0-2. 分かれ道
ゴンドウに残された時間は少なかった。視界は霞んでいるし、血を流しすぎたのか、歯が音を立てるほどに寒かった。いつもなら雪の日でも半袖で過ごしていたのに。仲間に雪玉を投げつけて笑っていた日々が懐かしい。だがその仲間も今や冷たくなりぴくりとも動かない。仲間を殺した元凶の女は何が正解か分からないと、今更弱音を吐いている。一体自分にどうしろというのか。この世に神が居るとしたら、自分に何を求めているのか。仲間を殺した相手に、何を教えてやれというのか。
「……はぁ」
ゴンドウは小さくため息をつくと、落ちかけていた重い瞼をもう一度持ち上げた。目の前に立っている女のことを、改めてじっと見つめる。ケイは真っ白い髪を肩下まで伸ばしていた。前髪から覗く瞳はエメラルド色に輝いている。今まで何度も交戦してきたが、その容貌はマスクの下に隠されていた。彼女の本当の顔を見るのはこれが初めてだった。自分が思っていたよりもずっと純粋で美しい顔をしていた。彼女が今までマスクを被っていたのは自分達にとって僥倖だった。そうでなければ、少なからず隙が生まれていただろうから。
「見た目は大人の女だが、中身は砂遊びをする子供と変わらんな」
「どういう意味だ」ケイは顔を上げると、不服そうな表情になった。
「そういうところだ。――まったく。今までそんなに幼い女に負けていたとは。最期まで知らない方がマシだった」
「悪かったな」
「フン。まぁいいか。で、何だっけ? 何が正しいか分からないって?」
「そうだ。私は上の言う通りに動いてきた。でも、私がやっていることが正しいのか、分からなくなった。本当に正しいのは、お前たちか? それとも私達か?」
「さあな」
「お前にも、自分が正しいかどうか分からないのか?」
ケイの表情は無邪気な子供のようだった。子供は無邪気に虫の脚を引きちぎる。勝てないのも仕方が無かったかもしれないとゴンドウは思った。
「少なくとも俺は、正しいかどうかは気にしていなかった」
「なら何故戦っていた?」
「仲間と家族を守る為、かもな」
「守る為なら何でも良かったのか?」
「ああ。俺たちは普通に生きていきたかった。それだけだ」
「それだけなら静かに隠れて暮らせばよかったんじゃないのか?」
「――そう出来れば、どれだけ良かったか」
ふ、と意識が途切れた。だがその肩をケイが揺らした。普通、”玉人”と呼ばれる彼らはゴンドウ達に触れたがらない。それだけ旧人に対する差別が広がっていた。だがケイは平気な顔でゴンドウに触れた。不思議な女だ。
「おい、起きろ」
ケイはゴンドウの横に座り込み、彼の肩をしつこく揺すった。エメラルド色の瞳が間近で彼を覗き込む。
「ああ、うるせぇな。何だ。まだ何か聞きたいのか」
「私はこれからどうしたら良い? 私にはお前たちと違って守るモノが無い。いや、あるかもしれないけど……分からない、どうしたらいいのか」
「知るか。自分で決めろ」
異常な眠気がゴンドウを襲っていた。これがただの眠気でないことに、ゴンドウは気が付いていた。だが、もう十分だった。仲間と家族の為に十分戦った。十分生きた。もう疲れてしまった。そろそろ休憩だ。
「決められない。上の人間の指示に従えばいいのか?」
「それがお前の希望ならそうすればいい」
「希望?」
「お前はどうしたいんだ」
「わからない」
「めんどくせぇなぁ……。欲しい者は無いのか?」
「無い」
「やりたいことは」
「無い」
「はぁ……。どんな生き方をしてきたんだ」
「ずっと軍人として生きてきた。その前は、そこらへんのネズミのようだった」
「成程な。少なくとも今不自由していないなら、軍人として生きて行けばいいだろうが」
「そうしたら、お前の仲間をまた殺す。それで良いのか?」
「まぁ、良くは無いな」
「なら、どうしたら良い」
眠い。全身を襲っていた痛みも熱も次第に遠のいていった。気が付けば強烈な眠気だけが全身を包んだ。ゴンドウは多少なりとも投げやりになっていた。
「なら俺たちの仲間にでもなればいい」
「……お前たちの、仲間?」
「そうだ。俺の仲間は今、窮地に立たされているはずだ。そいつらを助けてやるのはどうだ。多少なりとも良心の呵責があるなら、それを軽くしてくれるかもしれないな。ま、今までやってきたことが帳消しになる訳でもないが。俺の仲間は良い奴ばかりだぞ。面白くて、優しくて、馬鹿正直で――」
そこまで言って、ゴンドウは突然黙った。彼の瞳から光が消えた。
「お前の、仲間……。おい、ゴンドウ? 起きろ。おい」
がくりと項垂れるように長い眠りについたゴンドウの肩を、ケイは揺さぶった。だが、ゴンドウが再び目覚めることは無かった。ケイは動かなくなったゴンドウの身体をじっと見つめた。そんなに酷い傷には見えなかった。出血は多少なりともしていたが、致命傷になるほどとは思えなかった。彼ら”旧人”の脆さには毎回驚かされる。それでもこのT都市内部に入り込む程の勢いは持っていた。彼らの力は未知数だ。しかも”正義”が無くてもここまでやってきた。不思議な生き物だ。
ケイは立ち上がると周囲を見回した。旧人達の死体が横たわっている。靴音を鳴らしながらそれを跨いでコントロールパネルに近づく。
「ロック解除」
彼女がそう言うと部屋のロックが解除され、ドアが開いた。通路の向こうから銃声が聞こえる。
「……ゴンドウの、仲間」
壁にもたれたまま眠るゴンドウを見下ろし、ケイは呟いた。
ゴンドウとの会話の後ケイは戦闘に戻り、散々戦場を荒らした末に行方不明となった。荒れた街の中で、仲間達はずっと彼女の姿を探したが、彼女はついに見つからなかった。それでも彼女の仲間達は長い間ケイが生きていると信じていた。だが、十年、二十年と時間ばかりが過ぎてゆき、ついに彼女が死んでしまったのだと諦めた。
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