3-2. 旧人との遭遇


 二人は少しずつコンクリートの建物に近づいていく。建物の中からは女の笑い声が聞こえてきた。それも複数人の声だ。窓を見ると、三階建ての建物の窓に、複数の人影が見えた。何世帯が暮らしているのだろうか。あんなに小さな建物にぎゅうぎゅうに詰まって生活しているのであれば、随分暮らしづらそうだ。


 女たちの会話が聞き取れるほど建物に近づいた時、一階にいた女が此方に気づいた。窓の向こうで、女の笑顔が引きつっていくのが分かった。女が悲鳴を上げるよりも先に、リンはジェスチャーで”窓を開けろ”と伝える。左手に持ったブレードを窓の下に隠し、出来るだけ相手を威嚇しないよう努めた。女は恐る恐るこちらに近寄ると、ゆっくりと薄いガラス窓を開けた。


「T都市のアグノイア軍S班だ。お前たち旧人を保護しに来た」


「……はい」


 頬にそばかすがある若い女は、小さく返事をした。さっきまで掃除でもしていたのか、それとも子供にでもつけられたのか、襟に黒い汚れがついていた。


「この棟にいる人間を、この拠点の中心にある平屋に集めてくれ」


「――分かりました」


「安心しろ。お前たちが”反抗しない限り”はこちらも武器は使わない」


 女はビクリと体を強張らせた。リンの発言が、”武器は持っている”と示していたからだろう。


「わかったら行け」


 女は震える脚で駆け出した。その様子を、仲間の女たちは青白い顔で黙って見つめていた。彼女達は武器も持たず、戦闘にも長けていない。反抗しようとすら思えないのも仕方が無い。少し気の毒に思いながらも、ハイリはアサルトライフルを構えつづけた。それから、リンは後方の班を一つ呼び寄せた。こちらへやってきた班にこの棟の見張りを言いつけて、リンとハイリは先に進んだ。


「今回も特に問題無く終わりそうですね」リンを追いかけながら、ハイリが言った。


「ああ。お前の射撃がもう一度見れなくて残念だ」


「やめてくださいよ、リンさん」


「冗談だ」


「冗談ですか……」


 声は聞こえなかったが、リンがヘルメットの中で小さく笑ったのが伝わった。

 次の棟に向かうまでの間、色々なものが目に留まった。甘いジュースの空き缶のゴミ。二本の木の間に張られたロープ。そのロープに干されていたシーツや穴の開いたシャツ。シーツは風に揺られてバタバタとはためき、赤茶けた地面にその影を落としている。それから、風に運ばれてきた子供たちの笑い声。この旧人の拠点は、思ったよりも大きいのかもしれない。それはリンも気づいていたようで、もう一つの支援部隊にも旧人を中心の平屋に誘導するよう無線で伝えていた。


 洗濯物が行列をなしている小道を通り過ぎると、次の棟が見えてきた。灰色のコンクリートはやはり劣化していて、ひび割れた箇所からパラパラとコンクリートの欠片が落ちている。リンとハイリは棟の周囲をぐるりと一周して、不審な人物がいないことを確認すると、その棟の入口に立った。


 コンクリート棟にドアは無く、ぽかりと開いた穴のような入口の奥に暗い通路が伸びている。静まり返ったその薄暗がりが気味悪く、入るのを少し躊躇わせる。


 二人は音を極力鳴らさないようにして、そっと棟に入った。出入り口に一番近い部屋の前まで来ると、リンはドアに耳を当てた。外から見た時には人影は見当たらなかったが、念のために音がしないか確認した。


「人気は無いな」


 小さな声でそう言うと、そっとドアノブを捻った。だがドアは開かなかった。金属製のドアには鍵がかかっているらしい。ドアは分厚く、蹴破ることは難しい。リンは拳を握るとドアを三回ほどノックした。”殴った”と言ったほうが良いかもしれない。


「……居ないんですかね」


 ハイリは少し距離を取ってアサルトライフルを構えていた。しばらく耳を澄ましていたが、部屋の中から物音がする様子は無い。


「次に行こう」


 二人は一階のドアを全て調べたが、どの部屋にも人の気配は無かった。廊下の最奥に進むと、今にも崩れ落ちそうな階段を通って二階に上がる。埃の舞う薄暗い廊下を進み、階段に一番近い部屋の前に立つとリンは再びドアに耳を近づけた。今度は、リンがぴくりと反応した。部屋の中から、僅かに物音がする。リンは手でハイリを下がらせた。ハイリは数歩後退すると、アサルトライフルの銃口をドアに向ける。


――ドンドンドン!!


 リンがドアをノックする。


「……」


 しばらくの間、辺りはしんと静まり返っていた。息を殺して待っていると、部屋の中で何かが動く音がした。アサルトライフルを構える手に自然と力が入る。


――ガチャ。


 いとも簡単に開いたドアの向こうからは、髭を伸ばした男が現れた。無精ひげのせいで老けて見えるが、旧人の年齢でいえば恐らく二十代半ばといったところだろう。男は穴の開いたTシャツにジーンズという出で立ちで、ぼうっとした顔でリンを見つめていた。それから、ハイリの持ったアサルトライフルに気が付いて、自分がどういう状況に置かれているのかを理解した。


「わ、わ……ッ」


 男は慌てて両手を上げた。抵抗する意思は無いらしい。


「T都市のアグノイア軍S班だ。お前たち旧人を保護しに来た」


「ほ、保護ですか……?」


「ああ。お前に抵抗する気が無ければ、この棟の旧人を集めて拠点中心の平屋に集めて欲しいんだが」


「わ、分かりました。すぐやります」


「ああ」


 ハイリが緊張を少し解いてアサルトライフルの銃口を下げた時、男は部屋を出るなり突然ハイリに飛び掛かってきた。――ように見えた。実際には、男は自分のジーンズの裾に足を引っ掛けて、顔面から地面に倒れただけだった。思わず引き金を引きそうになったハイリは、アサルトライフルの銃口を男に向けたまま立ち尽くした。


「おい」気だるそうに、リンが男を軽く蹴る。


「す、すみません……。すぐ行きます……」


 鼻血を垂らしながら立ち上がった男は、ヨロヨロとよろけながら階段を上がっていった。


「……大丈夫か、ハイリ」


 そう声を掛けられて、ハイリは忘れていた呼吸を再開した。心臓が早鐘のように打っていた。


「紛らわしい」ため息交じりにハイリは言った。


「全くだな。だがこれで南側の棟は終了だ。他の棟は支援部隊が誘導し終わっている頃だろう。あの男の動向だけ監視したら、俺たちもこの拠点の中心に向かうぞ」


「了解」


 先に外に出て棟の入口で待っていると、さっきの間抜けな男が旧人の青年を三名連れてやってきた。男の鼻血はまだ乾いてすらいなかった。

 リンとハイリは旧人達を誘導しながらこの拠点の中心部に向かった。

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