王宮のなんでも屋さん
羽倉せい
第1話
獰猛な竜や魔物どもから国を守った魔術師も、いまは昔のこと。
連綿と受け継がれた呪文は書物におさまり、王宮の片隅でひっそりと息づくのみ。
竜も魔物もとうに消え、現存している魔術師は、彼らの残した呪文と術を記憶した子孫。
それも、宮廷にただひとりいるだけであった。
――宮廷魔術師、イオニアス・ヴェロゼニス。
太陽暦にて五の月は、心の静寂を必要とする時期である。
社交シーズン到来を控え、王宮中が浮き立ったように騒がしくなるので、本当に必要であると思われるものごとを精査できなくなってしまうからだ。
そういうわけでイオニアスは、今宵も一人逃げるように、王宮の片隅にある自身の離れに引き込もり、静かに写本をおこなっていた。
黒みがかった色の瞳は凛々しく、理知的さをうかがわせる端整な顔立ちである。
神秘的と褒められる黒髪もすっきりと整えられているし、身にまとっている紺青のローブも一見して地味ながら、よく見れば胸元や袖口、裾などに、同色の細やかな刺繍がほどこされてあって、とても品がよく美しい。
それなのにこの男は、なぜか目立たない。
見目麗しい風貌であるのに、とにかく影が薄いのである。
おそらくは、日々襲ってくる斜め上な申し出の数々の疲労により、若さと精気が吸い取られているからであろう。まだ若い(はずの)彼の眉間には、己の魔術ですら消せない皺が刻まれており、誰もが口々に噂していることを彼は知っていた。
宮廷魔術師殿は、いったい何歳なのだ?
三十代であろうということでおさまっていることも、彼は知っている。それでいいと思っている。そう、もうなんだっていいのである。
(ああ、ここは本当に静かだ。いっそ、この山のように積まれてある書物に埋もれて、朽ち果てたほうが幸せなのでは……?)
とにかく無の境地をむさぼりたかった。手を休めて目を閉じた彼は、かすかな呼吸を繰り返しながら瞑想した。
息を吸って吐き、息を吸って吐き、息を吸って……。
――バーン!
ノックもなくドアが開いたが、無視する。
「先生、イオニアス先生!」
従者のアントン少年の声がするも、聞こえない。そう、聞こえない……っていうか、聞きたくない。
「先生、大変です! アンドレア様が失踪なさいました!」
なに!? イオニアスはぱっちりと目を開け、扉口を向く。綿毛のような髪のアントン少年は、すっかり涙目である。
「いますぐに探してくださいと、王妃様のおおせです~!」
うえーんとアントンは泣いた。下級貴族出身のこの少年は物覚えが早く機転が利き、宮廷事情にも詳しく優秀なのだが、とにかくよく泣くのである。
「なにも泣かなくてもいいじゃないか」
「だって、王妃様がすごく心配して泣いておられたものですから、そのお気持ちが移ってしまって、僕も哀しくなってきてしまうのです。先生、いますぐにアンドレア様を、魔術で見つけてください~!」
言われるまでもない。由緒正しき魔術師の証であるふたつの指輪が、両手の人差し指できらりと光る。我がヴェロゼニス侯爵家に受け継がれし杖を握りしめ、イオニアスは密かに息巻いた。
(やっときた。やっと私の魔術の正しい使いどころが――きたかもしれない!?)
だが、ちょっと待て。
思わず反応してしまったが、アンドレア様とは、いったいどこの誰なのだ?
三年前に即位した若き王には、隣国から嫁いできたこれまた若き妃がいる。それが、アントンの言う〝王妃様〟なのだが、その王妃が探してくれと訴えるアンドレアとは、果たして彼女のなんなのか?
(……娘? じゃない。そのような噂はまだ耳にしたことがないし、いたとしても一人で歩ける年齢じゃない。とすれば、隣国からいらした姉妹か、もしくは侍女か? どちらにしろ、大切な者であることはたしかだろう)
杖をぎゅっと握ったイオニアスは、真剣な眼差しをアントンに向けた。
「……で、そのアンドレア様なるお方は、どのような風貌なのだ」
アントンは涙を引っ込め、きょとんとした。
「え?」
「え? じゃない。私が宮廷及び貴族の事情にうといことを、おまえは知っているだろう。恥ずかしながらそのアンドレア様なるお方を、私は存じ上げないのだ。王妃様とはどのような関係のご令嬢か、簡潔に教えてくれ」
アントンは狐につままれたかのように、ぽかんとした。
「先生。アンドレア様は、王妃様の猫です」
「――え」
「猫です。先生」
イオニアスは杖を握ったまま、固まった。
先祖代々、宮廷魔術師として君臨してきたヴェロゼニス侯爵家に生まれ、幼いころから祖父に鍛えられてきた。厳しい英才教育に加え、己の努力もなみたいていのものではなかった。
だからこそ、魔術師としての腕には確固たる自信がある。
おそらく、最強……って、思う存分使ったことがないのでわからないのだが。
それもこれも、この国や民を、そして王家を、竜やら魔物どもの脅威より、魔術でお守りするという夢と使命を抱いていたからであった。
しかし年齢を重ねるにつけ、かつては存在した竜も魔物もすでになく、この世は安穏たる平和であることがわかってきた。
あれ? もしかして、もう魔術師とかいらないんじゃ……?
お祖父様は竜も魔物もまだまだいっぱいいるって言っていたけれど、僕に嘘をついていたのでは……?
そんな不安を胸の奥に押しやりつつ大人になり、やがて引退した父のあとを継いだものの、鍛え抜いた己の強い魔術の使いどころが皆無であることを、ほどなく悟るにいたってしまった。
やはり、祖父の嘘であった。っていうか、なんなら宮廷魔術師の地位にあった父親も、閑職ではないふりをしていたのが、このときバレた。
未来予知であれば、星読みの占術師が宮廷にいる。
余興に欠かせない、不可思議なことを見せて喜ばせる愉快な奇術師も、宮廷にいる。
腕のたつ騎士も山ほどいて、もはや〝魔術〟の出る幕などありはしない。
本当は、父の代でお役御免となるはずであった。けれど、遠い昔の伝説と、由緒正しい家柄を讃える意味もあり、無情にもお飾りの役職が続投されてしまったのだ。
王家の申し出を断ることなどできやしない。宮廷にあがったイオニアスは、自分に課せられた真のお仕事を即座に知った。
頼まれたら、魔術でなんでもこなす――とっても便利な〝なんでも屋〟さん。
自尊心のかけらを胸に抱きつつ、依頼されるまま貴族のなくしたカツラを見つけ、王宮の修繕を手伝い、舞踏会では夜通し灯りが途切れぬよう、ろうそくに魔術をかけまくる日常。
血湧き肉躍るような戦いなどなく、ただなにか、自分にとって大切なものを失っていく感覚におそわれる日々。
そしてきた――人探し!……かと思われた、猫探し。
(……とはいえ、命あるものに変わりはないし、万が一なにかあっては王妃が不憫だ。急いで見つけてさしあげねば。しかし、これだけは言いたい!)
イオニアスはしばし押し黙ってから、やっとの思いで口を開いた。
「アントン。その猫がどなたの猫であろうとも、私の前で名前に〝様〟をつけることだけは、金輪際やめてくれ」
うっかり人だと思って息巻いたことが、心底悔やまれる。
穴があったらそこで一生暮らしたいほどの羞恥に、イオニアスは耐えたのであった。
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