月下のフィナンシェ
「おう、待たせたな」
サヤマは新しい皿をテーブルに置いた。皿の上には小さな
「これは……
「ああ。そうだ。名付けて『
卵。また卵か。フッサは口には出さずにフィナンシェを手に取った。焼き菓子ではあるものの、クッキーほどには固くはない。さくり、と程よく弾力のある食感だ。口の中でほどけると、甘みと共に香ばしいナッツとバターの香りが鼻に抜けていく。
「うん。
「だろ? そいつも卵を使ってんだけどな、白身しか使わねえんだ」
「
「使わねえ。他のドルチェ行きだ」
もう一口、今度は注意深く味わってみた。確かにプディングの時のような玉子感は感じない。広がるのは、バターとナッツの香りばかりだ。手にしたフィナンシェをじっと見つめるフッサを見て、サヤマが笑った。
「いいか、
「まとめ役、ですか」
「ああ。それは卵黄でも卵白でも同じだ。ただ、卵黄はそれだけでなく、卵黄自体に強い味と、色と、香りがある。ドルチェをまとめる際にも、卵白よりも固まりやすい。結果、どっしりドルチェを纏め、その中心で自身が輝く。そこに入れるだけで主役になるポテンシャル。ドルチェの強固なまとめ役でありカリスマ。それが
フッサはサヤマが何を言いたいのかわかってきた。が、「誠意を示したいのであれば、黙って相手の話を最後まで聞け」というのが師匠の教えだ。手にしていたフィナンシェを皿に置き、テーブルの上で組む。その様子を見てサヤマは目を細めた。
「さて、相談役。そろそろ白身の話をしよう。卵白はあまり目立たない。卵白自体に色があるわけでもなく、味も、香りもほぼしない。だが、あると無いとでは大違いだ。なんせ焼いたドルチェがまとまらねえんだからな。卵白が無きゃ、いくらいい材料をかき集めても、ただのボロボロでカサカサの寄せ集めだ。卵黄ほど強固に固めるってわけでは無いが、より多くの材料をゆるやかにひとつに纏める。そして、自分以外の材料の個性を前に押し出し、輝かせる。そこに入れておくだけでドルチェに調和を産み出す裏方であり影の
確かに、先ほど口にしたフィナンシェの主役は、バターであり、ナッツの香りだった。そこに卵の気配は無い。だがそれでも、いや、だからこそ、バターとナッツの個性がより際立っていたのかもしれない。
そう考えているフッサの目の前に、何やらディップを付けたフィナンシェが差し出された。
「俺の故郷のディップ、サヤマチャとアズキのクリームだ。これで食ってみろ」
フッサは言われるまま、
「今まで食べた事ない組み合わせだ。これはこれで、おいしいですね」
「だろ? 白身にはそういうところがある。いろいろな個性を受け入れ、まとめるところが。自らを強く主張しない白身だからこそできる役割。どうあがいても自分が目立っちまう黄身にはできない懐の深さ。フッサ、それがお前の役目だ。ナッシモじゃできない裏方仕事も、お前ならできる」
「師匠……ありがとうございます」
サヤマは頭を下げるフッサの肩を、ポンポンと叩いた。
「そういうのは苦手なんだ。やめてくれ。それにな、フッサ。お前にはナッシモはもちろん、俺にも無い武器がある」
「俺に? 何ですか」
「お前は……」
サヤマは言葉を切ると、片眉を上げた。
「お前はカオがいい」
ニヤリと笑い、コーヒーカップを軽く上げる。フッサは苦笑して両の掌を上にする。
「勘弁して下さいよ」
「はは。でもなフッサ、お前はいいカオしてるぜ。目鼻立ちは整ってるし、物腰も柔らかくて如才ねえ。それは大きな武器になる。喧嘩っ早い奴か、相手を出し抜く事しか考えてねえ奴だらけのこの稼業では特にな。すぐに頭に血が上って手を出す奴らでさえ、お前のカオにはそれを躊躇わせる雰囲気がある」
「それは単に、ナメられてるんですよ」
「あるいはな。だが、そこに交渉の余地が産まれる。ナッシモだったらそうはいかねえ。口より先に手を出しちまう。あいつの回りの連中もそれを望んでる。だが、お前は違う。だからヴィットーリオも俺も、お前を相談役に推したんだ」
「……ありがとう。師匠。吹っ切れました。俺は俺。ナッシモはナッシモ。俺は俺の仕事をやり遂げます」
「それでこそ我らが相談役だ。……で、どうなんだ。本当にヴェスギーノの連中にカジノ・ゴエージョを差し出すのか」
「ええ。それしかないんです」
フッサは自分に言い聞かせるように頷いた。
「それしかないんです。ナッシモの命を助けるには」
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