TrueEndとのたまう

花札羅刹

プロローグ

0-1. 分かれ道

 それは地獄と呼ばれるに相応しい情景だった。


 肌を震わすようなマシンの稼働音。一つ一つのそれはごく小さなものでも、壁を這うように敷き詰められた無数のマシンから鳴る音はまるで地震のような轟音に変わった。マシンの廃棄熱は肌の表面を焼くようだ。周囲は硝煙と鉄の臭いに包まれている。鉄の臭いはマシンから放たれるものではない。足元に広がった、血から発されるものだ。


 まるで夕焼けが染めた海面のような、赤。眼前に広がる血の海に足を下ろせば、その水面は小さく揺れた。つうっと流れていく血の一筋は、壁にぶつかって横に伸びた。

 床には照明が埋め込まれており、周囲を青白く照らしている。その照明は、床に横たわる無数の死体をより一層不気味に照らし出していた。青白いその身体は、ピクリとも動かない。どこか現実離れした風景。まるで夢の中にいるような気持ちだった。遠くから聞こえてくる銃声が、夢から覚めろと自分を呼び起こしているようにも思えた。


 ケイは自分の白い髪の毛にへばりついた血を見つめた。その血は妙な色をしていた。純粋な赤とは言い難く、だからと言って赤黒いと言うのも似合わない。血が、少しずつ乾燥しているのだ。一体何人分の血なのだろう。ここまで来るのに一体何人殺したのだろうか。私も、相手も。彼女は顔を上げて、自分の目前で壁に背を預ける男を見た。筋骨隆々の男。顔に深い皺が刻まれた妙齢の男は、その逞しい体からおびただしい量の血を流しながら笑った。


「お前らしくないな。止めを刺さないなんて」


 ちゃぷ。再び血の海に足を下ろす。一歩ずつ 男に近づいていく彼女の青白い脚には、返り血がこびりついていた。水着のような露出の多い服を着た彼女の肌を、真っ赤な血が流れて落ちていく。


「……」


 ケイは黙っている。


「何を迷っているんだ?」


「なぜ煽るようなことを言うんだ。私はお前を殺そうとしたのに」


 彼女がそう言うのも仕方が無いだろう。何故ならそこに相対するのは敵同士の二人、武器を下げて話をしている事すら不自然なのだ。


「いつまで経ってもお前がタラタラしてるからだろう! 俺ァ白黒ハッキリしないのが好きじゃねぇ。ま、ついでに言うなら死ぬ前の老婆心ってやつかねぇ。俺ァ男だから、老爺心になんのかな?」


 男は軽口を言って笑ったが、その勢いで咳き込んで口から血を吐いた。その様子に心を打たれたのか、それとも最初から聞いて欲しかったのか、ケイはぽつりと話し出す。


「最近」


 口にしようとして、再び口を閉じた。今は戦闘の最中。おまけに向かいの男は敵だ。その敵に自分は一体何を言おうとしているのだろう。その心中を察したのか、男は父親のような優しい声色で言った。


「どうせ俺は死ぬんだ。死ぬ相手に何を言ったって問題ないだろうが」


 確かにそうかもしれない。無残に切り裂かれた死体を跨ぎ、ケイは男に近寄っていく。敵の優しさに、いとも簡単に絆された。それは彼女らしくは無かった。


「最近、分からなくなる。私が何をしているのか」


 これだけの人数を無惨に殺しておいて、自分が何をしているのか分からなくなる、というのも皮肉なものだ。


「――というと?」


 男は立っているのが辛いのか、銃を投げ捨てて床に座った。とっくに弾が無くなっていた銃はガシャンと大きな音を立てて床の上で一回転すると、そのまま静止した。


「部屋のドアを全てロック」


 ケイがそう言うと、声紋認証が走った後でドアロックがかかった。これで他の人間はこの部屋に入ってくることが出来なくなった。マシンが熱気を排出するブウンという排気音に混じって、男の荒い吐息だけが聞こえた。男の目の前にやってきたケイは立ち止まり、静かに男を見下ろした。


 男の方もケイを見上げた。薄暗いこの部屋の中で、彼女の白い肌はマシンのライトを反射して青白く光っているように見えた。ゆったりとしたその呼吸に合わせて、緩やかな線を描いた胸が上下する。この状況で悲鳴一つあげず落ち着いた呼吸を繰り返す彼女の様子は、まるで宇宙人とか、神とか、人間とは違った生き物のように感じさせた。彼女のその唇が躊躇いがちにゆっくりと開いた。


「私は上の指示にしたがって生きてきた。でも、最近は分からなくなる。私がやっていることが正しいのか。――いや、きっと正しく無いんだろうな。正しくない事を、私たちはきっと繰り返す。それでも私達に選択肢は無い」


「なんだ、突然。お前はいつも目標に真っ直ぐに向かっていく奴だと敵ながら感心していたんだが。この都市から逃げたいのか?」


 男は笑った。口の隅から血の塊が落ちた。男の命の灯が消えかかっている。


「逃げたい……のかな」頭を抱えながら、ケイは続けた。「ずっと自分の生き方が正しいって、そう思ってきたのに自信が持てなくなったんだ」


「お前は」男は少し意外そうな顔をしていた。「お前たちは、意外と人間臭いところがあるらしい」


「当たり前だろ、私は人間なんだから」


「俺たちはそうは思っては居なかった。いや、お前たちもきっと同じだったんだろうな。俺たちはお互い、”人間ではない何か”と戦っていたんだ。お互いが自分を真の人間だと思いながら。結局根っこは一緒だってことか……」


「どういうことだ。私とお前たちは一緒なのか。お前達は”我々”を脅かす存在じゃないのか? そうでないなら、”我々”がお前達を脅かしていたのか? 私はどうするべきなんだ、ゴンドウ」


「敵に答えを求めるなよ、情けねぇ。お前、仮にもリーダーだろうが」


「……」


 ケイはむっつりと黙ったまま俯いてしまった。



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