ハルシオンのことは心配ない。俺が何とかする
『査察官としてではなくハルの友人としての俺から君に忠告しておく。まず最初にハルは、君のことを大切に思っているみたいだから、報いるべきだろう。それからハルシオン・カルタシス、お前のことは、お前の研究の協力者、お前の理解者を含め数え切れないほどの人間が認識している。俺もお前とお前の夫が望むのであれば研究に協力できる立場にいる』と表示される。
俺は思わず「どういう意味でしょうか?研究に協力するということはハルがあなたと一緒に住んで、一緒に生活しろということですかね。
もしそうだったらお断りしたいところですが」といった。画面の中のディック氏は言う。
正直言って結婚相手の兄貴と同じ敷地内で暮らすというのは気が進まない。
「いやいや。君たちと査察官が同じ施設に入ることは残念だけど難しい。利益相反と便宜供与になるからだ。だが、ハルシオン・カルタシスの住居をセキュリティー対策の一環として提供するという約束は出来るかもしれない。」
ハルシオンが驚いてこちらを見る。
「それは……お腹の赤ちゃんがと安心して暮らせるということかな……」と言ったので俺は
「まだよくわからないけど……」と不安げに答える。
監督省庁のセキュリティーポリスがつかず離れずの位置で護衛任務にあたるというが妹を監視下に置きたいディック氏の下心が見え見えだ。
彼女は
「そっか……」と言って俯いた。それからしばらく無言の時間が続いた後、彼女は言った。
「私ね、自分でも感情融合技術の進展にどんな未来が待っているか研究テーマが自分に何をさせようとしているのか百パーセント把握していたわけじゃないけど……でも、あなたが私を元気づけようとしてくれたことはすごくわかったから……だから私はここにいていいと思ったんだ……私はどんな善意も拒まずここで研究をすることにするよ」といってから俺達を見て微笑みかけたのである。
その笑顔はどこか切なくも思えたが俺はそれでもいいと思っていた。だから彼女の言葉を信じることにしよう。そう思っていた。
そのタイミングでまた通知が届いていることに気づく。俺はその画面に視線を向けた。するとそれは来客通知だった。
俺はそのことをハルシオンに伝える。するとハルシオンが言った。
「あの、オプス教授が今、玄関前に来てくれているみたいなんだけど、どうしましょう」と聞いてきたので俺は
「せっかくだし話してくるといい」と言う。ハルシオンはそれを聞いて「じゃあちょっと失礼します」と言って部屋の外に出ていった。彼女が戻ってくるまで、俺達は待つことにしたのである。
ツルシダがしげるプロムナードに若草色のスカートがトコトコと駆けていく。
数分が経ち、ハルシオンは帰ってきた。
彼女が開口一番発した言葉は俺の予想していなかったものであったのだ。その内容はオプスがディック氏とハルシオンの母親との間で行われた会話の一部分を聞いたというのだ。ハルシオンの言葉をまとめるとこうだった。
グルッパと名乗る公益通報がありパルスマギメーターの閾値設定に魔導査察機構が関与しているというのだ。メルクリウス寮の幽霊問題は黙殺というより長期的な意図が疑われるという。
状況証拠としてサリーシャが査問会に呼ばれた点だ。幽霊騒動の事実確認は元舎監をわざわざ召喚するまでもなく日誌等を精査すれば聴聞するまでもない。
にもかかわらず当時の担当者を呼んだということは無言の威圧が見て取れる。
それに気づいたオプスが俺の母親と共にこの部屋に来たのだがそこで偶然にも同じ内容のことをエリファスが口にしていたらしくハルシオンはその会話についてディック氏と実の母親に問いただしたのだという。
するとディック氏とハルシオンの母親はお互い顔を合わせて笑っていた。その反応を見たハルシオンは何とオプスにその事を注進したのであった。
それを聞いてハルシオンが俺の部屋に来るまでのことがなんとなく理解出来た。俺は「そうなのか……」と言うしかなかった。
彼女は言ったのだ。
「うん……やっぱりそうなんじゃないかって思って……それに私自身、最近気づいたんだけど……お母さんと同じ考えをしていたんだよ」と寂しげに呟いた。
その様子はとても苦しんでいるようだった。そして、俺は彼女に対して言うことを迷ったが、俺なりに思うところがあるので口を開いた。
「俺は……君にとって何だろう……俺はただ君が喜んでくれると思ってやって
きただけで……正直に言えば俺のしたことはあまり褒められた行為じゃないと思うんだ。君は俺を信用してくれるかもしれないけれど……でもそれは君自身が俺を認めてくれたわけであって俺を君の研究に利用するという意味でしかないから……それで君の母親は、いや違うな……エリファスさんは俺を君の研究のために利用していると俺に言っているようで……ハルが言ったこともそういうことだと解釈することもできて……」
そこまで言った時、ハルシオンは俺の顔を見ながら涙を流したのであった。
俺はそれに戸惑う。ハルシオンは
「オプスも私もあなたの力になれたらってずっと考えていたんだよ」
そう言ったのである。彼女の目には確かに悲しみの色が見て取れて、涙を流す彼女に俺は何も言ってあげられなかった。しばらくしてハルシオンは自分の顔を隠すようにしながら立ち上がったのだ。ハルシオンはそのまま部屋から出て行こうとした。俺は「待ってくれ、どこに行くんだ?」
そう尋ねるとハルシオンは足を止め、俺の方を見て言った。
彼女は泣いていたが、もう泣くことはないような感じであった。
ハルシオンは言ったのである。
「自分の研究のために有利な状況をとことん利用しても……あなたのためなら私、構わないと思ってる」
「ハルちゃん……」
オプスが呼び鈴も押さずに飛び込んで来た。
「官学の癒着は決して許されることではないと思うわ。」
俺はそれ以上、何も言えない。
「私もうすうすおかしいと思っていました。魔導応用工学研究費の増額。タイミングが良すぎます」
俺が口を閉ざしているとハルシオンは
「今までありがとう。本当に助かったわ。貴方抜きじゃダメね」
ハルシオンはそう言ってから一礼して部屋を出ていったのである。その時の顔が印象的で今でもはっきりと思い出せる。
何かしてあげたいと焦ってる間にいつの間にハルシオンからたくさんもらっている。そう思えてくる。
俺は、俺は……どうすればいい。
俺は、この先どうしたらいいのだろうか。
「ハルシオンのことは心配ない。俺が何とかする。それより君の方は大丈夫か?」
「はい。なんとかやっています。」
「そうか。」
ディック氏がハルシオンの去った扉を見つめながら言う。「あいつには幸せになって欲しい。だから頼む」とだけ言い残して彼は去っていった。
俺は彼の背中に向かって言う。
「はい。」
ハルシオン・カルタシスは部屋を出ると廊下を小走りで駆け出した。
彼女の向かう先は地下にある研究室だ。その道中、彼女は思った。
『ああ、これでいいんだ。』
と。
ハルシオン・カルタシスは思う。
『私は、私のことだけを考えて生きていこう。』と。
彼女はそう決意したのであった。
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