グリエフの亡霊

高城 拓

第1話 ユーリー

 青く澄み渡るグリエフの空。

 東方の空には、幾筋もの飛行機雲。

 住民が退去したマンションの屋上で、ユーリーは仰向けに寝そべり、聞くともなしに軍用無線を聞いていた。

 二四歳、やや童顔、金髪、長身だがやや華奢な体型。

 街で年上の女性にナンパでもされている方が似合いの青年だ。

 だが彼はキフルーシ公国空軍の飛行服を身に着けていた。


『防空情報、防空情報。クジラ六、イヌワシ八。〇七五、六〇、八〇〇〇、マイク〇.八、ホット、バンディッド』

『CAP七四八二W、迎撃戦闘開始』


 軍用無線とは言うが、暗号化されていない短波放送だ。

 周波数を知っていて、受信機があれば誰でも聞くことができる。

 東北東より大型機六、中型機八が距離六〇マイル、高度八〇〇〇フィート、マッハ〇.八にてこちらに向けて飛行中、敵機。

 無線が知らせた意味は、そういうことだ。


 北の方からは絶え間なく砲声が鳴り響いているが、まだ遠い。

 敵地上軍がグリエフ市内に突入するのは、まだまだ先だろう。

 青空の向こうには月と星帯。

 星帯はまだ地球が真っ赤な溶岩の塊だった頃、彼方からやってきた星が地球にぶつかって砕けた名残だ。

 ユーリーの青い目に、月と星帯が白くおぼろげに映っている。


『CAP七四八二Wより入電。クジラ五、イヌワシ四が突破。迎撃支援を乞う。〇八〇、四〇、八〇〇〇』


 ほんの少しして、無線がまた鳴った。

 近隣空域パトロール七四八二飛行小隊は、敵編隊の侵入を許したようだ。

 無理もない。

 第四世代ジェット戦闘機SuMo-29MKを装備しているとは言え、パイロットは疲労困憊の極地にあって、なおかつ首都グラエフの近隣航空パトロールを行う七四八飛行隊はすでに戦力の半分を喪失しているからだ。

 開戦してからまだ三日と経っていないにもかかわらず、だ。


『CAPより敵識別情報。クジラは子持ち。イヌワシは長っ鼻、MAA』


 大型機は五機、子持ちことML-72輸送機。

 防空網を突っ切って飛んでくるということは、空挺部隊を搭載している。

 護衛戦闘機は四機、長っ鼻ことMiKO-33SK戦闘機、中距離戦闘装備。

 敵の最新鋭戦闘機だ。

 SuMo-29MAKよりも十七年あとに実戦配備されている。つまりそれだけ性能は上。

 分が悪いどころではない。

 七四八二飛行小隊が全滅しなかっただけ幸運だ。


『二二三防空大隊、戦闘開始』


 と、グリエフ東方の農地の只中から、白い煙とともにミサイルが発射された。数は三。

 最初は垂直に、徐々に敵の方角へ向かって角度を修正しながらミサイルは飛んでゆく。


『敵妨害電波及び妨害魔導波を感知』


 ユーリーが東方の空を見上げると、天へ昇っていた白い航跡を描く矢が一本、明後日の方向へ向きを変えた。


『敵性反応減少を確認。クジラ四、イヌワシ三、なおも接近中。〇八二、三〇、七〇〇〇』


 敵機撃墜の爆音は聞こえない。

 少しばかり遠すぎる。

 聞こえたとしても、何分もあとのことだろう。


 と、誰かが階段を登ってくる足音がした。

 ユーリーが振り返る前に、屋上出入り口のドアがバンと開かれる。

 現れたのは空軍航空魔法使いのジャンプスーツを着た同僚だ。


「ユーリー!」

「なに?」

「なにじゃない! 戦闘だ! 出るぞ! 急げ!」


 同僚はそれだけ言うと、また足音高く階段を駆け下っていった。

 ため息をついてユーリーは立ち上がり、絹糸のようなブロンドの髪を掻き上げた。



 マンションの一階ラウンジは、ユーリーの所属する第四二三航空魔法飛行隊の集会所になっていた。

 地上七階、地下二階の鉄筋コンクリート建築。

 郊外の新築物件であるため、階数は少ないが床面積は広い。

 地下二階は機械室と下水処理槽、地下一階が住民用の駐車場と物置だった。

 現在は、地下駐車場と物置は、飛行隊の駐機場と整備場となっている。

 いや、駐機場というのはおかしいかも知れない。

 なぜなら第四二三航空魔法飛行隊は、飛行機やヘリではなく、箒を装備する飛行隊だからだ。


 本来なら冬であっても陽光に困ることのないガラス張りのラウンジは、通りに面するガラス面に土嚢を積んだ防壁が築かれていた。

 厚さ一メートル以上。土嚢は教本通りに、しっかりと隙間なく積まれている。

 それだけあれば機関銃弾も通らないが、屋内はてきめんに狭くなる。

 その狭くなったラウンジの、もともと住民向けの掲示板だったところに共和国首都グリエフの広域地図が掲げられている。

 地図には透明のアクリル板が被せられ、赤と青の水性ペンでいくつもの書き込みがなされていた。

 

「全員揃ったな。作戦概要を説明する」


 ラウンジに飛行服を着て現れたユーリーを見て、地図の前に立ったゴロドク大尉が張りのある声を上げた。

 ゴロドク大尉がユーリーに注意しないことについて、あからさまな不満顔になる幹部や隊員が何人か居たが、ゴロドクも、ユーリー本人も気にしていない。どころか、だれも表立って文句を言うことはなかった。

 一回り、ラウンジに揃った面々の顔を見回したゴロドクは、簡潔に状況と作戦目標を説明し始める。


「東部方面から侵入しつつある敵編隊は一〇分後、この上空を通過する。目標はユーレイツァ国際空港と思われる。空港を空挺部隊で占拠し、前方作戦基地FOBとすることが目的と推察される。よって我が飛行隊の作戦目標は、敵空挺の進出阻止となる。飛行隊は五分後に発進、周辺各地に、エレメントごとに分散して潜伏。八分後に急速上昇、接敵を開始。敵空挺の進出を阻止する。補給点はこの四ヶ所。先鋒はユーリー・サバエフ少尉。なにか質問は」


 すかさずユーリーが手を上げ眠そうな声を出し、ゴロドクはまったく簡潔に返答した。


「敵空挺の進出阻止が目標、であるなら敵護衛戦闘機は?」

「目標ではない。だが、貴様は昨日のように好きにやれ。みんなは落とされないことだけ考えろ。他に質問は?」


 誰も声を上げない。


「よろしい。かかれ」


 号令とともに、飛行隊の魔法使いたちは、すぐさま集会所を飛び出し箒のもとへと駆け去った。

 ユーリーとて例外ではない。

 その足取りは、まるで祭りを見に行く少年のように軽やかだった。

 


《行け! ユーリー!》

「言われなくても!」


 ゴロドクの激に噛み付くように返答し、ユーリーは青白い燐光を発しながら最大出力で垂直に上昇した。

 飛行隊の他のメンバーより、倍は速い。音速などとっくのとうに超えている。

 本来、箒で音速を超えることなどできはしない。

 現代の科学と魔法で作られ、ミサイル二発と機関銃を吊り下げて飛ぶようになり、箒としての本来の機能など無いにしても、無理なものは無理だ。

 だがユーリーはできる。

 単に才能の問題だ。他に理由はない。

 あっという間に七〇〇〇フィート──約二一三〇メートルの高さまで上昇したユーリーは、東へ向かって半宙返り、背面飛行のまま敵編隊と向き合った。

 位置としては、輸送機編隊の前方に展開した護衛戦闘機の二機と、輸送機編隊の間に割り込んだ形になる。

 輸送機編隊先頭機との距離は、一〇〇〇メートルもない。

 またたく間にその巨大な機影と、真正面からぶつかり合う形になる、が──。


「ワルプルギス1-2、エンゲージ! フォックスワン!」


 地上での眠そうな態度はどこへやら、叫んだユーリーはグリップに付けられたトリガーボタンを引き絞った。

 直ちに箒体下面に吊り下げられた機銃が、火と銃弾を猛烈な勢いで吐き出した。

 輸送機のコックピットは血に染まり、分厚い風防と機上機材を打ち砕いた多数の銃弾は、貨物室で降下を待つ空挺隊員たちへと襲いかかった。

 だが彼らの悲鳴は、ユーリーには届かない。

 ユーリーの目は、すでに次の目標へと移っていたからだ。

 それは輸送機たちを後方上空から護衛していた戦闘機。 

 ユーリーに気づいたそれは、直ちに上昇加速を実施。

 八〇〇〇メートルほどあった距離は、またたく間に減少していく。

 敵のパイロットはひとりごちた。


「魔法使い!? 時代遅れの連中が今更のこのこと! なに考えてやがる!」


 距離四〇〇〇メートル。

 本来ならすでに互いの短距離ミサイルの射程内だが、向かい合ったヘッドオン状態ではこれが意外に当たらない。

 短距離ミサイルは敵のエンジン熱か、魔力を検知してそちらの方に進む。

 だがユーリーからは敵のエンジンノズルが見えないし、敵にしてみればユーリーは温度が低すぎる。これではミサイルなど打つだけ無駄だ。

 自然と違いの後方を取ろうと旋回を開始、あるいは空中戦に於いて最も重要な要素である速度を高度に変換して溜め込んでおくのが、通常の空中戦だ。

 だがユーリーは敵機を追うことをせず、ある程度真っすぐ進むとそのままミサイルを撃った。敵機とすれ違う。

 当然、目標固定ロックオンなどできていない。実際、ミサイルはそのまま直進する兆しを見せた。


「バカが! どこ見て」


 そう言った敵パイロットは、次の一秒で驚愕に見舞われる。

 なんの前触れもなしに、ユーリーが放ったミサイルが急激に旋回上昇、敵機へと向かい始めたのだ。

 その機動性はまるでイタチのように俊敏だ。ミサイルは青白い燐光を纏っている。

 声を上げる間もなく、敵パイロットは爆炎とともに天に召された。

 あるいは地獄へ落ちたのかも知れないが。


「ワルプルギス1-2、クジラ一、イヌワシ一撃破」

戦果確認Good Kill! 全員続け! クジラのハラワタを食いちぎれ!》


 ユーリーの報告にゴロドクが味方を鼓舞する。

 隊内無線には歓声が飛び交う。

 ユーリーはそれを無視し出力上昇、速度を維持したまま大半径の旋回上昇を開始。

 引き返してきた敵護衛戦闘機との会敵進路を取る。


「ワルプルギス1-2はイヌワシを引きつける」

《バーバヤガー2-1、ワルプルギス1-2! 援護は必要か?》


 屋上にユーリーを呼びに来た同僚の声。


「バーバヤガー2-1、大丈夫。それより空挺をやっつけろ」

《ヘッ、いけすかねぇヤツだ。イリーヤーの加護を!》

「そっちこそ」


 高度八五〇〇フィートまで上昇したユーリーは箒の下を見下ろした。

 引き返した敵護衛戦闘機が、魔法飛行隊への迎撃位置へつこうとしている。


「させるかよ」


 ユーリーはつぶやくと、魔力を全力で振り絞り、敵護衛戦闘機への突撃を開始した。

 仲間たちは、ちょうど敵輸送機編隊の下っ腹に食いついたところだった。



「くそ! 何なんだコイツら! どこから出てきやがった!」

《ヴァシーリー! ミサイルがオックオンできない! まずいぞ!》


 リュールカ大公国空軍中尉、ヴァシーリー・ザイチェフにとって、この三日間は地獄のようなものだった。

 出撃初日で編隊長が敵対空ミサイルに狩られた。

 二日目で小隊長が敵戦闘機に狩られ、自分が飛行小隊長になった。

 三日目の今日は最悪だった。

 残存全機で出撃した飛行隊は空挺隊を護衛し、敵キフルーシ首都グリエフ東方の飛行場を制圧する予定だった。

 その飛行隊の半分は後方で敵戦闘機隊に足止めを喰らい、自分が指揮する小隊はミサイルと魔法使いに二機を落とされた。

 そして護衛すべき輸送機たちは、蚤のごとく跳ね回るように機動する魔法使いたちの機銃弾で、はらわた・・・・を食い荒らされている。輸送機が機銃弾に穿たれた穴から漏らしているのは、機械油や燃料ではなかった。

 おまけに敵魔法使いたちは発熱量が小さすぎて、熱線画像追跡ミサイルの追跡装置シーカーで捉えることが出来ない。

 電波レーダー照準の中距離ミサイルは問題外だ。敵のレーダー反射面積が小さすぎ、ロックオンに必要なレーダー反射波が得られない。


「機銃! 目視照準! ぶつけるつもりでやれ! 一機でも一人でも多く、空挺を助けるぞ!」

《了解!》


 といってヴァシーリーと僚機が散開しかけたその時、僚機が突如爆発した。

 MiKO-33SKの残骸が火の玉となって、地上へ吸い込まれるように落ちていく。


「ミハイル!」


 叫んだヴァシーリーの目の前に、上空から人影が割り込んだ。

 プラスチックとアルミで出来た、灰色の箒にまたがった魔法使い。

 とっさにヴァシーリーはトリガーを引き、機銃──MaK-302機関砲を発射した。

 が、前方の魔法使いは避けもしない。

 戦闘機の機関砲は、機体の中心線には設置されていない。通常は八〇〇~一〇〇〇メートル程度先で、機体中心線の延長線上に照準されるように設置されている。

 当然、ほんの一〇メートル先を飛ぶ人間サイズの的には当たりようがない。

 それでもさらに前方を飛ぶ、敵魔法使いの群れを一時的に追い払うには役に立った。


「くっそ!」


 歯噛みしたヴァシーリーの眼前で、先程の魔法使いが急減速した。

 衝突を回避するため、反射的にヴァシーリーはスロットルと機首を下げてしまう。

 ぶつければよかったと思い返す頃には、目の前にキフルーシの大地が迫っていた。


「うお!」


 慌ててスロットルを開けパワーオン、機首上げ。

 高度は九〇〇フィートまで下がっていた。

 レーダーを確認すると、輸送機編隊はまだ飛行場への進撃を継続していた。

 だが彼は、輸送機編隊から離れる進路をとってしまっている。


「待ってろ! 今助けに」


 旋回しようとしたヴァシーリーはしかし、連続した衝撃音に見舞われた。

 風防キャノピーの枠に付けられたバックミラーに、オレンジ色の火が見える。

 振り返ると、MiKO-33SKの二つあるジェットエンジン、その左側が激しく炎上し、機体外板も醜くめくれ上がっていた。

 さっきの魔法使いに銃撃されたのだ。

 急激に速度と高度が減少、残された右エンジンの出力も激減する。


「畜生!」


 叫んだヴァシーリーは足を踏ん張り、シート横の緊急脱出レバーを強く引き上げた。 

 風防が吹き飛び、ヴァシーリーは射出座席ごと空中へ放り出された。高度はわずかに六〇〇フィート、二〇〇メートルしかない。

 炎に包まれた愛機は、ほんの数秒よたよたと飛び、キフルーシの農地へと突き刺さってバラバラになった。


 パラシュートが開き、自動的にシートベルトが開放され、シートが体から離れる。

 高度はすでに一〇〇メートル。降下速度が速い。

 気をつけて着地しないと、脚の骨を折りそうだ。

 ヴァシーリーは太ももを改める。護身用の拳銃はちゃんとそこにあった。

 視線を上げると、輸送機編隊がようやくのことで脱出コースへ進路を変更し始めたのが見えた。

 その情景を遮るように、先程の魔法使いが視界の中を横切った。

 どんな顔をしているのかは、ヘルメットの偏光グラスと酸素マスクに遮られて見えない。

 彼は明らかにヴァシーリーに対する興味を失うと、グリエフの方へ、魔法使いたちのもとへと戻っていった。

 魔法使い? いいや。その後姿はまるで。


「くそ。亡霊め」


 ヴァシーリーは憎々しげにつぶやくと、着地の衝撃に備えた。

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