鍛錬としての「読書」

 世の中には、「読書」を「趣味」という枠内でとらえ、履歴書などに書かれる方も多くおられますね。

 それ自体は、全然悪いとは思わない。

 楽しみの一つとして本を読むというのは、悪くない。

「娯楽・教養」としての、「読書」ですな。


 だが、私のような人間にとっては、読書というものは趣味だの教養ファッション棚などという言葉でくくれるようなものなどでは、断じて、ありません。

 喧嘩売っているのか、われぇ、表に出え!

とまあ、こういう世界なのよね。もう30歳若ければ、マジで。


 読書ってのは、な、仲良しこよしのオベンキョごっこじゃねえんだ!


 マジに行けばこうだが、もう大儀になったら、こうなるかな。


 読書? 勉強? そんなものしねえよ。酒飲んで寝るだけ。


 これで、ええやろ。現役時代の落合博満選手みたいやけど。

 落合さんは、プロ野球選手としてはタイトルを取るためには何でもする選手であったし、監督時代は、勝つためには何でもされる方であったとお聞きしております。

 とくに後者については、とある元プロ野球関係者もおっしゃっていた。


 練習? そんなのしない。やっても最低限。酒飲んで、寝るだけ。


 こんなこと、おっしゃっていたからね、現役時代は。

 わしも、そう。


 とはいえその一方で、落合さんは、バットが自分の体の一部になるまでバットを振ったとも仰せです。さらに言えば、この世界はバットを1回でも多く振った者が勝つ世界であるともね。


 そんな選手が、並の人間どもの世界で言うところの「練習」ってことになるらしいけど、わしらの世界では「勉強」とか「読書」っていうことになるのかもしれんが、そういうことを「一切」しない、してもテキトー、なんてこと、あるわけがない。


 ですから、私も、集中して本を読むときは、マジで、読んでいましたよ。

 明石市立、兵庫県立、神戸市立、それに岡山県立と、4図書館から合計45冊を年末年始に借りて読み倒したとか、そういうこともやったよ。

 それで、今は非掲載になっているけど、アマゾンレビューに感想を書くということをしておりました。読んだことをきちんとまとめるために、ね。

 そういう「鍛錬」を、40代のうちはやっていました。

 物書きとしていずれ何かをしていくことを意識していなかったわけではないけど、別に小説を書くための準備という目的をもってやっていたわけじゃない。

 書く方はというと、その時期はほとんど、書いていない。

 なんや、かれこれあって、それどころじゃなかったから。


 で、いよいよ何かを書いていこうと思ったときに考えたのが、最初にご紹介したエピソードの通り、ってことよ。

 そこで役に立ったのは、やはり、高校時代(厳密には3年間の実質大検浪人生時代というべきかもしれん)に読んだ知識だったってことや。それを、何年にもわたってメンテナンスしつつ、ブラッシュアップしていたわけや。


 そういう「量に基づく質の基盤」を鍛錬によって培っていたからこそ、今こうしてじゃんじゃん書いていけるわけですよ。

 これ自体で、そう金になっているわけじゃないけど、それ以上のものをきちんと身に着けていけているという実感は、ありますね、正直。


 というわけで、その「鍛錬としての書を読む所業」をせねばならんのが一つありましてな、今日は、某所にて書籍を確保してまいるところであります。

 

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