作戦開始
1. CAA-004
「もし俺のことを忘れても、この場所のことを忘れても、必ず思い出すんだよ。難しいかもしれないけど、これは大切なことだ。真実を忘れて、騙されたまま生きていてはいけない。大丈夫、きっと何かがきっかけで、全てを思い出す時が来る。だってお前は俺の――」
優しい眼差し。優しい声。暖かい手。懐かしい雰囲気の男が、自分の頭を撫でる。それが誰だったのか、どこだったのか分からない。温かい光に包まれた不思議な空間。そうだ、これは夢だ。温かく優しく、懐かしい夢。自分は一体いつ、眠ったんだろう? そう、ついさっきまでは誰かの話を聞いて――……。
「聞いているか、ハイリ」
ハイリ・木村はハッと目を見開いた。部屋の前でタブレット片手に任務を説明するリーダーが、じっとこちらを見ていた。ほんの数秒、いや、数分かもしれないし数十分かもしれない。とにかく、ハイリはしばらくの間、彼の言葉を聞き洩らしていたに違いなかった。
「申し訳ありません……」
それしか言えなかった。
彼の所属する班、”アグノイア”のリーダーであるリン・高田は失望したように小さくため息をついた。リンは少しはねっけのある黒髪に、青い眼をした男だった。外地に出て強い日差しを浴びていてもその肌は真っ白で、その白さが青い眼を一層際立たせていた。髪の毛はくせ毛だが、その勤務態度は忠実。国と政府に逆らわず、常に冷静に状況を見つめている。そんな彼の青い瞳に見つめられると、すべてを見透かされている気がした。つまり、”お前が今少しうたた寝をしているのは分かっているぞ、ハイリ”ということだ。
「調子が悪いのか。何か問題があるなら早めに言ってくれ」
「いえ、大丈夫です。申し訳ありません」
T都市を防衛する彼らアグノイア軍S班は今、作戦室に集合していた。白を貴重にした十五畳程のスペースに、テーブルと複数の椅子がある。今は五脚ほどの椅子が空席となっていた。四人のメンバーは部屋の奥側にある椅子にそれぞれ座り、リンの話に耳を傾けている。
「ハイリ、体調でも悪いのか? 俺の水やるよ!」
「馬鹿、大丈夫だから静かにしろって」
隣に座っていた男、タイチ・道明寺が水の入ったペットボトルをハイリの前に押し出した。このタイチという男は金色の髪をワックスでセットしており、いつも違う香水の匂いがした。もしくはアルコールの匂い。今日は香水の匂いだけだったので、二日酔いでは無いのだろう。
「いやいや無理すんな! 作戦前なんだから、体調は万全にしないと」
「ありがとう。でも、ホントに大丈夫だから」
そう言ってタイチをやんわり手で押しのけた。
「CAA-004作戦の説明に戻る」
二人の様子を見ていたリンが、説明を再開した。液晶を兼ねた白壁に投影されたマップに座標がポイントされている。以前の作戦の目標値よりも北上した座標だ。前回の作戦は約三カ月前。その前はさらに四か月ほど前だった。
ハイリを含む彼らアグノイア軍は、T都市から北上し旧人達を追っていた。都市周辺に点在する旧人の拠点では、首相の政策に従わない旧人達が集落を成していた。住人は基本的に非武装だが、拠点を守るために武装している場合もある。玉人に害を成す可能性のある武装集団を確保し、その武装集団から無害な旧人を保護する、というのがアグノイア軍の大義名分だった。
そもそも環境破壊が進行してまともに住めなくなったはずの外界に意図して逃げ出すなど、T都市で生活している玉人からすれば理解に苦しむ。そんな旧人達は”可哀想な人”だから、アグノイア軍が保護しなければならない、と軍学校の教師はハイリに言った。
「俺たちは二手に分かれて北上する。俺とハイリはAポイントから。リュウとタイチ、それからキョウはBポイントから迂回。前回と同様、南方支部から支援部隊が来る。リュウは支援部隊と合流後北上してくれ。俺とハイリも支援部隊と合流後に前進する」
「了解」
タブレットから目を上げて返事をしたリュウ・一之江は、にこりと笑った。髪と瞳がグレーの彼はこのアグノイアS班のサブリーダーを努めており、リンの弟分的存在でもある。家庭を持ちながら作戦にも常に全力で望む彼は、メンバーからの信頼も厚い。そして、ハイリの憧れでもあった。何でもそつなくこなす兄貴分的存在で、しかもリンの右腕。いつか追い抜きたい背中だ。
「以上。質問はあるか?」
「あ、あの――」
部屋の一番後ろから、おずおずと手が挙がる。
「キョウか。どうした」
キョウ・田代は長い前髪の下で目をキョロキョロと動かした。キョウは目も髪も真っ黒な女で、青白い顔にぽっかりと浮いた大きな目が時々恐ろしい魚に見えた。ただし豊満な胸の持ち主なので、ひっそりとしたファンがいるらしいと小耳に挟んだことがある。物好きも居たものだとハイリは常日頃思っている。
「ブ、ブレードは、借りれますか?」
いつもながら酷くゆっくりとした話し方だった。それを聞いていたタイチが苛立っているのが手に取るように伝わった。
「あれは扱いにコツが要る。お前はいつも通り銃を使え」とリン。
「で、ですが、ハイリ君でも扱えているでしょう?」
「確かにな。だが基本は銃を使っている。ブレードは滅多なことが無ければ支給しない」
「どうしてハイリ君は良くて、私は駄目なんですか?」
「キョウ」
横からリュウが割って入った。それは、これ以上話が本筋からそれないようにする為でもあり、リンの怒りが彼女に向けて爆発しないように予防線を張る為でもあった。
「確かにお前とハイリは同期だし、お前だけがブレードを使えない事に不満があるのは分かる。だがあれは扱う為に試験をパスしないといけないだろう。お前はその試験に通ったのか?」
「いえ。ま、まだですが……」
「なら法律的にも無理だな。お前にブレードを持たせたら僕たちが捕まってしまう」
「……」
キョウはむっつりと黙ったまま俯いた。同期のハイリに使える物が、自分には許可されない。それが悔しく、侮辱的だとすら感じた。
「まずは試験をパスするところからだ。よし、今回の作戦が終わったら、摸擬刀を使って一緒に練習しよう」
そのリュウの言葉に、キョウは目を輝かせて頷いた。
「他に質問は?」リンが続ける。
今度は誰も手を挙げなかった。部屋の一番後ろでキョウがハイリの事を睨みつけていたが、彼はそれを気にも留めず知らん顔していた。少しするとリンがモニターのスイッチを切った。マップが消える。
「初期座標と支援部隊の位置についてはタブレットに送信した。それぞれよく確認しておくように。輸送車は十五分後に出発。遅れずに乗り込むこと。以上」
そう言うとリンはメンバーの横を颯爽と通り過ぎ、作戦室を出ていった。ピリリとした空気が和らぎ、ハイリは肩の力を抜いた。
「はぁ、今回こそパレルソンと出くわさねぇかな」
長めの金髪を指先でいじりながらタイチが言った。
「どうして?」とハイリ。
「いつもいつも旧人の奴等はすぐに降伏するから、せっかく軍人になったのにやりがいが無い」
「任務は拠点の制圧なんだから、それで十分じゃないか」
「でもなぁ、何か物足りないよな」
「何かって? 刺激とか?」
「そうそう! もっとこう、敵とドンパチやって、その末に勝って、俺様ヒーロー! みたいなやつ」
「幼稚だなぁ」
そう言うと、タイチは口を尖らせた。
「こら」
いつまでも椅子に座って雑談している二人の頭を、リュウが軽く小突いた。
「15分後に出発だとリンに言われたろう。”雑談が終わってから15分後”じゃないからな?」
「は、はい」ハイリは気まずそうに返事をした。
「タイチもだ。遅れたら連帯責任で全員修練場十周だからな」
「げ」
タイチは顔を顰めると慌てて立ち上がり、駆け足に部屋を出ていった。「連帯責任って……」とぶつくさボヤキながら、キョウも部屋を出た。
「ハイリ」
キョウに続こうとしたハイリを、リュウが呼び止める。
「はい?」
「お前はまだこのS班に入って日が浅い。今は反乱分子も減ったが油断はするなよ。昔はもっと――」
「毎日のように戦闘だった、ですよね。それに、日が浅いって言ったって配属されてからもう何年も経ってますよ」
「ああ。すまん。オッサンはどうしても、若者がずっと若く見えてなぁ。まぁ何だ、油断しすぎず、頑張れよ」
「はい! ありがとうございます」
「じゃあ、僕も行く」
リュウはタブレットでトントンと肩をたたきながら部屋を出ていった。そういえば子供と遊んでいると下手な訓練よりも筋肉痛になるのだと以前言っていた。きっと毎日子供の世話をしているのだろう。そう考えると少し緊張が和らいだ。誰も居ない部屋の中で小さく笑って、ハイリも部屋を後にした。人気が無くなると部屋の照明は自動で落ちた。
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