見ていることは、見られているということでもある。

 およそ小説を書くという行為において、他者の視点で話を進めて書いていくことこそが、もっとも重要な「宿命」のひとつともいうべきもの。


 私は毎週日曜日、何があっても朝8時30分から9時までの「プリキュア」を観ることをルーティンとしております。その間は、何があっても電話には出ない。電波も一切、切っておりますし、他者との接触は一切拒絶して、ただし、パソコンから発信するというスタイルを、この数年来徹底しております。


 さて、今書いた事例をもとに、今回のテーマについて述べてみますね。


私はプリキュアを観ている。

 ということは、こうであるとも言える。


プリキュアは、私を見ている。= 私はプリキュアに見られている。


 さて、プリキュアに出てくる個々のキャラクターが私を見ているとなると、どうなるでしょうか、ってところから、話は始まって参る。


 私がプリキュアを観て、それに対して個々のキャラクターの言動や、あるいはその背後にある制作者各位に向けて意見を述べる。


 これは、ごく普通の流れですわな。

 日曜日の朝、子どものいる家庭やそういう「趣味」を持った大人の皆さんであるならば、ごく普通のどこにでもある光景。

 私もそうだけど、その背景が、ちょっと、・・・、なところはあるけど、まあね。

 それはともかくとして、普通はそこでおしまいのところを、もう少し、踏み込んで思考をめぐらせてみたい。


 プリキュアに出てくる個々のキャラクターたちは、視聴している人たち一人ひとりを、テレビを通じて観ているのである。


 こういうと、いささか怪しいというか、何かと思うようなところもないではない。

 でも、そういう側面だって、ないわけじゃないと思うのは、気のせいかな?


 というわけでね、私はそこに着目したわけ。

 とすれば、プリキュアに出てくるキャラクターたちが私を見たら、さあ、どういう反応をするだろうな、ってことになるよね。

 で、御意見番と称してこちらから「喝!」や「あっぱれ」を出す、これまさにその時間帯のとあるニュース番組のスポーツコーナーの構図なのだけど、そんな私を彼女たちが見たら、どういう答えを返してくるだろうかな、ってことになるわけよ。


 というわけで、今度は、プリキュアに出ている子たちから見た私・プリキュア御意見番で二代目喝御大ということになっておるのだけど、要は、昔からの野球ファンでこれまでレギュラーだった張本勲氏の「後継」(つまり張本氏は「先代喝御大」ってことね)として、あの番組からプリキュアに、政治的意見で相いれないことこの上ないおっさんが、プリキュアの世界に「亡命」してきたというキャラクターを自分自身に与え、それで、プリキュアの子たちがその発言を聞いたり、最近では私の普段の言動を見た彼女たちがどういう反応をするかを含め、いささかエンターテイメント的に表現しているのですよ。


 これ、意外と楽しいのね。

 だけど、こういうことの積み重ねが、小説を書く上では基礎体力というか、基礎的な思考力を鍛えてくれるわけなのよ。

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