第2話
「お願いします、イオニアス。一刻も早くわたくしのアンドレアを見つけてください」
一人の侍女に見守られながら、王妃は不安げな様子でサロンを歩きまわっていた。
「こちらに嫁ぐ前、母上がわたくしにくださった大切なお友達なのです。あの子やここにいるダニエラのおかげで、わたくしはこの異国の地にあっても、さびしさを感じずに暮らせているのです……」
ダニエラとは侍女の名らしい。
王妃はハンカチで涙を拭ってから、しゃべりすぎたと思ったのか、それで口元をさりげなく隠した。
「……なんて、この国の方に失礼でしたわね。気が動転してのことです。いまの発言はどうかお忘れになって」
「大丈夫です、王妃殿下。どうぞご心配なさらず」
社交の場が苦手なイオニアスがこうして王妃を目にするのは、ほんの数か月前に行われた挙式に参加して以来である。
あらためて間近にすると、とても儚くか弱く見えた。
青い瞳や透けるような白銀の髪は、隣国の人々の特徴だ。神秘的で美しいが、どこか絵画を眺めているような感覚になる。
(人であるのに、人ではないような……まるで妖精のようだ)
年齢は二十歳を超えているはずなのだが、女性というよりも少女に見える。
髪を結い上げているため、首の細さが際立つ。風が吹いたら倒れてしまいそうなほどの華奢さのせいか、この国で流行っている華美で豪奢なドレスが、どことなくちぐはぐに思えた。
この国での美しさは、豊かな体型と濃い色の髪とされていた。その要素をもたないこの王妃は、もしかすると夫である国王に気に入られていない予感がする。
(……なんて、私にはどうだっていいことだ。とにかく、いますぐにでも猫を見つけなくては)
「さっそくお探しいたします。貴女様の猫――」
「――アンドレアよ」
「……アンドレア……が――」
瞬間、侍女のダニエラがイオニアスを鋭く見すえた。
「――〝様〟をつけてください、魔術師殿。王妃様の愛猫ですので」
険しい表情でピシャリと言われ、絶句する。思わず横のアントンを見下ろすと、〝ほらね?〟と言いたげに目配せしていた。
イオニアスが眉をひそめそうになった寸前、王妃が力なく微笑んだ。
「いいんです、ダニエラ。気になさらないで、イオニアス。猫でもアンドレアでも、見つかるのならなんでもいいのです。呼び方なんてどうでもいいの」
唇を引き結んだダニエラは、イオニアスをきつくにらみすえた。
彼女も澄んだ青い瞳と白銀の髪で、王妃よりも飾り気のないドレスを身にまとっている。年齢が王妃よりも年上に思えるのは、すらりと背が高く品のあるたたずまいで、理知的な風貌のせいかもしれない。
俊敏そうで抜け目がなく、頭の回転が早そうな雰囲気はよいのだが、なにしろものすごい威圧、そしてあからさまな敵意を感じざるを得ない。
(自国を守るために嫁いできたのだから、侍女の敵対心もわからなくはないのだが……)
こちらは大国だが、あちらは小国。攻められる前に姫を嫁がせ、親族関係を結んでおく政略結婚は、さして珍しくもないよくあることだ。王妃付きの侍女としては、そんな立場にある主を守りたい一心で、異国の者たちを常に威嚇しているのかもしれない。
けれど、それもイオニアスにはどうだっていいことだし、なんなら初対面で威圧されたり敵意むき出しでにらまれるなど、失礼極まりない気がした。
(……ダメだ。私はこの侍女が苦手だ)
イオニアスはダニエラなる侍女を、脳内の〝苦手リスト〟に即座に加えた。もっとも、苦手ではない者など、この王宮にはほぼほぼ存在していないのだが。
「それで、どのように見つけるのです?」
王妃に問われる。杖を握りなおしたイオニアスは、猫がよく触れているものはないかと訊ねた。
「これがお気に入りです」
王妃は毛糸でできたおもちゃを差し出した。
「わたくしのそばを離れたりすることなんてなかったのに、ほんの少し目を離したすきに、少し開いていたドアから外に出てしまったようなのです。ただでさえ広くて迷路のような王宮ですもの。きっと迷っているに違いないわ。ああ、あの子になにかあったら、どうしましょう!」
ふたたび涙ぐむ。すると、アントンもぐずぐずとぐずり出す。自分のローブで涙を拭われる前に、イオニアスはアントンから離れておもちゃを床に置いた。
つん、と杖で床をつく。すると、小さな魔術陣が煙のように浮かび上がった。
「まあ!」
「……ふんっ」
素直に驚く王妃と、「だからどうした」と言わんばかりな侍女の吐息が聞こえたが、当然のごとく無視する。というか、この侍女はやっぱり苦手である。
やれやれだ。ため息交じりに杖をおもちゃに向け、声には出さず呪文を唱える。杖から放たれた青白い輝きが、刹那おもちゃを包む――と、イオニアスはふたたび杖を床についた。
――コンッ。
おもちゃの周囲の魔術陣から、ぽつりぽつりと猫の足跡が青く灯りはじめる。あとはそれを追いかけるだけだ。
「まあ! すごいわ、イオニアス!」
褒められるのは久しぶりだ。いや、もしかすると宮廷にあがって以来、褒められたことなどなかったかもしれない。なんにせよ、この王妃は苦手ではない。苦手ではない王族などいたためしがなかったので、イオニアスは自分でも驚きつつ頭を垂れた。
「お褒めにあずかり光栄です。こちらでお待ちください。私とアントンが追いかけます」
サロンを出たイオニアスは、アントンを連れて足跡を追いかけた。
* * *
「いまさらですけど、先生。このようなことは騎士たちを集めて褒美をやると言えば、喜んでおこなう気がするのは僕だけでしょうか」
足跡を追いながら、アントンが言った。
「いや、私も同感だ。だが、暇をもてあましている騎士たちですら集められない理由が、王妃にはあるのだろう」
宵闇の時間帯とはいえ、サロンにいたのも侍女だけだ。この国の社交界で、どうやら王妃は軽んじられているらしい。
もっとも、それもイオニアスにはどうだっていいことだ。
いいことなのだが、もしもそれが本当であれば、この王宮で同じく軽んじられているる者として、なんとなく少々肩入れしたい気がしないでもなかった。
磨き抜かれた通路、大理石の回廊。サロンのある西翼をぐるんと巡り、庭園の芝生、噴水のまわり、星のまたたく木陰を越えていく。
やがて、頑丈なガラスでできた建築物が見えてきた。
「植物園にいるらしい」
「そうみたいですね!」
中に入り、ふさふさとした緑の樹木と、色とりどりの花々の合間を歩く。大きくはない建物だが、天井もガラスでできているため、宵闇の星々がよく見える。
舞踏会の夜ともなると、この場所は恋をしている者同士で取りあいになるらしい。アントンに教えてもらった。
「殴りあいのケンカに発展することもあります」
「そうなのか? バカバカしさの極みだが、大変だな」
「はい。バナッティ子爵様は頭頂の髪をむしり取られ、いまだにコインハゲが治らないでいるそうです」
思わず笑いそうになり、唇を引き結ぶ。そうして従者とくだらない会話をしながら、石畳に青く灯る小さな足跡を追う――と。
いた、見つけた。
樹木の合間から見える、奥まったところにあるベンチ。その下に、真っ赤なリボンを首につけた白い長毛猫がおり、尻尾を振ってくつろいでいた。
いますぐそばに行き、抱きあげて立ち去りたい。
だが、思わぬ難題が待ち受けていた。
「いやですわ、陛下。うふふ」
「ほら、もっと私に近寄って。あなたを思いきり抱きしめたいのだ」
猫がくつろいでいるベンチの、隣のベンチ。そこに、いちゃついている若い男女がいたのである。しかも、その二人には見覚えがあった。
一方は、国王陛下。
二十歳で即位して早三年。すっきりとした目鼻立ちで、すらりとした姿態の美男である。
切れ者と噂される国王の美しさは有名で、正妃の立場は無理だとしても、なんとかして愛妾になりたいと願う令嬢は山ほどいた。だが、当の陛下はもともと品行方正で、王妃を迎えてからも浮いた噂などひとつもなかった。
もっとも、イオニアスは噂にうといのでなんとも言えないのだが、おそらくたぶん、そのはずであった。
そこへきての……なんだこれは?
針の穴ほども恋に興味のないイオニアスだが、恋している者特有の甘ったるい眼差しは理解している。
国王がそんな熱視線を一心にそそいでいる相手が、イオニアスにとっては最悪であった。なぜならば〝苦手リスト〟の上位に、常に君臨している人物だったからである。
宿敵の宮廷占術師、クリスティアーノ・グレゴリスの妹。
――ブランカ・グレゴリス!
「うわあ……せ、先生、あのご令嬢は……っ」
アントンがドン引きしながらささやく。
「ああ……。占術師の妹君、ブランカ嬢だ」
口にしたとたん、軽いめまいに襲われる。と、石畳の地面では、ベンチの下へと続く猫の足跡が、いまだに青く灯ったままである。
いちゃつくお二方に気づかれたら面倒だ。はっとしたイオニアスは、すぐさまそっと呪文を唱えてそれを消した。
さて、困った。
猫のそばには行けない。では、魔術を使って猫をこちらにおびき寄せるか。だが、そうなると杖を使うし、うっすら光も放たれてしまう。どちらにしても、隣のベンチに気づかれる。
しばし様子を見るしかなさそうだと、イオニアスは肩を落とした。
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