きっと推し。されど推し。

Planet_Rana

★きっと推し。されど推し。


「推し、かぁ」

「どうしたよ。急に」

「近頃よく聞くようになったなぁと思って」


 レモネードコーヒーを口に運びながら言う。隣に立つ幼なじみは片眉を上げて視界を横に振ると、私が見ていた店舗案内のチラシに目を落とした。


 ――推し色の紅茶、お酒、ブレンドします。


「推しの色って。何? その人が好きな色とかイメージカラーとか、搾り汁的なやつ?」

「搾り汁は怖いな」

「でもほら。『摂取したい』とか『公式からの供給がほしい』とかよく言うじゃないですか。あれって推しを食べたいってことじゃあないの」


 食べたいほど可愛い。目に入れても痛くない。


「……人間性にせよ見た目にせよ、綺麗に磨き上げられたものに人は惹かれるんじゃないかと思うよ」

「それが、『推し』の定義?」

「定義とは、違うと思うけどさ」


 ふむ。と、まだ興味深そうにチラシに目をやる。


「『推し』の考え方は人それぞれなんじゃないかな。ファン……ともまた近いのかもしれないけど違うのかもしれないし」

「ともすれば、動物を飼ったり愛でたりするようなものですかね」

「うーん。ペットを『推し』と言えるのか? ペットは家族じゃん?」

「家族は『推し』足りえないと?」

「いや、それは個人の自由だと思うけど……」


 幼なじみは髭を触るように指を動かして、けれどつるつるな顎にひっかかりがあるはずもない。


「例えばさ、俺にとっての『推し』は、某アイドルグループのMちゃんなわけだよ。踊ったり歌ったりアクロバティックしたりベース弾いたり泥まみれになってサバイバルしたり。そういうガッツがあるところを含めて『推し』ているわけだ」

「ふむ。つまり『推し』とは『イチオシ』を他者へ勧める意味も含むと」

「え、ああ。確かに『推す』、という意味ではそうだな。間違ってないと思う。ただ、『推し』概念とは少し焦点がずれるかもしれない」

「?」


 私は立ち上がって、二歩下がる。小脇に抱えたナップザックがずるりと肩を滑った。


「個人的に『いいな』と思う人が居たとして、それを他者に勧めるかどうかは別だっていう話だ。自分と同じ『推し』を誰かに好きになって欲しくない人も、『推し』の素晴らしさを布教して尊さを共有したい人もいるだろう。『推し』がニッチなジャンルの人や創作物であれば、界隈の沼に引き込む為にわざと別の作品やグループを勧めることだってある」

「……どうしてそんな、遠回しに? 同じものを共有したいならそうしたらいいじゃない」

「難解なクロスワードを解いた時の感動と、映画の感動を共有するのとでは違うだろ」


 知恵を絞って実力を試し、壁を突破してひとつ成長したと実感するのと。人情に訴える悲恋物語の感動を意見交換をするのとでは。成程、違うか。


 それと『推し』は非なるもの、なのか?


「でも、映画の感動って人それぞれだよね。犬猫が死ぬ物語でも泣かない人はいる」

「そう。それでも感動したなら、その感動をくれた作品を『推し』たくなる。或いは感動をくれた主役を、主役を際立たせた脇役を、撮影したカメラマンを、スタイリストやメイクアップアーティストを、舞台を作り上げた美術さんを――そして脚本家を、原作者を。視点は違えど、どこかしら『推し』たくならないかな」


 幼なじみは得意げに言って「決まった」とばかりに鼻をこする。


「つまり、『推し』って。その人や物を『肯定的に特別好き』ってこと?」

「…………」

「違うの? 今の流れで?」

「なんかこう、存在を否定したいけど『推せる』ってときも時にはある」

「存在を否定したいけど『推せる』って何」

「世界を滅ぼす系の創作神話に出てくる邪神とか、ロマンあるよね」

「……それも『推し』の対象になるの……?」

「人によっては、なる、かも」


 時には美しく、時には可愛らしく、時には恐ろしく、時には畏怖されるもの。

 神さま仏さま、或いは地蔵の一体だってそうなりえる。


「それじゃあ、存在しないものを『推す』こともあるってことじゃない」

「そうだね。二次元とか創作物の主役とか、演じる人が居たとしてもキャラクターは唯一無二の存在しえないもの。つまりは人の夢だけど。それでも人は『推す』よね」

「『推し』は、夢でもある?」

「そう。もっと言えば、役者さんやラジオのコメンテーター、ニュースキャスターを『推す』にしても、俺たちは彼らの外側しか窺い知ることを許されない。放送局の関係者が切り貼りして『魅せたい』と思った部分を視聴者が受け取って、『推す』んだから」

「『推し』に実体があったとしても、それが本人を『推す』ことになっているかは……」

「まあ、その辺は実際に腹割って話したり付き合ったりする関係じゃないと難しいよね。それができたら、もはや家族だ」

「家族は、人によって『推す』ことができるんだよね」

「『推す』ことができるというか。この辺りは人それぞれ微妙な所かもしれないけど……他者に胸張って紹介できるぞ、って家族のことを思えるなら。それは『推し』ているのかもしれない」


 私はナップザックを背負い直して、幼なじみと共に店の前から移動する。

 追いかけた背中は私より高く、髪も長く、きっとずっと、追いつけそうにない。


「……消費できるものも『推し』の対象になるのかな」

「例えば?」

「私が個人的に好きなカンロ飴とか。甘いもの好きに勧めたい黄金糖とか」

「その場合、飴というジャンルを『推す』のか、作っている会社ごと『推す』のか、その商品だけを『推す』のかで変わって来そうだけども」

「でもこれ、一過性の『推し』かもしれない」

「『推し』は変わるもんじゃないの?」

「『推し』って変わるものなの?」


 人の「好き」が永遠じゃないように。ただの「好き」が目移りするように。

 ラベルを張るように、その時々で好ましいものが……『推し』?


「ちょっと違うよね。違わない人もいるかもしれないけど」

「ちょっと違うかな。違わない人もいるかもしれないけど」


 声が揃ってしまったので顔を見合わせた。くすりと堪えた笑いが漏れる。


 少なくとも、目の前で笑う幼なじみは『推し』であり『推し』ではない。


「俺は君のこと『推し』てはいるけど『推し』扱いする気はないよ」

「私だって、貴方のこと『推し』だとは思うけど。『推し』はもっと尊いものなんだよね?」

「俺が尊くないっていうのかよ」

「そうじゃないんだけど。私にとって妄信的に『推し』たいと思うタイプの人ではないかな」

「うひゃあ、現実的」

「現実的に、計画的に『推し』ていけるなら、それに越したことはないと思うんだけどな」


 つまるところ、何となく応援したくなるというか。支援してあげたくなるというか。

 庇護欲を掻き立てられるというか、為になりたいと思うことというか。


「バレンタインデーのチョコを作る時、市販の一番高い奴を買ってあげるとか」

「ホワイトデーのお返しに、リボンを結んだテディベアを送ってもいいか確認するとか」

「夏休みが始まって、それとなく一緒に出掛ける予定をつくってみたりだとか」

「ゆく年くる年を電話越しに、誰よりも早く『あけおめ』っていうこととか」

「自分の一番を捧げたい、渡したい、共有したいって思うこと?」

「自分の好意を受け取って欲しい、幸せになって欲しい、可愛い、って愛でること?」


 ある人にとっては、見守りたいもので。ある人にとっては、幸せにしたいもので。

 恋とは違う。愛とも違う。友情か、親愛か、それとも?


「そうしたら。他と並べた時に『特別好き』っていう解釈が一番近いのかもしれないな」

「雑多の多数の中から選んだ『好き』が『推し』ってこと?」

「いや、そこがまた難しいな。『箱推し』なんて言葉もある」


 つまるところ、愛を向ける対象によって呼び方や推し方が変わるのかもしれない。


「『推し』って難しい」

「うん。難しいな」


 小石を蹴る。植木に消えたそれを目で追って、何気なく振り返る。

 話題の切っ掛けになった看板は遥か遠く。けれど、まだ見える位置にあった。


「ねぇ」

「ん?」

「学校帰りに寄り道って、推奨されないかもだけど。家に帰って着替えた後は自由だよね」

「……まあ、そこまで規律厳しい学校じゃないしな。それはいいんじゃないか」

「よし。さっきのお店さ、予約取って今度食べに行こうよ」


 スマートフォンのマップを開き、店名をスクリーンショットする。夜はバーだが、昼は未成年でも大歓迎のカフェだった。


「『推し』の色とか分からんって言ってたのに?」

「見つけたからいいの」

「?」

「ほら、そこで開いてる目。ブラウンっぽくない?」


 私は指を差し向けて、幼なじみの目を示す。

 幼なじみは茶色の瞳を瞬かせて、意図を理解したのかニヤリとした。


「それじゃあ俺はケーキでも頼むかな。チョコレート味ならきっと君の髪色と近い」

「ふーん。『推し』扱いしないんじゃなかったの?」

「気が変わった。今のところは『推し』といてやる」

「なにそれー」


 空になったレモネードコーヒーをナップザックに仕舞って、開いた掌をぶらぶらとして。触れあうもまだ繋がない距離感を楽しんで。


 とんだ『推し活』があったものだ。


 きっと好きが巡り巡って、『推し』のカテゴリが剥がれた時――。


「じゃあ、帰るか」

「うん。帰ろ」


 どうなるかなんて、知らないから。


 今は互いに、「推し」のハッピーを祈るのみである。




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