第2話 ゴロドク
『箒が戦闘機を落としたって? 誰がそんな嘘を信じるもんか』
「嘘じゃありません、中佐。われわれ全員が、ユーリー・サバエフ少尉の戦果の証人です。すでに送ったとおり、私が撮った映像も」
ゴロドク大尉が電話している相手は、グリエフ東部防空司令部のユルゲン・オフチャロフ中佐だ。
オフチャロフはすでに箒を降りているが、一〇年前、ゴロドクが新品少尉だった頃の飛行隊長だった。
彼は隣町の出身だというゴロドクにあれこれ便宜を図ってくれた。
ゴロドクもそれに恩義を感じて、熱心に勤務に打ち込んだものだ。
ゴロドクはその一〇年来の付き合いの上官に、ユーリーへの叙勲を申請していた。
ユーリーは開戦以来すでに戦闘機四、輸送機一、ヘリコプター二を撃墜したエースだ。
エースとは敵を五機以上撃墜したパイロットに与えられる栄誉賞号だ。
前の大戦以来、エースパイロットは存在しない。いや、しなかった。
新時代のエースパイロットは現実に存在している。
しかも時代遅れの魔法使い、箒乗りだ。
科学技術が魔法に追いつき、魔法を取り込み、魔法を乗り越えたことで、多くの魔法がその存在意義を失った。
前線に多くの大砲が並べられたことで、石礫をマジックミサイルとして飛ばすことにあまり大きな意味はなくなったし、長槍歩兵が得物をマスケットやライフルに持ち替えてからはなおさらだ。
現代では軍に在籍する魔法使いは、医療従事者か、特殊部隊の偵察特技兵がいいところだ。
武装も航続距離も大したことがない箒乗りは、ヘリと迫撃砲を補完するような存在と見られていた。
いたけりゃ居ていいが、それほど役に立たない連中。
それが箒乗りという存在だった。
その箒乗りが戦闘機を撃墜した!
それも最新鋭機を通算四機、輸送機とヘリを含めれば合計七機!
全く前人未到の偉大な記録であり、最新兵器と巨大な物量に押し潰されそうになっているこの国にとって、希望の象徴となる英雄だ。
ゴロドクはユーリーを叙勲させることで国民に希望の存在を知らしめ、箒乗りたちの名誉をも復活させようとしている。
そしてゴロドクに自分も栄達を、という考えがないことは、オフチャロフにはよくわかっていた。
しかしだ。
『見たさ。俺もすごいと思ったよ。サバエフ少尉は本物だ。あのぼんやり坊やが。全く。俺たち箒乗りの誇りだよ』
「だったら」
『だからさ。あんな事ができるのはサバエフ少尉だけだ。俺たちには出来ない。若い奴らにも。なのに公表したら、きっと異常なまでの期待が俺たちにのしかかって来るぞ。そして戦争はまだまだ本調子じゃない。わかるよな? 言っている意味が』
オフチャロフは、あまり調子に乗るな、と言っている。
使い潰された挙げ句、負けが見えているこの戦が終わったあとに街灯に吊るされるぞ、と言っている。
それは全く道理であって、開戦からここ三日、敵は調整の取れていない攻撃を繰り返してきているが、首都グリエフも東部の大都市クバイコフも、戦闘は都市の間近まで迫っている。
調整の取れていない攻撃をする、士気や補給に問題のある軍隊だとしても、一日に三〇キロメートルもの深さの占領地域を得る軍隊を相手にしているのだ。
敵の補給が突然完全にストップしない限り、あるいは敵国の経済が崩壊でもしない限り、もしくは──この国が降伏しない限り、この戦争は続く。
詰まるところが、勝ち目はない。
そして兵士はいつか死ぬ。
伝説のイリーヤーも最後は死んだ。
無敵の兵士など存在しないのだ。
「ですが中佐。どのみちこの戦争は終わりませんよ。ならば英雄は何人もいたほうがいい。グリエフが陥落した後も、人々の心を支える英雄が」
キフルーシの歴史は被占領の歴史だ。
大公国の作った連邦制度が崩壊し、キフルーシ自治共和国からキフルーシ公国へと独立を回復してからまだ二〇年。
だれしもが再び大公国の属国になるなどまっぴらごめんだと思っている。
ところがリュールカ大公国の国防と食糧安全保障に、キフルーシがもたらす影響はとてつもなく大きい。
国際法などどこ吹く風とばかりに、全面侵攻を仕掛けてくるほどには。
それは大公国と対立する諸国にとっても同じこと。
誰もかれもが、次の世界大戦を恐れている。
核兵器で武装した大国同士が直接国境を接するなど、当事者にとっては悪夢だ。
すでに多数の武器や食料、衣料品の援助が届けられてはいるが、具体的な援軍の話となると、さっぱりだ。
しかし今現在、戦渦に巻き込まれている者たちにとっては、今現在こそが世界大戦だ。
負ければすべてを失ってしまう。子孫たちの未来すら。
だから国家元首である公王ザルツィコフスキーは自身の国外脱出を否定し、自らも首都にとどまって徹底抗戦を呼びかけている。
国民の多くはそれに同調し、かなり多くの市民が各々独自に武装し、敵をキフルーシの大地の肥料にする準備を整えている。
結論。
誰もこの戦争を止めはしない。
この世に地獄を現出させてすら。この豊饒の大地が残さず血と炎に塗れるまで。
キフルーシの民か、侵略者たるリュールカの兵のどちらかが、一人残らず息絶えるその日まで。
ゴロドクは、その地獄の中で支えになるものが必要だと言っている。
それもある意味、道理であった。
英雄の陰すらないのであれば、ただびとが憧れるような存在がないのであれば、戦い続けることなどできはしない。
公王ザルツィコフスキーはすでに自身を国のために捧げる決意を示したが、それではいささかもの足りない。
己が臓腑で敵を絞め殺すような、凄惨な地獄で人々が戦い抜くには、さらなる供物が必要だ。
『お前は恐ろしいやつだ、ゴロドク。自分の部下すら祭壇に捧げるつもりなのか。お前を先生と慕った奴を』
「その前に自分とほかの部下たちが。ええ、それは疑いようがありません」
しばしの沈黙。
『わかったよ、ゴロドク。戦果は公表しよう。政府も市民も、景気のいい情報に飢えているしな。だがユーリー・サバエフの名前は出さない。あくまでも今回の戦果、戦闘機三に輸送機一の撃墜と、敵空挺の撃破は、お前の部隊としての戦果だ。いいな』
祖国の暗澹たる未来を見せつけられたオフチャロフは、そういうのがやっとだった。
◆
箒。
箒と言っても、葦やウイキョウの茎や葉をまとめたものではない。
現代の箒はカーボンファイバーとプラスチック、航空アルミニウムで出来ているが、重量は本体だけで一〇〇kgを超えている。
魔力探知管や赤外線/低光量テレビ、地形追随レーダー、簡易な射撃指揮装置、
魔力増幅/熱転換エンジンが詰め込まれた、それこそ箒かロケットのような機尾。
その機首と機尾をつなぐ細長い胴体にはバイクのようなシートとグリップと、水タンク。機種のふくらみの後には
どう見ても昨今流行りの無人偵察機、その超小型版だ。
ゴロドクたちの使うHaB-21B2
ほかには
エンジンはジェットエンジンの亜種で、パイロットの魔力を直接熱に転換し、圧縮した空気と一緒に微量の水を膨張室に吹き込むことで推力を得ている。当然出力には個人差ができる。ユーリーが音速を超えられるのはそのせいだし、ゴロドクはどちらかと言えば低空で地上支援を行うほうが得意だった。
それこそが魔法使いが、箒乗りが時代遅れとみなされる原因だった。
一定の出力特性が得られないエンジンなど、ジェット戦闘機では採用される代物ではない。
だがゴロドクたちに不満はない。
ゴロドクたちは魔法使いだ。
自分たちが使う全ての機器に
少なくともミサイルの射程距離は一.四倍、機関銃の威力と射程は二.一倍にまで拡大する。
これにより、少なくともごく短距離での奇襲と一撃離脱なら、最新鋭の第四世代ジェット戦闘機と相対することは可能になる。
だがあくまでも、ごく短距離での奇襲と一撃離脱であるならば、だ。
ユーリーのように、音速を突破したり、敵戦闘機と渡り合えるものは、他にはいない。
みなが寝静まった駐機場で、整備の終わったユーリーの箒をなでながら、ゴロドクはいかめしい顔つきを、よりいっそう険しくした。
◇
ゴロドクとユーリーの出会いは、おおよそ七年前に遡る。
その前の年、公国東部の紛争地域で飛行隊はささやかな武功を挙げ、ゴロドクはその立役者として大いに讃えられていた。
それはグリエフ近郊の基地に戻っても続いていて、ゴロドクは正直うんざりしていた。
紛争で敵兵──今思えば、それは大公国の工作員だったのだろう──を数名射殺していたことも、気分に影響していた。
それでも空を飛ぶことは嫌いにはならなかったから、非番の日に少年飛行クラブのコーチ活動をして気を紛らわせていた。
ユーリーはそこに所属していた少年たちの一人だった。
というより、飛行場のフェンスの向こうでぼんやり暇そうにしていたユーリーを、ゴロドクが気にして招き入れた、というのが本当のところだ。
少年飛行クラブは連邦共和国時代の遺産の一つで、将来有望なパイロットや整備士を育成するための機関だ。
といっても運営実態は地域のサッカーチームみたいなもの。
飛行場は河川敷や農地の中にぽつんとある戦時予備滑走路で、使用機材は使い古しのスポーツ用。
連邦共和国時代は払い下げの軍用旧式機材を飛ばしていたと言うが、連邦解体・公国独立に伴うゴタゴタで、あらかたの機材が盗まれたり売り飛ばされ、当然、解散したり別のボランティア団体になったりして解散するところが続出した。
ゴロドクの飛行隊がコーチするクラブはだいぶマシな方で、スポーツ用の箒が二本と、四人乗りプロペラ機が一機あった。
十七歳のユーリーはそこで魔法飛行士としての才能を開花させ、ついでに怪しかった高校の成績も改善した。
彼を指導したのはゴロドクで、ユーリーはゴロドクを先生と呼んでよく懐いていた。
ゴロドクにとっては年の離れた弟のようなものだった。
もし世界が平和なら、ユーリーはワールド・ブルーム・GPで活躍できたかも知れない。
だがそうはならなかった。
祖国の政治は腐敗し、隣の大国からの侵略に常にさらされ、景気は悪かった。
国際商取引やエネルギー資源取引、はたまた軍需品市場でさまざまなやらかしをしていたキフルーシの、ぼぅっとした少年に大金をかけてトップライダーに仕立て上げるチームは、存在しなかった。
ユーリーは生活のために士官学校に入り、そのまま空軍に入隊した。
ユーリーが飛行隊に配属された日は、今からほんの半年前のこと。
そのときすでに、大公国は周辺に兵力を蓄積し、侵略の準備を整えていた。
ユーリーは着任の挨拶で、「祖国を守るため、がんばります」と言った。
ゴロドクは、そんなことは頑張ってほしくないと思った。
ユーリー、お前はこんなところにいないで、レースやアクロバットショーで世界を駆け巡るほうがいいんだよ。
そう思った。
だがそれは叶わない。
祖国は侵略され、空が、農地が、街々が、そして女達が侵され、汚されている。
ゴロドクの覚悟はできている。
所詮はジェットに適正がなかった魔法飛行士だし、何しろ軍人だ。
祖国に魂を捧げる準備は、とうの昔にできている。
しかし隊の若い者たちにそれを強要したくはなかった。
それを防ぐために生きてきたのだと思っている。
だがそれは叶わない。
ゴロドクの望みは。
ゴロドクはそんな現実に耐えられなかった。
つまるところ、英雄の現出を願っているのはゴロドク自身なのだ。
◇
翌日の出撃はなかった。
野戦防空大隊と、表立って参戦していない西奥諸国の早期警戒情報が役に立ち、敵機の侵入がかなり阻害されているようだった。
それでゴロドクは整備班に命じ、戦争が始まる直前に支給されていた装備を各箒に装着させた。
後退角のついた大型
それがついた箒を見て、ユーリーは不思議そうな顔で、ゴロドクを見た。
「搭載量が増え、増えた空気抵抗のぶん、エンジン出力が強化された。兵装搭載量を増やさなければ、出力はちょっと上がる計算だ」
ゴロドクがそういうと、とたんにユーリーはそわそわし始めた。さっさと試してみたいらしい。
ゴロドクは苦笑し、飛行隊に低空での慣熟飛行を命じた。
日が傾いた早春の空に、ユーリーはまっさきに飛び出した。
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