第9話

 まばゆい陽射しに包まれた庭園を歩く。

 もう起きていられる時間が少ない。切羽詰まったイオニアスは、一歩うしろを歩くダニエラに言った。


「いまにも眠ってしまいそうなので、単刀直入に訊ねます」

「えっ……と、はい?」


 睡魔で頭がぐらぐらしてきた。イオニアスは立ち止まらず、振り返ることなくさらりと訊いた。


「あなたはなぜ、わざわざ侍女の姿をしているんですか」


 はっと息をのむ気配が伝わる。あくびをこらえて振り向くと、ダニエラが呆然と突っ立っていた。

 イオニアスはダニエラに近づき、声を潜めてふたたび問う。


「なぜ、騎士として王妃殿下に付かなかったんです?」


 ダニエラの顔が青ざめていく。


「ど、どうして……」

「私は過度の寝不足になると、酔っ払ったような感覚に陥る。そのせいで普段は目に映らないものが見えてしまうのですが、それらはほとんど真実だったりすることが多い。一種の職業病みたいなものです。そういうわけで、あなたのそれが」


 地面に落ちる影を指すと、ダニエラも顔を下げて見た。


「さっきからずっと、私には立派な騎士に見えています」

「――えっ!」


 当然、ダニエラの目にはドレス姿の自分の影が見えているはずである。驚くダニエラにかまわず、イオニアスは言葉を続けた。


「どうしてあなたが、クリスティアーノとの決闘に勝てると言ったのかわかりました。てっきり訓練された侍女なのだろうと思っていたが、もともと騎士だった者がドレスを身につけ、侍女に変装したのだと思えば納得がいきます」


 つまり、女性ではない。ダニエラは男性なのだった。


「女性の騎士も珍しくない時代ですが、あなたの影から察するにそうではなさそうだと判断してます。まあ、眠気もひどいのでそのあたりはどうでもいいんですが、ただ、この素朴な疑問を解明してから眠りたかったので」


 ダニエラはあんぐりと口を開け、固まっていた。


「変装しているくらいなので、事情があるんでしょう。他言はしません。事実だけ教えていただければそれでいいんです」


 ダニエラはまばたきもせず、あ然としていた。と、やがて大きく息をつき、うっすらとした笑みを浮かべる。


「……まさか、バレるとは。たしかに、わたくしは……俺は騎士です。魔術師殿」


 本当の名は、ダニエル。

 代々、王族に仕える騎士を輩出する一族に生まれたのだそうだ。


「俺の一族は、王族とともに暮らします。俺は子どものころ、自分で言うのもなんですが女の子のようにかわいくて、年齢の近かった王妃様……フローラ様の一番の仲良しとして育ちました」


 いわゆる、幼馴染である。

 一緒に育ち、年齢を重ね、やがて身分の違いを知ることになる。


「フローラ様がこの国に嫁ぐとなったとき、まっさきに手をあげました。ですが、騎士として付けば、フローラ様との距離に制限ができますし、ほかにも侍女を付けなくてはいけません。けれど、俺が護衛を兼ねた侍女になれば、フローラ様を誰よりも近いおそばで守ることができます」

「では、王妃殿下も知っていることなのですね」


 ダニエラが笑った。


「もちろんです」


 身の回りのことは王妃自身が行っているので、その窮屈さをダニエラは申し訳なく感じているらしい。笑みを消し、視線を落とす。


「この王宮の人たちには、決してバレないようにしてきました。王妃様を守るためとはいえ、男である俺が四六時中そばにいたなんて知られたら、処罰されてもしかたのないことですから」


 自分の人生を賭けて王妃に付き、国をあとにして来たのであった。


「この国で、王妃様の信頼できるご友人や侍女ができたら、俺こそいったん自国に戻り、あらためて騎士としてこちらの国に訪問する予定でした。でも、ものごとはそううまくはいかないものです」


 言葉をきり、ダニエラはうつむいた。その様子を目にしたイオニアスは、思わず言ってしまった。


「すごい忠誠心だ」


 ダニエラは視線を落としたまま、どこかさみしげな笑みを浮かべた。


「王妃様のおそばにいられるのなら、俺はなんだってします」


 その言葉で、察してしまった。これは、ただの忠誠心からしたことではない。

 神に誓えるほど恋に興味のないイオニアスだが、他人のそれにはちゃんと勘が働いてしまう。心底疲れる性分である。

 

 ダニエラは――ダニエルは、バレたら処罰されるとわかっていて、それでもなお、女性の姿になるべく髪を伸ばしてドレスを身にまとい、ここまで来た。

 騎士としての尊厳を捨ててまで、命がけの覚悟を王妃に捧げているのである。


 子どもでもわかるほど、あきらかだ。

 彼は、王妃に恋しているのだ。おそらく、ずっと昔から。


(ああ……知りたくなかった。気づきたくなかった。なんとやっかいなことだ)


 眠気にかこつけて、訊ねなければよかった。もっと単純な答えが戻ってくると思っていたのに、まさか他人の叶わぬ恋慕を知るはめになるなんて。

 できることなら、ついさきほどの自分の口を塞いでやりたい!


「いま耳にしたこと、けっして他言はしません。ぶしつけなことを訊いてしまった。謝罪します」


 イオニアスは頭を下げた。


 王妃が自国に戻り修道院に入ったら、もう二度と王妃に会えない。

 おそらくそのこともあって、彼は王妃を戻したくないのかもしれない。

 たとえ、他人の寵愛を受ける妻になったとしても、会えるほうを望んでいるのだ。


(……だからって、私にはどうすることもできない)


 イオニアスは息をついて気を取り直し、その場から立ち去ろうとした。その矢先。


「魔術師殿。先日の失礼な態度を、こちらこそ謝罪します」


 侍女らしい態度で、ダニエラが言った。


「この王宮の人々が、全員敵に思えてしまって」

「ああ。それなら私も同じです」


 イオニアスの言葉に、ダニエラはやっと笑った。


「できることや用意するものがあれば、どうぞわたくしにおっしゃってください」

「そうします」


 会釈したダニエラが背を向ける。そのとき、イオニアスはふとどうしても、とあることについて訊ねたい衝動にかられた。


「ダニエラ殿」


 思わず呼び止めると、ダニエラが振り返る。イオニアスは一瞬迷ったが、結局質問を投げかけた。


「王妃殿下は……我が国の陛下をどう思っておられるのですか」

 

 少し口ごもったダニエラは、意を決したように口を開く。


「王妃様は陛下と対面したときから、恋に落ちています。ずっとおそばにいたわたくしにはわかります」


 そう言って小さく微笑み、ふたたび歩き出そうとする。

 王妃にとってのたのもしい友人を、この騎士は、幼いころからずっと演じてきたのだ。

 悟られないように演じ、演じたまま生涯を終えるのか。

 そうだとしたら、あまりにもせつない。

 

「――ダニエラ殿」


 訊きたくないと思っているのに、言葉が勝手に口から飛び出す。


「王妃殿下の願いではなく、あなた自身の願いは、なんですか」


 イオニアスの突然の問いに、ダニエラは困惑する。しばし押し黙って視線を落とし、やがてかすかに頬を赤らめた。


「……できることなら堂々と、王妃様と踊ってみたい。ずっと仲良しでしたし、暇があれば遊びのようなダンスをすることはありましたが、舞踏会ではお互いに一線を引いていました。だからこれまで一度も、華やかな場できちんと踊ったことがないんです」


 ――もしもそれが叶ったら、思い残すことはなにもない。

 

 そうつぶやくように言い残し、ダニエラは立ち去った。

 残されたイオニアスは、いったんなにも考えないようにし、即座に離れに向かった。

 考え出すと身体が止まるので、とにかく足早に離れを目指す。

 やっとのことで書斎の扉に手をかけようとした矢先、とうとうこと切れてその場に倒れ、瞬時に眠り込んだのであった。



* * *


 

 身体が重く、息苦しい感じがする……。

 イオニアスは壁のろうそくが揺れる、薄暗い通路で目を覚ました。

 どうやら書斎の扉の前で、すっかり寝入ってしまったらしい。頭の下にはクッションがあり、これでもかというほど重なった毛布の下敷きになっていた。


(この毛布の重さは、アントンの思いやりの結果か……)


「ああああ、よかったです! 起きられたんですね、先生~!」


 噂をすればなんとやら。アントンの涙声が近づき、視線を向ける。高く積み上げた毛布を抱えたアントンが、イオニアスのそばに来た。まるで毛布が歩いているようだ。


「寝入られた先生を寝室まで運ぼうとしたのですが、僕には無理だったんです~! 寒くならないようにいっぱい毛布をかけましたが、今日になってやっぱりもっとあったほうがいいかと思って、たったいま王宮から持って来たところでした! とにかくよかったです~!」


 ありがたいが、すでに毛布の山の下にいる。これ以上毛布を重ねられたら、寒さから逃れられた代わりに窒息してしまいそうである。


「そ、そうか……。ありがとう、アントン。毛布はもう大丈夫だ」


 ううっ……と小さくうめきつつ、ズルズルと毛布の山からなんとか這い出た。

 立ち上がり、ろうそくの灯る通路を見て、


「ちなみにだが、いまは夜か?」

 

 そう訊くと、アントンが答えた。


「いいえ、早朝です、先生」


 しかも、倒れて寝入った翌日ではなく、翌々日の早朝であった。

 何度起こそうとしても、寝息をたてるだけでビクともしなかったと言う。ごく稀にあることなのだが、通路で寝入ったのはさすがにはじめてだ。

 たっぷり眠ったおかげか、珍しく気分がいい。思考も透明な水のごとく澄んでいる。このような状態はめったにないので、書斎に入ったイオニアスはすぐにアントンに告げた。


「さっそくだが、アントン。頼みたいことがある」

「はい、なんでもおっしゃってください!」

「ブランカ嬢にいやな目にあわされて、社交界にあらわれなくなった令嬢を探せるか?」

「え?……と、はい。探せます!」


 心強い即答である。自分で頼んでおきながら、イオニアスはちょっとびっくりした。


「どうやって探すんだ?」

「洗濯室にいる人たちが教えてくれます」


 王宮の使用人たちは、没落した貴族や下級貴族の者がほとんどで、王宮の事情にやたら詳しかった。とくに、地下の洗濯室は堂々と噂話ができるので、使用人たちのたまり場になっているのである。

 

「でも、先生。ブランカさんにいじわるされた人を探して、どうするんですか」

「王妃の味方になってくれる令嬢がいるかもしれない。ダニエラ殿以外にも、王妃には味方が必要だ。この国の味方がな」


 アントンがうなずいた。


「わかりました。絶対見つけます!」

「頼んだぞ」


 窓から朝日が差し込んだ。

 なにせ、丸一日を棒に振っている。吐くほど忙しくなりそうな一日のはじまりを、イオニアスは覚悟したのであった。

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