ殺して直立不動でのれんの前に立っていた。


部屋で眠りかかっていたところに、ダークエルフのメイドがやってきた。話を聞くとディアナが護衛を一時的に交代してほしい、ということだった。


すぐメイドにディアナがいるところに案内してもらった。


交代の理由を聞くと、リッド様の護衛で温泉に入るからと聞いた。


以前からディアナが温泉に入りたいと言っていたからこの機会を逃すまいと思っているのかもしれない。


俺は快く引き受けた。


そして、結構な時間が経過したわけだが、「長いな……」温泉とは、かくも長いものなのか?


と、ため息を吐いていた。すると、のれんの奥からディアナの声が聞こえてきた。


「ルーベンス、少し良い?」


「うん? どうした? リッド様の護衛はだいじょう……」


ディアナがのれんの奥から現した姿を見て、ルーベンスは絶句して彼女に目が釘付けになってしまった。


普段の姿とは想像できないほどの色気が彼女から溢れていた。


潤いと瑞々しさを感じさせる血色の良い肌。


温泉上がりで濡れた髪は下ろされておりとても艶がある。


彼女が普段しているポニーテールとはまったく違う魅力が出ており、そのギャップがルーベンスの目をより釘付けにする。


色気にたじろいでいるルーベンスにディアナは少し顔を赤くして上目遣いで声をかけた。


「この服どうかな? レナルーテの服で「ゆかた」っていうらしいの……似合っている?」


「あ、ああ……」


ルーベンスは口元を自然と手で隠していた。


そして、ディアナから視線を逸らした。


彼女があまりにも魅力的だからだ。


それでも、ついつい目はチラ見をしてしまう。


ディアナのゆかた姿は色気に満ちていた。


所作が綺麗なことに加えて、リッドでは気付けなかった魅力がルーベンスの目には映っていた。


浴衣で隠しきれていない、ディアナの胸の谷間である。


恐らくディアナ本人も気付いていないかもしれない。


その為、彼女が体を動かすたびにルーベンスの理性を追い詰める。


だが、ディアナはそれに気づいていない。


それどころか、ルーベンスが目を逸らしたことで少しシュンとしてしまった。


「……やっぱり、私には浴衣似合ってない? リッド様が私のゆかた姿がとても良いから、ルーベンスに見せて欲しいって言われたのだけど……」


「‼…… そんなことはない‼」


ルーベンスは強くはっきりと「似合っていない」という言葉を否定した。


そして、逸らしていた目をディアナに向けた。


ディアナは少しシュンとしながら、上目遣いでルーベンスを見上げている。


そんな目をルーベンスはまっすぐ見つめた。


見つめ合っていくうちに二人の息と鼓動が同調していく。


そして、気持ちの高ぶりが言葉を出さずともお互いに伝わっていった。


ルーベンスは浴衣の上からディアナの腕を握り、のれん奥の通路側、外から見えない壁に優しく彼女を押し付けた。


握られた腕も壁に押さえられたディアナだが、抵抗はしなかった。


それどころか、潤んだ眼を泳がせながらルーベンスに向ける。


そして、少しだけ頷いて彼を受け入れる合図を目で送った。


ルーベンスはその様子に魅了され気づくとディアナの唇を塞いでいた。


「ンウ……ン」


その場は二人の熱く、妖艶な世界に包まれた。


「ディアナ、綺麗だ。愛している」


「私も……」


もはや完全に二人の世界に入り込んでいる。


しかし、彼らは忘れていた。


何故ここにいて、自分たちの役割はなんなのか?


二人だけの世界から戻るきっかけ。


それは大きな、とてもわざとらしい咳払いだった。


「ゴホッゴホゴホ、ゴホン‼」


その咳払いを聞いた瞬間二人は我に返った。


ディアナはあまりの恥ずかしさに珍しく悲鳴を上げた。


「きゃぁああああ‼」


「いってぇ‼」


悲鳴と合わせて頬が激しく叩かれる音が「のれん」の通路に鳴り響いた。


ディアナは全身を真っ赤にさせて顔を両手で覆ってしゃがみ込んでいる。


対してルーベンスはディアナに叩かれた頬を手で押さえながら目を丸くしていた。


そこに、一人の子供がのれんの通路奥からやってきた。


実に気恥ずかしい様子を醸し出してその子供は二人に対して言った。


「えーと。僕は何も見ていないから安心してね?」


ルーベンスとディアナは二人とも先ほどの自身の様子を思い出しているのだろう。


ゆでだこのように真っ赤になっていた。


その後、悲鳴を聞きつけたザックやメイド達がやってきて少し騒ぎになった。


だけど、ディアナが脱衣所で虫に驚いて悲鳴をだした。


そして、駆け付けたルーベンスをビンタしてしまった。


と、ラブコメのテンプレみたいな説明してみたところ案外納得してくれた。


その説明中もルーベンスとディアナは赤いままだった。


騒ぎが落ち着くと集まっていた皆がいなくなり、その場は僕達だけになった。


その時、僕は二人に念押しでもう一回伝えた。


「僕は何も見てないからね?」


僕の言葉に二人はまた真っ赤になるのだった。

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