野球をするも小説を書くのも、もとはと言えば「遊び」
前回は鉄道模型と小説を対比して書きましたが、今度は、スポーツ全般に癒えることかもしれんけど、この際なので、野球を引合いに出しまして、それと小説を書くこととの比較で、論じてみます。
サッカーなんかもそうだけど、野球にしてみたところで、そのもととなったクリケットも含めて、もとをただせば、「遊び」だったわけよ。大人がするか子供がするか、大人だとしても、労働者階級かそれとも上流階級かとか、そんな違いはあるにしても、本質的には、「遊び」だったわけ。
それでも、上手いとか下手とか、いろいろあって、あまりにうまい人たちは、下手な人たちやそもそもその「遊び」には参加できない人たちも含めて、みんなにその上手さを見てもらえるようにしてきたのね。最初は「職業」とまではいかなかったけど、そういう「遊び」を人前で演じて見せて、みんなから名声を、上手くいけば富も得られるシステムが徐々に確立していったってこと。
そうなるとそれは、ほかならぬひとつの「仕事=職業」として認知されるようになって、それに携わる人にはそれなりの報酬が与えられるようになったっていうのが、歴史的な大きな流れってことになります。
小説と称される「物語」を書くことにしても、もとはと言えば、文字を読み書きできる上流階級の「遊び」だったってことになりますわな。本来文字というのはそういう遊びごとに使うものではなく、事実を正確に記載して客観的な証拠を残すために開発されたツールでしょうがな。
初めからお遊びの道具として作られたわけなど、ないよね。
だけど、そういう「ろくなこと」に使うばかりが能でもないなということに、誰かが気付いた。そこで、実際に起こった出来事を、多くの人に興味を持って読んでもらえるように、そして、それをこれから生まれてくる人たちにも知ってもらうために、文字というツールを使い始めた。
そうして出来上がってきたのが、今も世界各地で語り継がれている「伝説」や「物語」ってことになるわな。大人向けばかりじゃなく、子どもにもわかるように書かれたものも、さらにたくさん生み出されるようになりました。
もっとも、文字の読み書きができなくたって、そういう話は誰もが知りたいと思うものでして、それならということで、文字の読めない人にも、あるいは読めたとしても、どうせなら楽しく読みたいという願望があろうから、そういう人たちのためにということで作られたのが、例えば平家物語のような、「語り本」。語り本では言い尽くせないものは、さらに読み物として特化させて「読み本」として成り立って行く。こうして、同じことを描いていても人が違えばこれまた違った味わいとなっていくという塩梅よ。
それこそ、今のトーキー以前のサイレント映画時代の名物であった「活動弁士」なんて人たちのお仕事も、その派生形と言えましょう。
野球にしても小説にしても、本来は「遊び」だったものが、よりたくさんの人に楽しんでもらえるようにするために、それが「仕事」として成り立って行く余地ができて、それが今、こうして大きく花開いている。
そういう意味では、いい時代を我々は生きているなと痛感させられるとともに、そこに至るまでの道筋を作ってくださった先人への敬意を忘れないと同時に、私たちができることにさらに邁進して、後世へとつないでいくことが肝要ではないか。
今回はいつになく真面目に、論じさせていただきました。
本日は2022年4月17日。
実はこの日は、私の父の命日でもあります(2006年没)。
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