第10話

 アントンが意気揚々と洗濯室に行ったのち、イオニアスは舞踏会の開かれる王宮の広間に向かった。

 舞踏会でどのような魔術をかけるかは、まだ決めていない。当日の様子をおぼろげに想像しながら、純白と金に彩られた広間をゆっくりと歩く。

 天井は高く、天使のフレスコ画が細部にわたって描かれてある。

 南側に壁はなく、アーチ状の回廊に続いていた。天気がよければ広間から庭園に出て、満天の星空の下で踊ることもできるというわけである。


 さて、ここでどのようにして、王妃を際立たせたらよいものか。うーむと唸りそうになったとき、いきなり背後で声がした。


「あら」


 聞き覚えのある声に、イオニアスは固まった。

 振り返らずとも、誰かはわかる。この国を破滅に追いやる、悪魔のごとき令嬢だ。

 すぐさま自分に魔術をほどこし、離れの書斎に戻りたい。無闇に魔術を使いたくはないのだが、今回ばかりは許したい。

 杖を握りしめ、呪文を唱えようとした寸前。


「――一昨日、庭園で見ましたわよ」


 ……ん? 思わず振り返ってしまった。二人の取り巻きを引き連れたブランカが、鳩の糞でも見るような眼差しを向けていた。

 けげんそうに眉をひそめたイオニアスに、ブランカが言う。


「王妃殿下の侍女と一緒のところを見ましたわ。手も握らずにいたんですから、きっとあなたの片思いでしょうね。まったく、なんてかわいそうなこと! あの方を好いたところで、もうすぐこの国を去ってしまわれるのですもの。なんとタイミングの悪い叶わぬ恋でしょう。面白すぎてお腹がよじれそうですわ」


 勝手に話し、取り巻きとともにクスクス笑う。

 イオニアスとダニエラが庭園にいたところをどこかから見ていて、激しく誤解したようだ。その誤解っぷりにこちらこそお腹がよじれそうだが、なんと返答すべきかとっさに思いつかず、とにかく険しい表情を死守した。

 そんな顔つきで微動だにしないイオニアスを、ブランカは〝ショックを受けている〟と勘違いしたらしい。思う存分とどめを刺すべく、言葉をたたみかけてきた。


「その様子じゃ、もしや初耳なのかしら。王妃殿下は陛下の寵愛を受けることが叶わず、自国に戻られるのよ。だから、あなたの好いている侍女も一緒に去るでしょう。それとも、あなたもついて行ったらいかが?」


 またも、クスクスと笑う。いったいなにが面白いのか謎だが、あれやこれやとしゃべってくれるのはありがたい。イオニアスはこの場に乗じて〝なにも知らないふり〟をしつつ、どうしても知りたかったことを試しに訊いてみた。


「……陛下はなぜ、王妃殿下を避ける?」


 ブランカがほくそ笑んで見せた。


「挙式後数日は仲良くできそうに思われたようですけれど、王妃殿下は陛下が静かにしたいときにしつこく話しかけてきたり、かと思えばしくしくと泣いて見せたりして、とにかくすべての相性が悪いと気づいたのですって。この国の髪型やドレスがお似合いにならないのも残念ですし、だんだん鬱陶しく思われて、とうとう苦手になってしまったそうよ」


 やはりか。訊くまでもなかった。

 それは占術師である兄の助言のせいだとのどまで出かかり、ぐっとのみ込む。妹のブランカが知らないわけがない。兄妹ともにグルなのだ。


「陛下は一緒に笑いあえる、真昼の女神のような女性がお好きなの。けれど、王妃殿下は真逆ですもの」


 押し黙るイオニアスを、ブランカは勝ち誇ったように見すえた。


「そういうわけで、あなたのお好きな侍女ともども、王妃殿下は自国に戻られるの。なにも言えないほどショックですのね。わたくしを食料庫に送った罰よ。いい気味ですわ」


 ブランカにすれば、復讐してやったり! ということのようだ。

 高らかに笑いながら、取り巻きとともに背を向ける。と、ふと思い出したかのように振り返った。


「舞踏会でどのような魔術をかけるのかは知りませんけれど、どうせそのへんをキラキラさせたり、花びらみたいなものをあちこちに飛ばす程度のことでしょうね。そんな程度のお仕事で、お兄様と同等の地位に就いているなんて邪魔でしかありませんわ。けれど――」


 イオニアスを見つめ、鼻で笑った。


「――そう遠くないうちに、あなたをお払い箱にしてあげますわ。覚悟なさって」


 覚悟もなにも、むしろ大歓迎である。が、それはブランカが公妾となることを意味した。意地でも阻止しなくてはいけないイオニアスは、広間から去っていくひらひらドレスのうしろ姿を、なんとも複雑な思いで見送った。


 勝手な誤解をされたうえ、好き勝手に言われるがままにしておいたが、思いがけない収穫があった。

 国王がどのような相手を欲しているのか。それらをはっきりと知ることができたのだ。

 文句もいやみも言わずにいられた自分が、心底誇らしい。まあ、思いつかなかっただけなのだが。

 

 ―― 一緒に笑いあえる、真昼の女神のような女性。


 陛下にすれば、現時点でそのような相手はブランカなのだろう。だが、計算高い演技によるものと、真のそれは天と地ほどの差があるものだ。


(真の女神がずっとそばにいたことを、陛下に教えて差し上げなくてはな)


 杖を握り直したイオニアスは、颯爽とした足取りで離れを目指した。



* * *



 ブランカに虐げられ、社交の場から遠ざかっている令嬢の情報を仕入れて、アントンが戻ってきた。


「その中で、評判のよかった令嬢はいるか?」

「はい。二名ほどいらっしゃいました。使用人のみなさんにも親切で、控えめで優しくて、とってもおきれいだそうです」


 社交デビューはブランカよりもあとなのだが、人気が出はじめ目立ってしまい、目をつけられてしまったらしい。家柄もそう強くなかったため、何度かブランカにやり込められているうちに怖くなり、引きこもるようになってしまったようだ。


「その方々に手紙を書くから、届けてくれるか?」

「わかりました! でも、あの……」

 

 言いづらそうにもじもじと、アントンがうつむく。


「先生がお手紙を書かれても、ブランカさんのいる王宮には、怖くて来られないと思うのですが……」


 椅子に座ったイオニアスは、ペン先にインクをつけながら言った。


「いや、必ず来る」

「えっ」


 驚くアントンにかまわず、イオニアスはさらさらとペンを走らせた。


「〝舞踏会でブランカ嬢が悔しがる場面を約束する〟と、回りくどく上品な表現で書いているところだ。遠くからでもひと目見るため、きっと来るだろう。それほどの思いをさせられてきたのであればな」


 アントンが笑った。


「それならきっと来ます。わかりました!」

「いずれ王妃のサロンに出入りできるよう計らうとも、書いておく。おまえからも伝えておいてくれ」

「王妃様のいいお友達になってくれるかもしれないですもんね!」

「ああ、そう願う」


 一張羅に着替えたアントンは、魔術師の従者たる証のローブを身にまとい、二通の手紙をたずさえて離れを去った。

 書斎に残ったイオニアスは、王妃にもらった筆記帳を手にとった。

 隣国については、すでに書物でわかっている。その知識以外のものを、イオニアスは欲していた。


 一枚一枚、筆記帳のまっさらなページをめくる。

 その紙は、木の繊維からできている。

 人よりもずっと長く生きる木にも、記憶はある。その記憶の片鱗が、この筆記帳の紙にはあるのだ。


(なにも見られないかもしれない。たとえ見られたとしても、たいしたことのないものかもしれない。だが、どちらにしろ見ないよりはましだ)


 ページを開いて床に置く。

 イオニアスは杖を向けながら、ゆっくりと呪文を唱えた。

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