1作目の流れから見る、「起承「頂」転結」について

 私が起承転結ではなく、「起承「頂」転結」という概念を意識したのは、先ほどご紹介した1作目の構成を組んでいるときでした。


 この作品全般の主人公は、よつ葉園という児童養護施設(旧・養護施設。以下、その用語で統一)において半世紀にわたって勤務を続けた大槻和男という1945年生まれの人物。

 彼はその生涯において、養護施設という職場に足を踏み入れ、児童指導員に始まり後に若くして園長、そして理事長へとなっていくわけですが、先程述べた、

「起承「頂」転結」

という概念を意識する軸となったのは、彼を取り巻く人たちの動向です。


 旧態依然たる児童福祉施設の悪弊を一掃し、児童と称される子どもたちの将来をいかに保障し、支援していくか。

 彼は、後輩となる男性児童指導員にその役割を担ってもらおうと考えた。

 そして、そこに様々な後輩となる男性幹部職員が、ある人は新卒、ある人は他施設から移籍という形で、やってくる。なかには病気などで志半ばにして退職せざるを得なくなった者もいたが、それでも、よつ葉園には続々と男性職員がやってきた。

 そんな男性職員の中でも、大槻氏と同等以上の力のある高尾、梶川両児童指導員については、それぞれよつ葉園に新卒もしくは移籍によってやってきたが、数年勤務した後、新天地を求めてそれぞれ去っていった。

 彼らはどちらも、大槻氏の同業者として、それぞれ別の養護施設の施設長となり、その就任した先の施設を改革していった。よつ葉園という養護施設は、彼らが自らの職場を改革していく上でのモデルケースとして、十二分に機能した。


 一方、旧態依然の軸となっていると目した、終戦直後から勤務しているベテラン保母を定年を機に辞任してもらうべく、彼はその意図を行動に移していく。それを受けて、彼女は定年を機によつ葉園という職場を退職していった。

 かくしてそれは、改革の象徴のような「事件」となった。


 大槻氏はさらに改革を進めていくが、一方、よつ葉園という「職場」に来てくれた男性職員たちは、その改革の意義を十二分に意識し、それに共鳴して日々の「生活」という業務をこなしていながらも、大槻和男という人物に対する「疑念」のようなものが、少しずつ頭をもたげてきた。

 それは、大槻氏のかねて意図する「自由」というものがもたらした成果といえなくもないが、だからと言って、大槻氏の側に取込むだけの結果になるものではないことが、次々と起こってきた。

 かくして、東航前園長の小学校教師時代の教え子の古村事務長、くすのき学園から移籍してきた山崎指導員、そして、大学を出て新卒で就職した尾沢指導員・・・、彼らはやがて、思うところあってよつ葉園を、言うなら、大槻園長のもとを去っていった。そして、自らの道を進み始めた。

 古村氏の場合は大槻氏からの「退職勧奨」、山崎氏は体調悪化による「自己都合」退職、そして尾沢氏の場合は、大槻氏の慰留を跳ね返しての、新たな道への旅立ち。それぞれの形は違うが、彼らは皆、新天地を求めてよつ葉園という「職場」を去っていったのである。

 その一方で、大槻氏の息子たちよりも若い、伊島吾一という男性児童指導員がやってきた。彼はやがて、かつて大槻氏が園長職を継いだ年齢になった頃、高齢を理由に園長職を退いた大槻氏に代わり、新園長に就任した。


 まあざっと、流れとしてはこんな感じなのですが、問題は、

どのあたりを物語の「頂」としたか?

 ということに尽きましょう。


 それについては、次回もう少し、詳しく述べてみますね。

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