おめでとう。君のお陰だわ

「学術研究に善悪はないと信じます。諸刃の剣は使う側の道徳次第です」

そういった。それから少し間を置いてから再び語り出す。

「私だって思い上がってた部分があった。でも、結果が全てだと思うわ!」


エリファスが腕組みをほどき、重い口を開いた。


「あなたの研究がどのようなものであるかをあなた自身が理解していなかったことには驚きましたわ。それなら、研究が失敗に終わる可能性は十分にありますものね。あなたが研究の内容を知ることができない状況においてあなたの研究が成功する見込みはほぼ無いと言えるかもしれませんわね」といって俺を指差しながら言った。


すると、だ。ハルシオンがキッと両家の母親を睨みつけたのだ。


まるで俺を守る白馬の姫騎士であるかのように雄弁をふるった!


「この研究、私の基礎がなければ成功しないことですわよ。この研究は私にとって非常に重要なものだと思っておりますの。あなたには分からないと思いますけど、私はその研究を認めています。

ですので、研究の成功、ひいては赤ちゃんの健康のために私がこうして来ているのです」と言って締めくくって一礼すると彼女は元居た場所へと戻っていったのであった。その光景を見ながら俺は心の中で思った「何者なんだ、彼女は……」と……。


と、その時、講壇に置かれた一冊の資料にオプスが気づいた。素早く流し読みして甲高い声で呼び戻した。

「ちょっと…これ…」


睨みつけられて、ハルシオンが「わあっ」と舞台袖へ隠れる。

オプスは目を白黒させながらページを繰りなおし、叫んだ。

「どういうことなの? これ、ハルちゃん…貴女ねえ!」


ここからがハルシオンの恐ろしいところだ。あとは怒涛の展開だった。

彼女が全部持って行った。

ハルシオンの感情をブレンドする研究。聞こえはいいが内容はぜんぜんマイルドじゃなかった。パルスマギメーターの副産物として地縛霊を分離する技術。

それは悪霊退散と言った従前の荒療治でなく、真逆の和解する方法だった。

反魂法の一部を拡張して死者を復活させるのでなく昇天と再生をブーストする発見だった。これを発展させれば怨霊のたぐいはスムーズに輪廻転生する。

その副作用として新しい霊の定着をうながす。出生率をあげる作用がある。

(お腹の赤ちゃんって誰の子だ。まさか、処女懐胎した?)


荒唐無稽な話だと思いたい。だが、水星逆行に打ち勝つ力というのは並大抵のことではない。ただ反魂法は自然の摂理に逆らう儀式だ。

だが、こう考えられないだろうか。

やることなすこと全てが裏目に出る星のもとで森羅万象に楯突けばどうなる。

万物理論が盛大にバグって凄まじい作用が生まれるのではないだろうか。


その考えが頭を過ぎっていると横でディック氏が口を開く。

「すごいですね。あれが……うちの妻から聞き及んでおりましたが、まさか本当にそのようなことを言われる方がいたなんて」と俺に告げてきたので俺は「ええ、そうですか」と返事を返すしかできなかった。


ディックがエリファスから孫の顔を催促され不妊治療に通っていた話はあとで聞いた。夫人も悩んでいたが、はからずもハルの研究に救われる形になった。


俺とディック氏はしばらくハルとハルシオンの研究についての会話をしていたが、しばらくして俺は彼に言った。

「研究については、俺に任せておいてくれ。君の奥様は君の研究成果を待っていますよ」と言うと彼は「ええ……わかりました。

妻に伝えておくことを約束しましょう。

あなたのおっしゃる通りにしますのでよろしくお願いします」と頭を下げながら言って来た。俺はそれに答えるようにして「もちろんですよ」と笑顔を浮かべながら言ったのである。すると、エリファスが

「あなたの研究、是非見せて頂きたいものです。きっとハルが喜びそうね」

と笑った。

「私としてもぜひ拝見させていただきたいと思っておりますわ。これからの研究にも役に立ちそうでしてね」と言ってきた。

「ハルシオンさん」と俺は言って彼女を見た。

「私の研究があなた達の役に少しでも立てば幸いです」

ハルシオンはそういって一礼した。その時見せた顔は真剣で、今までのどこか抜けたような感じの顔とは違って凛々しく見えた。

「では」と俺は言って立ち上がる。

「ありがとうございました」

と彼らは言った。ハルシオンの母親は最後に「ハルのことよろしく頼む」と頼んできたのであった。

「ありがとう」

ハルはそう言った。

「うん、ハルもありがとう。ハルのおかげで少し気持ちが晴れた」


ハルシオンの母親の家を出た俺たちはすぐにマンチェスターにある研究所へ向かった。

「よかった……私の研究成果が認められるんだ……」

ハルシオンは嬉しそうだ。

「ハルシオン、これからは僕が支えていくから、安心して研究を続けていいんだよ」と伝えたのだがハルシオンは答えた。

「ありがとう。嬉しいな……」

ハルシオンの声に覇気は無かったがその目は輝いていたように見えたのだった。

**

俺達はロンドンからマンチェスターへ戻ってすぐに研究所へ向かった。そしてハルシオンの母親とのやりとり、また査察機構から連絡が来たことで、俺は俺の研究が認められることになったことを喜んだ。


ただ一方で少し思うところもあった。果たしてこれで良いのだろうかということだ。俺は俺自身の判断に自信がないわけではない。でも、俺の行動は俺だけの意思に基づいて行ったものではなく全てなりゆきだ。そのことに少し抵抗を感じ始めていたからだ。そんな時だった、突然部屋にあった翡翠タブレットンから音が鳴り響いた。画面にはメッセージが書かれていた。

内容は

『お疲れさま。ハルシオン・カルタシスと会えたかしら?』

という文面からだった。

オプスからのメールだったのである。


俺はすぐさまハルシオンの方を見て彼女に尋ねた。

「今の音聞こえたか?」と聞いたので彼女は首を縦に振った。

俺は画面を操作し、

『さっきはどうも』


そう書いたメッセージを送信するやいなやすぐに返信があった。

『いえいえ』と書かれた文章だ。翡翠タブレットはメルクリウス寮の件で厳格化された新しい魔導通信プロトコルに対応した最新版だ。

オプス先生はこんなこともあろうかと予め準備してくれていたらしい。

俺はそんな彼女に対し改めて尊敬の念を抱いた。それから俺が画面を見つめている間にも彼女は話を続ける。


『魔導査察機構の人から話は聞かせてもらったわ。応用魔導工学の研究予算は増枠が承認された。おめでとう。君のお陰だわ』という文字が表示される。

「ねえ……どういうこと……あんた、何かしたの……?」

ハルシオンは尋ねてきたが話していいかどうかわからないので言うべきでないと判断し、

「まあまあ」と言いながらごまかすことにした。不妊治療分野の可能性に関してノースから呪術医学会に例の小冊子を回してもらったのだ。結果は上々でこの翡翠タブレットもメーカーから供与されたという次第だ。


そんなやり取りをしていると、次の瞬間また別の画面が現れたのだ。発信人はディック氏だった。

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