第8話

「おお! 引き受けてくれるか!」


 翌日の昼下がり。

 国王と謁見したイオニアスは、依頼された舞踏会の件を引き受けると告げた。

 

「しかし、ひとつだけお願いがございます」

「どうした? なんでも言うがいい」

「当日どのような魔術をほどこすかは、私の一存にお任せいただきたいのです。絶対にご期待に添うとお約束いたします。ですので、どうかご容赦を」

 

 イオニアスの秘密めいた提案に、国王は瞳を輝かせた。


「わかった、あなたに任せよう。当日を楽しみにしているぞ、イオニアス」


 この若き美青年の国王は、けっしておバカさんではない。むしろ超のつく真面目であるし、執務もとどこおりなくこなす。剣の腕も達者で、人知れず努力家でもある。だからこそ、廷臣らをはじめとし、国民の人気も高かかった。

 だが、国王も人間。欠点はある。

 恋に関してウブなため、押しの強いブランカのような令嬢に甘く、弱いのだ。

 そんな純真な陛下の恋を粉々にぶっ壊す腹づもりで、イオニアスは神妙に頭を垂れた。

 

「どうぞお任せくださいませ」


 執務室をあとにしたイオニアスは、クリスティアーノに出くわさないよう細心の注意を払いつつ、足早に王妃のサロンへ向かった。

 一睡もしていないので、いまにも倒れそうである。もはや気力で身体を動かしている状態だったが、こんなときにかぎって体力を消耗するような相手を目にしてしまうのはなぜなのか。


 五人もの取り巻きを引き連れたブランカが、庭園を歩いていたのである!


 魔術で食料庫に飛ばされたショックもどこへやら。どこからどう見ても元気そうだ。わかってはいたが、ブランカはあんなことで寝込むような令嬢ではない。やはり、兄のおおげさな嘘だったらしい。信じなかった自分を褒めてやりたい。


 回廊にさしかかっていたイオニアスは、とっさに足を止めて彫像の陰に身を潜ませた。べつに見つかってもいいのだが、ただでさえぎりぎりの気力と体力である。もしもいま、ブランカと対峙したならば、めまいに襲われて倒れる確率が高かった。

 そんな姿を見られたら、末代まで笑われる。それだけは意地でも避けなくてはならない。


 彫像の陰にいても、ブランカの高らかな笑い声が聞こえてきた。と、すぐにぴたりと止まる。やっと通り過ぎたかと彫像から顔を出した瞬間、イオニアスはぎょっとした。

 同じく庭園を歩いていたらしい王妃とダニエラが、ブランカ軍団に出くわしてしまったのだ。


 ここからの距離では、なにを話しているのかわからない。だが、取り巻きの数ですでに負けている王妃に対し、なにやら慇懃無礼な言動をとっていることは、ダニエラの不機嫌そうな横顔から見てとれた。

 ダニエラが王妃の手をとって通り過ぎようとすると、ブランカの取り巻きらが通せんぼをして冷ややかに笑う。

 王妃に対して失礼千万だが、弱小の隣国出身であるうえに、取り巻きは皆無。さらに、陛下の寵愛をまったく受けていないとなれば、さもありなんという状況である。


(まったく、息をするだけで疲れることばかりだな、王宮ここは)


 さすがに見ていられない。二本の指を口に添えたイオニアスは、「ヒュッ」と息を吹く。と、どこからともなく飛んできた数羽の鳩が、ブランカ軍団の頭やドレスに糞を落としはじめた。


「きゃあっ! いやああ!」

「汚らしい! はやく誰かとってちょうだい!」


 騒ぐ軍団の横を、王妃とダニエラは急いで立ち去った。

 たったこれだけの魔術で疲労に襲われたイオニアスは、本日最後かもしれない力を振り絞り、王妃とダニエラのうしろを追いかけてサロンに向かった。


 まばゆい陽射しが、庭の噴水をきらめかせ、木漏れ日をつくり影を揺らす。

 青い空が心地よく、頬を撫でる風も爽やかだ。ふっくらと浮かんでいる雲が、だんだん枕に見えてきた。いますぐにでも泥のように眠りたい。

 

 究極の睡眠不足と疲労は、ときに、イオニアスに不可思議なものを見せることがあった。

 まどろみのもたらす幻覚のような、普段はけっして目にすることのないものたち。

 それが、このとき久しぶりに視界に飛び込んできた。

 イオニアスは困惑しつつもただひたすら、王妃を連れて歩くダニエラの影を見つめた。


 芝生に落ちるその影の輪郭は、ドレスをまとった厳格な侍女ではなく――なぜか腰に剣をたずさえた、凛々しげな騎士のそれであった。



* * *



「舞踏会?」


 サロンにいた王妃は、イオニアスの提案を聞いて困惑した。

 これまでも小さな舞踏会はあったが、すべて離宮で行われていたため、参加することはなかったと王妃は話す。そんな王妃を、窓辺にいる猫のアンドレアが心配そうに見つめていた。


「今回も参加するつもりはなかったのですが、まさかわたくしが、その舞踏会の主役……?」

「今回の舞踏会は、社交シーズン到来を知らせる行事です。この王宮の広間で行われますので、大勢の貴族たちも集まります。王妃殿下の存在感を陛下にアピールするには、絶好の機会です」


 王妃がうつむいた。


「けれど……そうであれば、わたくしと陛下の挙式のときこそ、わたくしの存在感を広める機会だったはずです。たくさんの宝石や、手間のかかった手刺繍のドレスを身にまとって、できうるかぎり自分を飾り立てました。けれど、陛下の視線は冬のように冷たかったのです」


 哀しげに長いまつげを伏せる。イオニアスは言った。


「今回は、いっさい飾り立てなくてけっこうです」

「……え?」

「あるがままの王妃殿下を、陛下や貴族らに知っていただきましょう」

 

 王妃とダニエラが目を丸くする。イオニアスは言葉を続けた。


「幾度も戦いに打ち勝ってきたこの国では、自己主張の強さやたくましさを尊ぶ傾向があります。とくに、この王宮にあってはそうです。なんなら若干ずるいくらいでちょうどいいという風潮すらあります。もっとも、私は違います。そういうのは本当にもう、心底疲れますので……」


 うっかり愚痴りながら眠りそうになり、イオニアスは自分の手をつねった。


「とにかく、そういうわけですので、妖精のように儚げに見える王妃殿下を――隣国のことを、失礼ながら下に見てしまっている者が大勢います。ですので、王妃殿下の真の姿でみなを驚かせ、その考えを覆させてやれば、陛下のお気持ちも変わるかもしれません」

「わたくしの、真の姿?」

「心の美しさが真の強さではありませんか? 私はそう思います」


 はっとした王妃が、ダニエラと顔を見合わせる。と、ダニエラが口を開く。


「……それで、わたくしや王妃様は、どうしたらいいのですか」

「当日まではいままでどおり静かに、占術師のすすめた服装や振る舞いを続けてお過ごしください」


 王妃がけげんそうに首をかしげた。


「では、わたくしはこのまま……なにもしなくてもよいということですか?」

「はい。いくつか準備していただくことはありますが、そのほかのことはすべて私にお任せください。それと、どうかこのことは他言なさらないようお願いいたします。邪魔が入ると面倒ですので」


 イオニアスの言葉に、王妃は小さく微笑む。


「わたくしには、他言したくてもできる相手などいないのです。ですから、安心してください、イオニアス」


 頭を下げたイオニアスに、王妃は言葉を続けた。


「たとえ事態がなにも変わらなかったとしても、わたくしが自国に戻るだけのことです。このままじっとしているより、あなたの魔術を見られたほうが楽しいわ。だから、あなたにお任せします。ここでの最後の思い出になるかもしれませんから、どうか楽しませてください」


 いやいや、最後の思い出にするわけにはいかない。

 そんなことになったら、この国がブランカによって破壊されてしまうのだから!

 想定外すぎる使命をたったひとりで背負いつつ、イオニアスはただただ静かに頭を垂れた。

 

「はい。必ず」


 そうして、ふたたびダニエラの影を盗み見る。大理石の床に落ちるそれは、やはり凛々しく立つ騎士のままであった。

 これは訊ねたほうがいいと、直感する。

 眠りたいし思考回路もぼんやりしてきたが、そのくらいのときのほうが、訊ねにくいことも言葉にできる。

 もはや限界を越えつつある気力と体力を振り絞り、イオニアスは王妃に言った。


「少しダニエラ殿をお借りしたいのですが、よろしいですか?」

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