3-1. 旧人との遭遇

 玉人がいつからそう呼ばれ始めたのか、誰がそう呼び始めたのか。それを知る人はいない。約五百年前に再生医療の研究者がこの技術を発表した時、それはサステナブル・セルという名前で発表された。まるで単細胞生物のように再生する細胞。それは人口減少と戦争に苦しむ人類が夢見たものだった。


 完全な不老不死とはいかないものの、その細胞が持つ再生能力は研究が進むにつれて目覚ましく発展していった。初めはネズミ、それから犬、猿などの哺乳類に次々と細胞が移植された。だが移植された細胞はほぼ確実に拒絶反応を引き起こし、被験体は一カ月ともたずに死んでしまった。


 壁にぶつかった研究者たちが次に試みたのは、卵子への遺伝子移植だった。サステナブル・セルから取り出した遺伝子を、ネズミの卵子に移植した。その卵子から成長したネズミに小さな傷をつけると、一時間も経たずに傷が治った。これが全ての始まりだった。それから幾ばくかの月日を経て、サステナブル・セルの遺伝子はついに人間の卵子に移植されることになる。


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「先行させたドローンにも、特に人影は映っていないな」


 シールドモニターを見ていたリンが言った。

 彼らは川から一キロメートル程歩いた場所に立っている。辺りは開けた丘陵で、斜面には青々とした草木が茂り、まるで緑色の海のごとく風に揺れて波立っていた。時折、図鑑でしか見たことのない翅のついた虫が飛んでいく。ハイリは思わずヘルメットの録画機能をオンにして、都市内では見られないその虫をデータに残そうとした。青い翅の虫は優雅にゆらゆら飛びながら、空へと去っていく。さっきまでの緊張感が嘘のように穏やかだ。


「仕方ないのは分かっていますが、もう少し目標地点に近い場所に降りたいですね」


 ハイリは録画機能をオフにして、そう言った。


「それもそうだな……。だが車で行くと相手にも見つかりやすいし、車ごと爆破されることもある。昔パレルソンのリーダーをやっていた男はロケットランチャーで攻撃してきたことがあったからな」


「規格外だなぁ。今その男が生きていないことに感謝しますよ。ミサイルで木端微塵、なんて御免被りたいですから」ミサイルが車体の横に突き刺さる場面を想像してしまい、ハイリは身震いした。「装甲車を出す、というのも無理なんでしょうね」


「ああ。お前も知っている通り、あまり物々しいやり方をすると一部の政治家連中が五月蠅いんだ。手段はどうあれ、やっている事は同じなんだがな」


「面倒ですね……」


「全くだ」


 二人は再び歩き出す。名前も知らない黄色い花をかき分けながら、リンが先を歩いた。頭上では真っ白い雲が猛烈な速さで流れていき、その影を彼らの上に落としている。北に向かって進んでいくリンの背中に向かって、ハイリは聞いた。


「いつも不思議なんですが、どうして日中に作戦を行うんですか? こんなに暑いのに」


 リンは少しだけ振り向いた。


「相手がお前じゃなかったら、無駄口を叩くなと殴っているところだな」


「すみません……」


 行く手を遮る花を、リンは煩わしそうに手でかき分ける。


「夜襲をするのは、卑怯だろ」


「卑怯……?」


「ああ。俺たちアグノイア軍は国に仕える者だ。そんな俺たちが夜襲なんてするのは許されない」


「そんな理由で?」


「どんな理由でも、許されないならしない。それだけだ。国の力を象徴する俺たちは、その力の使いどころに気を配らなければならない。力があるからと言って無闇に暴力を振るえばただの蛮人だ。だが、戦闘を恐れて戦わなければただの弱者だ。だから、夜襲をすれば勝てる戦いでも滅多なことが無ければしない。ま、夜襲しないってだけでやってることは同じようなモンだがな。――そろそろ無駄口は終わりにしろよ、ハイリ」


「……はい」


 突然視界に飛び込んできた黄色い花に少し驚いて、ハイリは歩みを止めた。その花を優しく手で退かすと、足早にリンの後を追った。


 彼らは群生する花の中を進んでいった。少しすると、途中でリンが立ち止まった。彼の肩越しに向こうを覗き見る。ずっと遠くにコンクリートの建物が見える。この草原とは異質の、灰色の建物だった。シールドモニターでズームしてみると、その棟が劣化しているのが見て取れた。旧人達が建てたのか、昔からあったのかは分からない。拡大率を上げてさらに奥を見てみると、コンクリートの棟の向こうに生垣に囲われた平屋が見えた。これまた不釣り合いな建物だ。酸性雨も年々酷くなっているというのに、よく今の時代まで生き残ったものだ。

 ザ、と通信機にノイズが走る。


「こちらリュウ。着いたか、リン?」


 優し気なリュウの声。今は少しだけ、緊張感を含んでいる。


「ああ。目標地点に到達した」


「こちらも準備OKだ」


 リンは後ろを振り返り、ハイリの様子を確認した。ハイリは準備できている事を伝えるために一度頷いた。


「こちらも問題ありません」支援部隊からも連絡が入る。


「よし。リュウは拠点の北側から拠点の中心に向かって南下してくれ。俺たちはこのまま北上する。まずは降伏勧告。それで駄目なら武器の使用を許可」


「了解」


 通信が切れる。一陣の風が吹き、周囲の花々を激しく揺らした。黄色い花びらがヒラヒラと吹き飛ばされた。雲が落とす影が二人の姿を草に隠す。周囲にピリリとした緊張感が走る。リンは周囲をよく見渡して、そっと身を乗り出した。ハイリも後に続いた。


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