第2話 最初の春、最初のパーティー、はじめまして 

「終わったら、中にある食器磨きもお願いね」

ムシキは庭にある椿の葉を数枚、それ用に摘み、地下の保存庫へと向かいました。

「ここも何とかしないといけないな」

オーウォンは水場の有様にため息をつきました。

裏庭の水場は単なる川の水が溢れただけの水たまりでした。けれども澄んだ、きれいな水でした。川は東から西に、庭を横断して、綺麗な水が途切れることなく流れています。オーウォンは、釜を水辺に置いて、所々腐りかけている木の足場の上で、釜を下ろしました。雪解けの冷たい川の水は毛で覆われたオーウォンからしたら問題はありません。むしろ、気持ちの良いくらいです。

オーウォンはポルチーニスープの為にと、張り切って、大釜の焦げをこすり落としました。



いよいよ、明日は春のお祝い日、待ちに待った一年の始まりです。二人とも、忙しく飛び回っています。ムシキは料理、オーウォンは会場の担当です。スープの為、火加減を見ながら、クスノキの木の下にテーブルと椅子を運び設えています。

「この、キャンドルをテーブルに三か所置けばいいんだね?」

キッチンに入るたびにオーウォンの鼻をくすぐる良い匂いがします。

歪な形のキャンドルをムシキから受け取りました。

「前回通りよ。それより、ちゃんと、火加減見てる?焦がさないようにね」

「失礼なこと言うね。見てるさ、ああ、問題ない。あれほど磨いた釜を焦がすわけないだろう?」

憤慨して外へ出ていきました。言われた通りに並べて、それから、クロッカスの花を瓶に一輪挿しました。

「これは、ここに。と」

食器とシルバーを並べれば、いよいよセッティングの完成です。」

「問題ないね」



その頃、屋敷から、離れた道の向こうから、ぼんやりと歩いている人間がいました。まだあどけない顔をした少女でした。二又の道を右に進んだところで、ふと、足を止めました。

「あれ、どこへ向かってるんだっけ?」

急に記憶はあいまいとなり、立ち止まりました。


「ひょっとして迷ってる?」

どこからともなく声が聞こえてきました。辺りを見回しても誰もいません。空耳かと、歩き出すと、草藪から、ひょっこりとストローハットが飛び出しました。


「あああ、驚かせてごめんね、大丈夫?」

ストローハットは、後ずさりして石につまづいた少女の体を起こしました。

「君、一人でここへ来たの?どこへ行くの?」

「えと・・私・・」

「この道の先はひとつしかないよ?僕もそこへ向かってるんだけどね」

「私、覚えていなくて・・」

「おや。そうなの?」

男は黙って考えていました。そして、名案を見つけたようににっこり微笑みました。

「なら、僕たちと一緒に行こう。これから、春の祝賀会があるんだ」



真剣に、最終確認をしているオーウォンの背後に誰かが現れました。

「素敵な会場だね」

紫紺の服に髪の毛ほどの細い触覚が二本。

「スージー!」

オーウォンよりも早く声を上げたのはムシキでした。フライ返しを右手に持ったまま、スージーの体に飛びつきました。

「春が来るのが待ち遠しかったよ!」

「ムシキ、元気そうで嬉しいよ。今年は特別な一年だから」

「今年は九の巡回年」

言いながら、ムシキはオーウォンに視線を向けました。

「部屋は、開けといてある。もちろん、換気もしたさ」

「喉、渇いたでしょう?これでも飲んで」

ムシキはスージーのために井戸で汲み上げた鉱泉水を用意しました。

太陽が西に沈んでいくにつれ、テーブルと木の枝で吊るされているキャンドルの火がいっそう温かく揺らぎます。

「それにしても、遅いね。ヘルミは仕事があるから仕方がないにしても、あいつらは何なんだ?」



それから、来た道を戻って行った少女は右側からもう一度、現れました。それを二回ほど繰り返して、ようやく三回目のチャレンジを諦めて、近くの岩に腰を下ろしました。

「これでわかった?戻れないってさ」

少女は夢ならそのうち覚めるはずだと、もう元の道を戻るのをやめました。

それに、青年の風貌は変わっているけれど、危害はなさそうに見えました。

「お願いします」

「もちろん!それから・・そこを降りてくれない?友達がさ、立てないんだ」

岩だと思って腰かけていた岩は音を立てて動き出しました。

「こいつは、友達のイシュ。僕はアクタ。君は?」



「遅いね」

オーウォンは空腹で力なく椅子にもたれています。

「先に始めてよう。乾杯のポンチを運んでくる。ああ、スージー、良い色ね」

ムシキの見える世界には色がありません。けれども、彼女には人の感情や心の状態が色として読み取ることが出来ました。

「さ、炭酸が抜けないうちに」

それぞれが、グラスを手に取って持ち上げました。

「おいおい、まだ始めないでくれよ」

「アクタ!」

その声に振り向くと薄明りの中に黄色いストローハットがぼんやりと浮かんでいました。

「いつも思うけど、君には時間の観念がないのかい?」

オーウォンが呆れ顔で言いました。

「あれ?オーウォン、最後に会ったときより、丸くなった?」

「スージー」

涙ながらに飛び込んできた丸い体をスージーは優しく受け止めます。

「それより、一人、追加で参加させてもらってもいいかな」

そう言うアクタの後ろには少女が一人立っていました。それを見るなり、オーウォンの体は大人しく小さくなりました。

「誰だい?」

「二又の道を過ぎたところで会ったんだ」

「新顔ね」

次に到着したのは最後の一人、ヘルミでした。オーウォンはヘルミために椅子を引きました。それから、屋敷に戻ってもう一脚持ってきました。

「森崎塔子です。今夜は突然にすみません」

ポンチが運ばれてきました。

「まあとにかく、料理も冷めちゃうし、席について!」

ムシキの号令で、ポンチの入ったグラスをそれぞれ手に持ちました。


「新しい春を迎えましょう。健やかな今に感謝しましょう。そして、庭の恵み。私たちの安寧を願って・・」

「乾杯!」

ムシキの腕を振るった料理が次々と運ばれてきました。


「そういえば、昔一度だけ人間が来たことがあったわね」

ヘルミが言いました。フルートの音色のような声です。

「そうだっけ?・・・そうだった」

それに一番驚いたのはムシキでした。最初にオーウォンと友達になったのが自分ではなくヘルミだと知ったからです。

「どんな人?だったんだい?・・今は?・・」

「ここを出て行ったよ。白髪のおばあさん」

そう言って、オーウォンはサーモンのマリネを口に入れました。その美味しさにうっとりとしています。

「それなら、君も戻れるんじゃない!?」

アクタが塔子に言いました。

「どうかな。その人は運が良かっただけだし」

「それはどういうこと?」

「ああ、君に話すのは面倒くさいな。まあ、仕方ないな。つまり、探し物をしにこの庭へ辿り着いたらしい。それで彼女が探していたのは “願いを叶える花”」

「まさか、ここにあったの?」

「うん、中庭に咲いていた。春を過ぎれば無い花がないくらい咲くから」

オーウォンは食事を止めることなく話しました。そのせいで、会話が時折停止します。

「それで?」

「花を持って出て行ったってば」

「それは聞いた。じゃあさ、そのおばあさんはさ、帰ることを叶えるために花を探しにわざわざ、迷い込んだってのか?そもそも、その花がここにあるってわかってたのって、おかしくないかい?」

「確かに変ね。その花のこと、誰かに聞いたとして、それって、誰かしら?そんな話をただの人間が知っているかしら」

ヘルミがまろやかな声で言いました。

「詳しいことは僕は知らない。だって、やって来て彼女は少しもいなかったんだから」

「でも、まあ、前例があるっていうのは可能性が開けたよ。ね?」

アクタは塔子に向かって言いました。


「願いを叶えてくれるならさ、僕はもう少しスリムになりたいと願うよ」

オーウォンのつぶやきは鳥の鳴き声でかき消されました。

「何て言う花だろうね」と、スージーがつぶやいて。

「キリミス」と、オーウォン。

「そんな花あったっけ?」と、ムシキは思考を巡らし。

「僕が今決めた名前だよ」

「はいはい」

二つ返事の代わりにムシキは頷きました。

「まあ、呼び名があると便利だよ」

「そうだね、スージー」ムシキは微笑み返しました。



夜も深く重く沈んでいきました。

夜が更けるほど、スージーはハーディーガーディをクルクルと。それに合わせて音が曲となって軽快に流れていきます。

数年ぶりに六人が揃って、しかも、今年は新人も加わって、会話は途切れることがありません。楽しい時間は瞬く間に過ぎるようで、いつの間にか、東の空がうっすらと白みかかって、鶏の鳴き声が聞こえてきます。

「じゃあ、私は行くわ」

ブロンドの髪を豊かに弾ませながら、ヘルミが立ち上がりました。

「そうだね。お勤めご苦労様」そう言ってハーディ・ガーディをテーブルに立て掛けました。

「ああ!スージーも早く寝ないと!色褪せてる」

「そうだね。もう、眠ることにするよ」

ムシキがスージーの体を心配しています。普通の目には、スージーの体の変化はわかりません。

「後で君の部屋に案内するよ」

オーウォンが塔子に向かって言いました。

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