人生において集中する3年間
自分の人生を大きく左右するための鍛錬の期間は、おおむね、3年くらいは必要であるというのが、どうやら、一般的にもよく言われているようですね。
私も、その3年という数字は、妥当ではないかと思う次第です。
それは私自身の経験からも、言えます。
それこそ、野村克也さんの本を最初にじっくり読んだ高校生の期間、その3年間がまさに、そうでした。
一度そういう経験をすれば、次に何かをといったときにも、精神的に余裕をもって取組めるというメリットも、あります。そりゃあ、金とか物量、人脈、あるいは対処しうる能力については、そう都合よく揃うとはいかないない場合もままありますけれど、精神的な余裕があるだけでも全く違ってきますわな。
今述べたようなものは、それこそ、「後からついてくるもの」に過ぎない。
そのくらい言っても、過言ではないかもしれんね。
まずは、これをやり遂げる、という「意志」から。
ここは間違いなく、法律用語の「意思」じゃないからね。
とにかく3年間、わき目もふらずにやるべきことに集中する。
そのことを学べるのが、高校生と呼ばれる時期ではないかな。
それを何だ、青春のヘチマの、そんな美辞麗句を錦の御旗にして遊び惚けておるヒマなんか、ないはずだけど、なぁ・・・。
私は結局合格レベル以前の問題で終わっておるけど、かつての司法試験も、一般には「3年間必死で勉強すれば合格レベルに達しうる(合格できるという保証があるわけじゃないよ~苦笑)と言われていました。これは何人もの人が仰せです。
そこで、ノムさん。
あの方も、必死でわき目もふらずに鍛錬して、3年目にしてようやく1軍に定着できたわけね。2年目に至っては、1軍出場は1試合もないほどだけど、その時着実に、力をつけていたわけよ。
そして3年間を終え、4年目のシーズンで、打率3割到達、本塁打王を獲得。
当時の強打者、中西太や山内一弘の間に割って入って、彼らの三冠王を阻止したというわけね。
多少の期間の差は、解釈次第では発生するのは仕方ないけど、おおむね3年間をめどに必死の鍛錬を続ければ、次のステップへ進める何かが得られるというのは、確かであると思われます。
で、私のこと。
小説を書き始めて正味2年が過ぎようとした頃、ようやく、書籍化はどうかという声をいただいた。自費出版という形ではなく、商業出版で、ね。
現在、それから3年目。正味では、2年半近くになっております。
これで、3冊目を出せます。
次の3年というのは、しっかりと書籍としてまとめていける能力を完全に身に着けて、さらには人に買ってもらえるようになるための期間ではないか、と。
で、ノムさん同様、2年目の昨年は、もう一つ、冴える結果を出せていないなという感触があるのね。というのも、例の疫病のせいもあるけど、それだけが原因でもないことは、自分でもわかっております。
ただこれは、例の疫病とやらがあるなしに関わらず、形を変えて同じようなことが起こっていたろうな、という気もしております。
なんか、意識しているからか、野村克也氏のプロ野球選手として上り詰めていく過程の追体験を、形を変えて、場所を変えて、現在進行形で体験させてもらっているような気がしてなりません。
そんなこともありますので、野村克也という野球人のその後もじっくりと書籍を通じて検証して、自らの糧にしていきたいと思っておる今日この頃です。
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