第11話

 開いたページから、大木の幹があらわれた。

 ページをつらぬき、根をはっていく。そうしながらも、書斎をうめつくすほど枝葉をのばした。


(ああ、なんと素晴らしい! これがおまえの本当の姿か)


 呪文を唱え、杖を振る。突風にあおられたかのように、すべての葉が枝から離れ、旋回しながら消えていく。

 ほのかに輝く魔法陣が、大木を螺旋状に包んでいく。それらが消えた瞬間、空中に一枚のドアがあらわれた。


 この紙の――木の記憶が、ドアの向こうにあるのだ。


 呪文を唱えると、ドアが開いた。

 足を踏み入れることはできないが、光景を目にすることはできた。開け放たれたドアの先を目にしたイオニアスは、この世のものとは思えない美しさに言葉を失った。


 濁りのない、青い空。

 色とりどりの花々が揺れる草原の向こうに、純白の城が望めた。

 草花の間に目を凝らすと、七色に輝く羽の妖精があちらこちらに隠れている。

 そんな妖精らに気遣いながら、何頭もの一角獣がくつろいでいた。

 と、一角獣がいっせいに城を向く。誰かがこちらに向かってきた。

 ゆったりとしたドレスの裾を風になびかせる女性と、その女性の手を握って歩く男性の輪郭が近づく。男性の頭には、王冠があった。


 すべての一角獣が、まるで頭を垂れるように角を下に向けた。と、やがてまばたきをする間もなく、その場に跪く騎士の姿に変わった。


(なに? なんだこれは。どういうことだ、これは?)


 イオニアスが驚いて目を見張った瞬間、どこからともなく声が聞こえた。


 ――かつて存在した一角獣は、人の姿で王族に仕えた。

 ――だが、遠き昔のこと。みな、消えた。

 ――みな消えて、わたしの記憶に棲むものとなった。


(消えたとは、どういうことだ)


 ――言葉どおり、この世界から消え、別の世界に去った。

 ――戦いに命を落としたものもいる。夢のような時代が終わり、不可思議なものを必要としない時代になった。必要とされないものは、この世を去る運命にある。

 ――いまの、わたしのように。

 

 ドアが静かに閉じられる。


 ――これは、わたしが唯一覚えていること。唯一で最後の、幸せな光景。


 イオニアスが必死に呪文を続けても、ドアは二度と開かずに消えた。

 残ったのは、床の上でページを広げる筆記帳だけである。


(……短かった。だが、素晴らしい記憶を見せてもらった)


 心の中でつぶやきながら、イオニアスは筆記帳を手にした。


「あなたはじゅうぶん、必要とされている。どうか私に、あなたの記憶を貸してくれ」


 机に筆記帳を置き、革表紙に手のひらを添える。魔術で目にした葉を思い出しながら、呪文を唱える。

 指輪が光り、無地の革表紙に枝葉のような文様が流れるように刻印されていく。

 ゆっくり手を離したイオニアスは、この筆記帳に誓った。


「私の目にした素晴らしいことだけを、あなたに刻もう。その契約の代わりに、数枚の紙を王妃のために使わせていただきたい。よろしいかな」


 ふわりと筆記帳が輝いた。了承してくれたようだ。

 椅子に腰掛けたイオニアスは、さっそくペーパーナイフを手にとって、数枚の紙を丁寧に切り取った。

 その紙をさらに小さくしていき、呪文を唱えながら一枚一枚に指先で魔術陣をしるしていく。

 それを終えると、分別して封筒に入れる。いったん木箱におさめた中から、王妃とダニエラ用の封筒だけをたずさえて、イオニアスは王妃のサロンに向かった。



* * *



「わたくしが自国から持ってきたドレスですか?」


 王妃に訊かれ、イオニアスはうなずいた。


「どのようなドレスでもかまいません。そのドレスの内側、胸と背中に、この紙を縫い付けていただけますでしょうか」


 まずは王妃に封筒を渡す。中を開けた王妃は、真っ白な二枚の紙を目にして首をかしげた。


「これは……?」

「私にしか見えない魔術陣が描かれております。それがあることによって、私は王妃殿下のドレスやそのほかのお姿に、魔術をかけることが可能となります。ですが、どうぞ怖がらないでください。いっさいの危険はないとお約束します」

 

 王妃が小さく笑った。


「あなたを疑ってなどいません。わかりました。胸と背中に縫い付けておきましょう」


 続けて、ダニエラにも封筒を渡す。自分は関係ないと思っていたらしいダニエラは、目を丸くして驚いた。


「わたくしも……ですか?」

「はい。ぜひ、ダニエラ殿にもご協力をお願いしたい。ダニエラ殿には、できるだけ簡素なドレスをご用意いただきたいのですが、お持ちですか」

「まあ、一応……装飾のないドレスを持っていますが……?」


 不思議がられてしまった。無理もない。


「ダニエラ殿には、少々おおがかりな魔術をほどこさせていただくので、その邪魔になりそうな装飾はないほうが好ましいのです。もちろん、あなたにもなんの危険もないと約束します」


 王妃と同じく、ダニエラは笑った。


「疑ってません」

「念のためです」


 そう言ったイオニアスは、自分の魔術について少し語った。


「私の魔術は、もともと竜や魔物を幻惑し、すきをついて倒すためのものです。ときには攻撃のため、武器に魔術陣を刻印して幻獣に変え、あやつることもある。これはそういった魔術を応用したものです。ですので、紙の魔術陣がドレスから取れてしまったら、私の魔術が効かなくなります。わりとしっかり縫い付けていただけると助かります」


 王妃とダニエラはぽかんと口を開けていた。と、やがてダニエラが口を開く。


「……そんな、すごい方だったのですか……?」

「相応の脅威があれば、たぶんそうなんでしょう。まあ、そんなものないほうがいいんですが」


 目下、己の魔術の使いどころに悩みまくっているところである……なんて言えない。イオニアスは控えめに苦笑する。


「私を便利に使うくらいが、国にとってはちょうどいいんです」


 いまいち腑に落ちていなそうな王妃とダニエラにかまわず、イオニアスは舞踏会当日の手順について説明した。


「その日はアントンに合図をさせるので、それまではこのサロンにいてください」

「それだけですか?」

「はい。ですが、私の力が発揮されるのは、舞踏会の夜までです。その結果がどうなるのかは、神に任せるしかありません。しかし、少なくともきっかけにはなるかと思います。その先は、王妃殿下ご自身にかかっております」

「ええ、そうね」


 王妃は真剣な眼差しで相槌をうった。イオニアスが言葉を続ける。


「必ず陛下と踊る機会をつくりますから、ご自分の素直なお気持ちをお伝えください。私が王妃殿下にしていただきたいことは、それだけです」


 はっと息をのんだ王妃は、すぐさまゆるやかに表情をゆるめ、微笑んだ。


「あなたの言葉、身にしみます。最後の夜になるかもしれませんから、恥ずかしがることもありませんもの。わたくしも覚悟して、思う存分伝えてみましょう」


 そんな王妃の言葉を、ダニエラは静かに聞いていた。

 イオニアスは頭を下げ、暇を告げた。


「では、本日はこれで」



* * *


 

 すっかり日が落ちたころ、アントンが離れに戻った。

 二人の令嬢からの返事は、「もちろん出席する」である。

 悔しがるブランカを舞踏会で見ることができたあかつきには、ぜひ王妃のサロンにうかがいたいとのことであった。


 それから舞踏会までの日々は、なにごともなく淡々と過ぎた。

 〝王宮のなんでも屋〟が舞踏会でなにか披露するらしいことや、王妃の侍女に片思いしているようだとの不名誉な噂が一瞬たったものの、国王とその恋人の件からすれば鼻くそみたいなものである。


 そう――イオニアスのことなんて、誰も気にしないのだ。


 きっと舞踏会でだって、魔術で大きな花火を見せてくれる程度のことだろう。それよりも、国王の恋人がどこの誰なのか知りたい。

 都に続々と集まりだした貴族たちの話題は、もっぱらそればかりであった。

 やがて、どうやらその相手が宮廷占術師の妹君であることがささやかれ、賑やかな夜会はそのことでもちきりとなった。

 彼らの眼中に、イオニアスも王妃も、もちろんその侍女なんて入ってなどいない。


 そんな中、舞踏会がいよいよ明日に迫った。

 

 寝静まった真夜中。

 イオニアスとアントンは、魔法陣の紙を入れた封筒をたずさえながら、人影のない広間と庭園に向かった。

 小さな紙片を内外のいたるところに貼り付け、隠し、ときには土に埋め込んでいく。柱の影、扉や窓枠に四隅の床。草花の下、木々の枝葉――。

 時間をかけて丁寧に、間違いないよう紙片を隠していく。


「こっちは終わりました、先生」

「ありがとう、アントン。こちらも終わった」

「こういう魔術の方法もあるんですね」

「私以外のものの力を借りるからな」


 えっ? とアントンが驚く。


「王妃殿下にいただいた筆記帳の紙は、隣国の遠い昔を知っていた。その記憶を借りてこの空間を別世界にするために、こういう下ごしらえをしなくてはいけないんだよ」


 そう言ったイオニアスは、地面に杖をつき呪文を唱えた。

 隠し終えた無数の紙片が、呼応するように輝く。星屑のようにふわりとまたたき、瞬時に暗闇に戻った。


「よし、これでいい」

「いよいよ明日ですね! うまくいくといいですね!」

「そうだな。それに――」


 イオニアスはあくび交じりで空を指した。


「もう今夜だ、アントン」


 東の空が、ライラック色に染まりはじめていた。

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