Fin.

 奇跡のような一夜は伝説と化し、国王と王妃から絶賛の嵐をいただいたこともあり、貴族たちの話題の種となった。

 地味に静かに暮らしたいイオニアスのもとには、ひっきりなしに招待状が届いたが、向こう数か月は同じような魔術を使えないことにして、どれも丁重にお断りしている。

 ときが経てば、貴族たちの話題はべつのものに移る。それが、上流社会というものだ。


 王妃のサロンはこれまでと一転し、賑やかになった。

 あの夜、イオニアスによって願いを叶えられたダニエラは、どこかすっきりとした様子だった。侍女のダニエラが騎士のダニエルとして、この国にあらわれる日もそう遠くはないかもしれない。


 舞踏会以来、王妃と国王の仲は少しずつ近くなり、一緒にいるところを見かけることが増えた。

 アントンが例の洗濯室で仕入れた情報によれば、国王がブランカと会う機会は減っているようで、今度はブランカがしつこい相手となってしまったそうだ。

 いますぐではないにせよ、いずれブランカとの間柄は完全に破局となるかもしれない。もともと浮気性な国王ではないので、それも時間の問題だろうというのが、使用人たちの意見だそうだ。


 ひとまず、国の平和は保たれた。喜ばしいことである。……たぶん。


「アントン」


 とある日の午後、イオニアスは細長い包み箱をアントンに渡した。


「これを、クリスティアーノの塔の見張りに渡してくれ」

「えっ? いいですけど、これなんですか?」


 イオニアスはにやっと笑った。


「勝者の証のペーパーナイフだ」



* * *



 天球儀を動かすクリスティアーノのもとに、黒い包み箱が届いた。


「魔術師殿の従者が持って参りました」


 見張りの騎士が渡す。受け取ったクリスティアーノは、眉をひそめながら開けた。

 剣の五芒星が刻印された、銀のペーパーナイフが入っている。クリスティアーノは思わず苦笑した。


「どうなさいましたか」

「いや。ほんとにムカつくやつだなと思ってね」

 

 剣の五芒星は、ヴェロニアス家の家紋である。


 一連のことは妹のためでもあったが、由緒ある王族の血筋を守りたいがための教皇に命じられ、しかたなくしたことであった。

 妹が公妾の地位に就いた先は、もちろん読んでいた。最悪な事態になるにせよ、いくらでもコントロールする腹づもりだった。

 すべて順調だった。うまくいくはずだった。だが、教皇からこっぴどいお説教をくらう事態に終わってしまった。

 そんなどうでもいい、くだらないしがらみの外側にいるイオニアスが、心底羨ましくて妬ましい。


「……ふんっ」


 ドスッと紙束に突き刺してやる。ぎょっとする騎士に向かって、クリスティアーノはにっこり微笑んだ。


「これが正しい使い方だよ。知ってた?」


 騎士は震え声で答えた。


「し、知りませんでした」



* * *


 

 今日も今日とて、世界は平和だ。

 アントンが扉を開けて、誰かからの次なる依頼を口にするまで、心穏やかに写本を続けよう。

 やがて、イオニアスは手を止めた。窓から庭園を眺めつつ、王妃にいただいた紅茶を口に運ぼうとしたときである。 

 バーン! とノックもなくドアが開き、いつものごとき声がした。


「先生、イオニアス先生!」 


 くそう、もうきてしまったか。早すぎるぞ、アントン!


(了)

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王宮のなんでも屋さん 羽倉せい @hanekura_s

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