第13話 留めること

 トトフィガロはメイドである。

 ボタンの付け方を今日、初めて知るメイドである。


 サンロモントはトトフィガロの選んだ布を、小ぶりな四角形に裁ち、そして、優しい雰囲気で、使う器具と縫い方の説明を改めて教えた。

 糸を針に通し、玉止めして、縫う時はぴんとなるまで、優しく引っ張ってから、次に刺し込む。また、ぴんとなるまで引っ張ってから、次に向かう。単純なその繰り返しだ。

 この位置にこの糸を出して、此処はこの色でと、正確性が追い付かず、慌てていた刺繍に比べると、融通が利く感じがある。


 どうやら、刺繍のような細かく絵を描くことが苦手だったようで、此方の単純作業に関しては、多少不恰好ではあるが、見窄らしい迄は至らない。また、指も刺していない。


 その様子を見守るサンロモントは、満足そうに慈母の如く微笑んだが、手元に夢中になっているトトフィガロは気付いていない。黙々と作業を続けている。

 暫く見ていて、問題がないと考えたのか、サンロモントも自分の席へと戻り、自身の作業を再開させた。鏡の中も俄か動き出す。


「ここ最近は、皆、眠ってばかりで、張り合いがないと言えばよいのかしらね。戸を叩いてみても、返事がないこともあるし」

「そうなんですか? トトが来た頃から、皆さん眠っていらっしゃっていたイメージです」


 竜の眠りは深く長い。ほんの転寝さえ、百年の時が過ぎ行くこともある。地上に於いては、遍く者が滅び行く程の月日であるが、こと竜宮では瞬きも同然であった。

 とは言え、時間の感覚というものはそれまでの生きた年月によって左右される部分がある。サンロモントは最近と言ったが、その最近とはトトフィガロが竜宮國に来る前を指している。年嵩を重ねた者にとっての一秒と幼子にとっての一秒は、針の刻む速度が同じでも、それまでの年数と相対的に感じるため、年齢が上の者の方が時間の過ぎる速度を早く感じるという。また、日々新たな発見があるという環境も時を長く感じる要因であり、漫然と時を過ごす竜は尚更一秒が短くなりがちであった。また、時計のないこの國では尚更その個人差が顕著なことである。

 年若いトトフィガロにとって、多くの竜は自分が覚えている限り、最初から眠っている者が大半であった。自分の覚えている限りでずっと、ということはつまり、自分の生きている年数よりもとても長い時間である、という理解をしていた。故に、サンロモントにとっては最近の出来事である、他の竜達の瞬きが如き微睡みも、トトフィガロにとっては地上の人間と同じように途方もなく前から始まっていると感じるのだ。


 トトフィガロは時折、ふと、思い出してみようとするが、果たして自分がいつからここにいるのか、それを年数で言い表せることが今まで出来なかった。この國では、個数を数えるのは別として、先の理由によって年月の数え方は実に曖昧なもので、大凡の枠でしかなく、率直に言ってしまえば杜撰なものだった。だが、ここは食事の必要もなく、王冠も一所から動かぬ國だ。春の芽吹きも夏の陽光も秋の実りも冬の凍てつきも、月の満ち欠けすらもない竜宮に住まう者達にとっては、暦も季節も自分達にとって関係のないもので、人のように事細かく注意をする必要もなかったのだろう。


 ロロケウス辺りにでも問えば、それはそれは事細かく、この國の歴史を語ってくれるだろう。遥か太古よりこの城と共にあり、現在はその一部にまで成り果てた彼は、多くを見はしなかったが、多くを語り合うこと、そして、多くを覚えることを得意としていた。その心臓の鼓動は常に規則正しく、人の使う時計と寸分違わずに時を刻むので、彼だけは時の流れを正確に把握していた。


 トトフィガロは偶に近くを歩く時に挨拶する程度で、彼のことをよく知らない。だから、トトフィガロに覚えていない時間があること、そして、その間に何があったのかは、彼に問い掛けるだけで答えが返って来ることも知らなかった。

 だから、唯、不意に気になっては、霧中に迷い、引き返すことを繰り返すことしか出来なかった。無知の知を知らぬトトフィガロは、そうするしかなかったのだ。だが、この間のカザミナルとのやり取りで、幾らかか問答の有用性を理解したため、思考の深度も深くなっていくだろう。


「そうね、まあ、そうなのだけど」


 手元から目を離さずに、サンロモントは続ける。


「なんだかいつもとちょっと違っていて、そう、これは私の体感でしかないのだけど、うんと、何と言えばよいのかしら? 空っぽ? まるで、皆がいなくなっているような、まるで、先細りする針の内側にいるような。そんな筈ないのにね。なんだかね、上手に言えないけど、無性に寂しいの」


 サンロモントの手が止まる。美しく、しなやかな手だ。それでいて、その爪は肉を容易く切り裂けそうな尖り、まるで血のような艶やかな色が塗られている。

 その眼差しはどこを見ているとも取れない。直近の記憶でも思い出しているのかも分からない。


 トトフィガロも手を止める。そして、首を傾げた。サンロモントの言うことがあまり理解出来なかったからだ。

 竜宮城はいつだって、まるでもぬけの殻のようだ。音がなくて、薄暗い闇が支配していて、生き物の気配がない。それでいて、微睡みの内にいるかのように、落ち着いている。陳列されたような扉が並ぶ静かな廊下が象徴的だ。その在り方は放置であるのに、有り様は整然としているのだ。

 もしかしたら、それはカインレの功績による秩序であるかもしれない。秩序というものは、そこに集団がいてこそ成り立つものだ。何もない場所には秩序も混沌もない。だから、蛻の殻のようでも、確かにそこに生きる者達はいるのだろう。或いは、それこそが女王陛下の統治の成果であったかもしれない。誰も争うことも、求めることもないままに生き続ける、強大な生き物として悠然と自然の一部として、あるがままにあれと言わんばかりの君臨である。とは言え、どちらにしても、トトフィガロからすれば人気ひとけはないことに変わりはない。

 だが、サンロモントの言い分を聞くに、トトフィガロの体感している現状よりも、活気があるかのように聞こえる。と言うことは、トトフィガロが知らない竜宮、トトフィガロが来る前のかなり昔の状態と比較しているのだろうと思われた。


「トトはあまり感じませんが、昔はもっと交流があったのですか?」

「そうね。起きている子達が今より多かったからかしら。自然と顔を合わせる機会は多かったわ。今は食堂に行けば誰かと会えるけど、前はね、廊下を歩いていても、少なくても三、四人とは会えたものよ」

「そ、そんなに。想像出来ません」


 誰とも会わない日が続くのも、そう珍しくないトトフィガロは驚き、そのまん丸な薄氷のような目を見開いた。そんなトトフィガロにサンロモントは自然と笑みが溢れた。


 若々しい見た目ではあるが、サンロモントはここ竜宮においては、古株とも言っても良い程の古い竜であった。それは即ち、強い力を持つ竜であるということだ。だが、彼女の力というのは概ね使われることはなく、こうして自分より年若い者達へ教示したり、欲する者へ衣服を提供するなど、こつこつと誰かのために働くことを好んだ。


 彼女の言うところによれば、自分より若い竜は可愛くて仕方がない、とのことだった。健気で一生懸命なトトフィガロは、一番幼いということもあって、ここ最近の中では特に気に掛けていた。


 だから、今もトトフィガロの反応を見て、可愛いと思っていたが、その顔を見ていて何かを思い出したのか、視線を斜め上へと向けた。


「そういえば、さっき、王女殿下がトトフィガロを探していたわ」

「えっ」

「急ぎではないとは言っていたけど」


 思わず立ち上がるトトフィガロに、サンロモントはマイペースに更に何かを思い出そうとする。


「あの方が帰って来られてから、新しい布も出来たし、外国のデザインも入って来たし、服を作るのが一層楽しくなったの。本当に感謝しているわ。でも、そうね。あの方、何か焦ってるみたいに見えるわ」

「焦ってる?」

「一見分からないのだけど、あの方はどこか痛々しくて、どこか諦めているような、諦め切れていないような、そう、藻搔いているように見えるわ。何を知っていて、何をしようとしているのかしらね。きっと、私達がわくわくするようなことだと思うのだけど、トトは知ってる?」


 サンロモントの問い掛けに、トトフィガロは静かに首を横に振る。


「そう。あたしが眠りにつく前に分かるかしら」

「サンロモントも眠ってしまうのですか?」


 トトフィガロの言葉にサンロモントは少し寂しげに笑って返した。


「そうね。色々試してみたいことが増えたりして、楽しいのだけど。うん、だけど、少しだけ、疲れてしまったかもしれないわ。ずっと長い眠りを取っていなかったからかしらね。……眠れば、この気持ちも晴れるかしら」


 一度眠ってしまえば、次に会えるのは何百年後か分からない。

 トトフィガロは優しいサンロモントに会えなくなることを寂しく思ったが、それは眠りたいと言っている者を引き止める理由にはなるまいと、言い掛けた言葉を飲み込んだ。


「……それじゃあ、気持ち良く眠れるように、お部屋を整理しましょう。床の塵は集めましたが、机の上は手を付けてませんから」

「それはいいわ。自分がやりやすいように至る所に色んな物を置いているから、一度、片付けるのもいいわね。手伝ってくれる?」

「ええ、勿論」


 トトフィガロは縫い掛けの布を机の上に置いて、サンロモントの指示を受けながら、夥しい量の布を集め始めた。王女殿下が探しているなら早急に片さなければならないが、サンロモントと共に過ごす時間も惜しく、トトフィガロは悩む前にまずはこの部屋の掃除を優先させようと決めた。

 その頭の片隅には、サンロモントから見た竜宮と王女殿下の姿が引っ掛かったままだった。





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