第3話

 宮廷の〝なんでも屋〟と化しているイオニアスだが、実は魔術を使って未来を視、予知することも可能である。

 だが、国王と教皇のお気に入りであり、社交界の華である占術師の立場はかなり強く、イオニアスがしゃしゃり出られる隙間など、いまだかつてあったためしがなかった。


 もっとも、あったとて他人の領分を侵害するなど面倒なことになるだけなので、するつもりもない。しかし、宮廷占術師のクリスティアーノは、ことあるごとにイオニアスを下に見て、宮廷の予算をたんまりかっさらっていくのである。

 面倒くさがりのイオニアスだが、やつの領分にだけはいつか分け入ってやりたいと思う程度には、腹立たしく思っている相手であった。


 昨年だってこちらの予算がごっそり削られ、どこに移ったのかと思えばやつのもとである。おかげで写本用のインクすら、自腹で出さざるを得ない有様だ。まあ、自分だって侯爵のはしくれ、懐が痛む値ではないからいいのだが、そういう問題ではない。

 そのほかにも細々とした因縁が数々あって、イオニアスはとにかく宮廷占術師が苦手であった。そして、その妹であるブランカもまた、兄に輪をかけていけすかないのである。


 結い上げられた豊かな黒髪、果実のような唇。控えめに微笑む表情は愛らしく、ふっくらと染まった桃色の頬も愛玩人形のようだ。

 純真無垢で天使のような令嬢。

 だが、それは表の顔。

 裏の顔は、邪悪で計算高い野心家。自分よりも立場が弱いと判断した相手には、容赦のない冷笑を浴びせ、己の世話をしてくれる侍女や使用人をも虐げる。さらには、他の令嬢が社交界の人気者にならないよう、策略して貶めることもいとわない。

 まったくもって恐ろしい人物なのだが、それを知る殿方はいなかった。

 そう、ここにいるイオニアスを除いて。


(王宮でそのような目にあっている貴族の殿方は、私だけだからな)


 とりたてて活躍するでもない冴えない魔術師が、活躍しまくりで人気者の兄と同等の地位に就いていることが、ブランカとしては気に入らないうえにやるせないのだろう。

 たいして面識もないのだが、顔をつきあわせる機会があるたび、なんとかしてイオニアスの足を引っ張ってやるという勝手な情熱を、ブランカはひしひしと無駄に伝えてくるのであった。

 〝苦手リスト〟の上位に君臨するのも、納得の相手なのだ。


 だが、イオニアスにとってはそうでも、ブランカは社交界の人気者で、多くの縁談をもちかけられていた。それなのに、なぜか年頃になっても独身を貫いていた。

 その理由が、今夜判明してしまった。

 社交界においての女性の頂点は、有力者を夫として確固たる地位を築くことである。すでに裕福な立場である貴族令嬢のブランカにとって、そのへんに転がっている貴族を夫にするなど、凡庸の極み。

 最終的に得るべきものは、特別であらねばならない。それが――。

 

 ――我が国の、若く美しい国王陛下だったとは!


 しかし、国王の愛妾が誰であろうが、イオニアスには知ったことではなかった。

 邪悪なブランカがその立場におさまって、兄の人気がさらに増したところで、肉々しくはあれど好きにすればいいという思いもある。

 そうなれば、いよいよ宮廷魔術師たる自分の役目も消え失せて、煩わしいこの王宮を去ることができるかもしれない。そうしたら、夢だった旅に出られるのだ。

 むしろ、よいことだらけではないか。

 願ったり叶ったり!……なのだが、うっかり王妃のことが脳裏をよぎってしまった。


(ブランカ嬢が愛妾になったら、あの王妃の立場はもっと弱くなるかもしれない……)


 嫌な予感がした。イオニアスのこのような予感は、哀しいかなよく当たるのだ。

 そんなイオニアスの懸念を尻目に、当のお二方のいちゃつきは増していく。


「あなたは本当にかわいらしい。どうしたら永遠に私のものにできるだろう?」

「いやですわ、陛下。そんな、ご冗談を」

「冗談ではない。ほら、こうしてあなたの指先に口づけて……」

「……うふふふ、くすぐったいですわ」


 忌々しすぎて見ていられない。アントンも、両手で目を塞いでいた。ただし、指の間は大きく広がっている。その手の意味がないぞ、アントン。

 思わず嘆息したときである。


 ベンチ下の猫がこちらを向き、ニャーと鳴いた。

 国王とブランカはいちゃつきを止め、とっさに隣のベンチを見下ろす。


 イオニアスはすぐさま、アントンとともに木陰に隠れた。

 だが、一足遅かった。こちらの気配に気づかれてしまったらしい。


「おい、そこにいて覗き見をしている無礼者は誰だ!」


 覗き見の否定はできない。おっしゃるとおりの無礼者である。

 ため息をついたイオニアスが、あきらめて姿を見せようとした矢先だった。


「シャーッ!」


 猫がブランカのドレスに爪をたて、シュッと引き裂いた。


「まあいやだ! なんですの、この猫は!」


 この瞬間、イオニアスは王妃の猫――アンドレアが好きになった。


「見たことがある気がするが、思い出せない。どこぞの貴族の猫であろう」


 国王は王妃の猫だと知らないらしい。それがすべてを物語っていた。

 国王は王妃のもとを、ほとんど訪れていないのだ。


「失礼いたしました、陛下。そちらは王妃殿下の猫でございます」


 姿を見せたイオニアスが伝えると、国王ははっとし、つぶやいた。


「イオニアス?……そうか、そうだったか」


 アントンが猫に手招きする。尻尾をたててゆっくりと近づいてきた猫は、アントンに抱きあげられると安堵したように喉を鳴らした。


「迷子になった猫をこちらで見つけましたので、すぐに連れて帰りたかったのですが、お二人の邪魔になりそうでしたのでしばし様子を見ていたところです。どうか、ご容赦を」


 イオニアスが一礼すると、国王が苦笑した。


「……それは気まずい思いをさせてしまったな」

「けれど、結局は陛下のお邪魔になりましたわよ、魔術師殿。お得意の魔術で猫をどうにかできなかったんですの?」


 なるほど、そうくるか。ブランカのいやみな言葉に、イオニアスは内心苦笑する。


「もちろんどうにかなりますが、そういたしますと貴方様のお美しいドレスが、私の魔術陣の巻き添えになって粉々になり、あられもないお姿で王宮を徘徊なさるはめになります。それでもよいとおっしゃられるのでしたら、いまここで試しに――」


 嘘をつき、杖をかかげて見せる。


「――い、いいわ! わかりましたから、やめて!」


 焦ったブランカに引き止められた。その直後、植物園の出入り口方向から、王妃の侍女であるダニエラの声が聞こえてきた。


「……魔術師殿はいらっしゃいますか? アンドレア様の足跡がふいに消えてしまいましたが、なにごともなくご無事でしょうか?」


 よほど猫が気がかりだったのか、時間差で追いかけてきたらしい。

 今夜はずいぶんな人気者ぶりである。一生分の人気運を使い果たしたのではないだろうか。

 声のする方向を振り返り、こちらにいますと声をあげようとしたときだった。


「誰だ?」と国王。

「王妃殿下の侍女、ダニエラでございます」


 イオニアスがそう答えたとたん、国王は苦い顔つきになり、焦った様子で近寄った。


「このようなことを願うのも気まずいが、すまないイオニアス。おまえの魔術で、私と彼女をここから〝消す〟ことはできないだろうか」

 

 彼女とは、あきらかにブランカのことである。


「……はい?」


 イオニアスは素直に困惑した。侍女の声が近づいてくる。国王の焦りは頂点に達した。


「……簡潔に伝える。私は王妃がどうにも好きになれず、一度も夜をともにしていない。いまここで侍女に見つかれば、私とここにいる彼女の関係が明るみになるだろう。私に恋人がいようが責められる立場ではないが、公にするのは時期尚早と判断している。とにかくいまは、彼女を守りたいのだ」


 え?………………守るって、その邪悪なブランカ嬢をですか?


 なんて問えるはずもない。「まあ!」と頬を赤く染めつつ、勝ち誇ったような眼差しをこちらに注いでくるブランカを見て、イオニアスは脱力した。


 侍女の声が大きくなる。ブランカの手を握って詰め寄ってくる国王を目にし、なにもかもがバカバカしく思えたイオニアスは、命じられたとおり杖をかかげた。


「……承知いたしました。しかし、お二人とも別々の場所へ送ってもよろしいでしょうか」

「一緒は無理なのか」

「無理ではありませんが、どちらかがお怪我をなさる可能性がこざいます」


 むしろ一緒に送るほうが簡単だし怪我をすることもないのだが、どうしてもそうしたくなかったので、嘘も方便ということにした。


「いたしかたない。おまえに任せよう。だが、王宮内で頼むぞ」

「かしこまりました。重ねて失礼ながら、そのつないでいらっしゃる手を離していただけますか、陛下」


 国王は素直に従い、ブランカの手を離した。

 イオニアスは呪文を唱え、石畳に杖をつく。輝く煙のごとき魔法陣が二人をそれぞれ囲み、渦を巻いていく。ふたたび呪文を唱えて杖をついた刹那、二人の姿は魔法陣ごとおのおの消え去った。

 まさに、その直後である。


「こちらにいらしたのですか」


 どうして返事をしないのだと言わんばかりなむくれ顔で、ダニエラが姿を見せた。と、アントンの腕でくつろぐむっちりとした純白の長毛猫を見るや、満面の笑みになった。


「アンドレア様! ああ、ご無事でよかった。さあ、こちらへ!」


 アントンから猫を渡され、ダニエラが抱きかかえた。


「ほっといたしました。王妃様に変わってお礼を言います。ありがとうございました、魔術師殿。それから……」

 

 視線を向けられたアントンが答える。


「イオニアス先生の従者、アントンと申します」


 イオニアスにはどことなく冷たいダニエラだが、あどけなさを残す少年には優しくあろうとしているのか、控えめな微笑みを見せた。


「ありがとう、アントン。では、これで。王妃様のもとに戻ります」


 猫を抱いて去っていくダニエラの背中を、イオニアスは静かに見守った。

 とにかくこれにて、一件落着である。……いや、落着したのか?


「あの、先生」

「どうした、アントン」

「陛下とあの方を、どちらに送ったんですか?」


 ため息をついたイオニアスは、ガラスの天井をあおぎ見る。そうして、遠い目を星空に向けた。


「……大人げないとわかりつつも、それぞれ適当にさせていただいた。私の魔術がヘタなせいにしておけばいい」



 * * *



 果たして、ブランカは真っ暗闇の食料庫にいた。


「や、やだ……ちょっと、ここはどこですの!? 暗いしなんにも見えませんわ! まったくもう、あの冴えない魔術師ときたら、やっぱり魔術もヘタなんじゃありませんの! 今度会ったら絶対に許さなくてよ……って、キャアッ! ネズミの鳴き声が……っ! 誰か、誰か助けてえええ――――っ!」


 その、同じころ。

 サロンの長椅子に腰掛けて静かに目を閉じ、ダニエラとアンドレアの帰りを待っていた王妃は、ふと人の気配を感じて目を開け、ぎょっとした。


「……い、いつの間にいらしたのですかっ」


 国王は呆然とした顔つきで、室内に立っていた。


「……いまの間に、であるな……?」

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