ピエロを探す

大垣

ピエロを探す

 『ピエロを探しに行こう』

 午前、僕が休日なのにすることもなく、半ば放心状態でスマートフォンを見ていた時、突如として画面に現れたポップアップ通知にはそう表示されていた。

 僕はそれを見て少しの間どういう意味なのか考えた。が、考えても答えは直ぐには出そうになかったので、諦めてトーク画面を開いた。

 『ピエロを?』

 僕はそう打った。僕が打った文字に既読マークは三秒も待たずに付けられた。

 『うん。ピエロを』

 『どうして?』

 『見たいから』

 『他に理由は?』

 『特になし』

 (やや間が空いて)

 『車お願い出来る?』

 僕は一瞬天井を仰ぎ見てから文字を打った。

 『いいよ』

 1時間後に✕✕駅の北口に集合ね、と彼女は言うと、僕からの返事に既読が付くことはなかった。

 僕はスマホをテーブルの上にごとりと置いた。窓の外を見ると、暖かな春の日差しが降り注いでいる。こんな日にピエロを探しに行くのもまあ悪くはあるまいと思った。


 僕は言われたとおりに駅の北口の停車場に車を停めた。彼女はすでにワンピースにデニムジャケットを羽織り、真っ白なスニーカーを履いて立っていた。あれがピエロを探すための適切な服装なのだろうか。彼女の今日の予定がピエロを探すことだと誰も想像できないだろうと思った。

 「待った?」

 「全然」

 助手席に乗った彼女は僕を見て柔らかに微笑した。

 「どこに行くの?やっぱり遊園地とか?」

 「そうだね。まずはこの辺で一番大きなとこから行ってみよう」

 「そうなるとあそこだね」

 僕は停車場から車を動かした。恐らく彼女が考えている所と一緒なはずだった。

 それにしてもピエロか、と僕は思った。今の時代、正真正銘のピエロは中々いないかもしれない。大抵はその遊園地やテーマパークのオリジナルのキャラクターを持っているし、それに比べるとピエロはちょっと不気味だ。

 「ピエロを見つけてどうするの?」

 僕は彼女に聞いた。

 「別に。どうもしないよ。ただちょっと見たくなっただけ」

 まぁそんなところだろうな、と僕は思った。

 僕はちらりと彼女の顔を見た。彼女の目は早咲きの桜並木を家族で見に行くような期待と、失くした大切な何かを探すような必死と不安を感じさせた。

 彼女は答えた後は黙ってフロントガラスの奥を見つめていた。


 遊園地に着くと、駐車場から大きな観覧車とジェットコースターが見えた。僕と彼女はチケットを買ってとりあえず園内に入った。遊園地は休日の昼間だけあって多くの人が居た。カップルや子供連れが楽しげで和やかな笑みを見せている。

 「いつぶりだろう。遊園地なんかに来るのは」

 「お互いそういう柄じゃないもんね」

 僕たちはジェットコースターやお化け屋敷のようなものには目もくれずに、ただピエロを探して園内を歩いた。しかし遊園地に居るのは子供と戯れる犬や猫のようなキャラクターの着ぐるみばかりだった。

 「ピエロは居ないね。やっぱりこういう大きい所はオリジナルのキャラクターがいるんだよ。わざわざピエロなんて出しやしないさ」

 一通り見て回って入口まで戻ってくると僕は言った。

 「うーん。残念」

 それから僕と彼女は念のため園内に居た若い男の従業員にピエロが居るか聞いてみた。

 「あの、すいません、ピエロって居ますか?」

 「ピエロ?」

 「赤い鼻を着けて、あと髪も赤い。顔は……白粉っていうんですか?真っ白で……」

 「ジャグリングなんかしてると最高」

 「いや、ウチにはいないですねぇ。今時ピエロは子供が怖がっちゃうと思いますよ」

 従業員はそういって苦笑いを浮かべた。


 「どうする?」

 車に戻って僕は遊園地で買ったシナモン・チュロスを食べながら彼女に聞いた。彼女はシンプルなホットドッグを頬張った。

 「次、行ってみよう」

 「オーケー」

 僕は短くなったチュロスを口に放ってから車を動かした。

 遊園地は当然かもしれないがそんなに近くに何個もあるわけではなく、いくらか移動する必要があった。

 「音楽かけてもいい?」

 「いいよ」

 僕は車に繋いであるアイポッドを彼女に渡した。

 「何かける?」

 「うーん」

 僕は少し悩んでハンドルをとんとん指先で叩いた。

 「オアシスの『モーニング・グローリー』にしよう」

 「オーケー」

 (『ハロー』が流れる)

 「ところでピエロのどんなとこが好きなの?」

 僕は彼女に聞いた。

 「うーん、別に好きってわけではないかな。ただ、何かね」


 今度の遊園地は海沿いに作られ、さっきよりもかなり小さかった。目を引く大きな観覧車とメリー・ゴーランド、それとゴーカートのようなアトラクションがいくつかあるだけだった。僕と彼女はチケットを買うと、また乗り物にも乗らずに園内を歩いた。しかしやっぱりピエロは居なかった。

 「うーん、居ないね」

 彼女は残念そうに言った。

 「観覧車でも乗る?」

 「また今度ね」

 僕は早くも足の裏が痛くなり始めていた。


 それから僕と彼女は車で二時間程かかる辺鄙な場所の遊園地や、明らかに小さい子供用に作られた遊び広場など、思い付く限りのあらゆる場所の、あらゆる遊園地やテーマパークらしき所に行った。それでもピエロはどこにも居なかった。気がつくと日は傾き始め、空は段々と茜色に染まり始めていた。


 「ピエロ、居なかったね」

 「うん。もうちょっと疲れちゃったよ」

 「ごめんね」

 「良いよ。どうせ暇なんだ」

 「でも残念だったな」

 彼女はこの日初めて純粋に悲しそうな顔をした。僕はその夕陽に照らされ僅に紅潮とした、欲しいものを買って貰えなかった無垢な子供のような顔を見て、ふとあることを思いだした。

 「いや居る。居るよ、ピエロ」

 「え?」

 僕は急いで車のギアを入れた。

 僕は車を元いた街から少し離れた、海が眼下に見える曲がりくねった峠道まで走らせた。僕はその道の一角に作られ小さな展望広場の駐車場に車を止めた。木の柵で囲われた展望広場には松の木が幾らか生え、切り立った崖の上から途方もない海がよく見えた。

 僕は急いで車を降りた。後ろから風が髪を巻き上げ背中を押し、蝋燭の火のような夕陽が名残惜しそうに光っている。

 「前にこの辺をドライブしたんだ。確かここに……。ほら、居たよ」

 僕は指を差して駆け寄った。彼女は僕の後ろからゆっくり来るとそこにしゃがみ込んだ。

 それは確かにピエロだった。ピエロはベンチの脇に立っていた。僕の腰ほどの高さしかなく、大きなハンマーで頭からペチャンコにされたようだった。紅白に彩られていたはずの顔は海風に曝れ、灰色の石材があらわになっていた。手足や体の所々も欠けて剥がれ落ち、年月の長さと過酷な環境を思わせた。よく見るとマジックで落書きもされていた。

 それでもピエロは健気で気丈に、まるでこれが自分の使命であると分かっているかのように、その大きな口を耳元まで上げてにっこりと笑って立っていた。その屈託のない笑顔はとても美しいように思えた。

 「どう?」

 「うん。やっぱり良いね」

 彼女もそういって優しく笑うと、オレンジの太陽が海に溶け込むまでいつまでもピエロを見つめ続けていた。

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ピエロを探す 大垣 @ogaki999

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