第12話 縫うこと

 トトフィガロはメイドである。

 指先が少し不器用なメイドである。


 針を一つ刺す。

 思った所に針先が出て来ない。だが、勢いで糸を引っ張り出してしまったから、このまま進めるしかない。

 もう一度、刺す。


「あ、いた」


 左手の人差し指の指先に針を刺してしまった。傷口を見ると、薄皮に穴が空いていたが、血が出る程ではなかったようで、トトフィガロは瞬間速度の高い痛みへ息を吹き掛ける。

 怪我をした時に何故か吹き掛けてしまうのが、トトフィガロの癖だった。痛みを吹き飛ばしているつもりなのだ。実際がどうであれ、そうだと思い込んでいるのなら、トトフィガロにとっては痛みは薄れるのである。


「あらあら、また刺しちゃったの?」


 穏やかな声で心配しながら、傷口に顔を近付けるのは、サンロモントである。

 羽根が折り重なったような形状の桃色の髪が、頭が動く度にかさりと音を立てて揺れる。それを細く嫋やかな指で耳へと掛けながら、彼女はトトフィガロの指に空いた視認出来ない程に小さな穴へ視線を落とした。


「血は出てないみたいね」

「はい、大丈夫です」


 そう答えるトトフィガロの手には白い布があった。そこにはぐしゃぐしゃとした絡まった色とりどりの糸の塊が幾つか出来ていた。刺繍というものに挑んでいたのだ。

 刺繍とは糸を縫い付け、模様や文字を描き、布を装飾するものだ。竜宮國の服にも、その人らしい模様を刺繍したりする。表には出ていないが、トトフィガロの服の裏側に竜宮國の文字で名前が記されている。


 トトフィガロがこの部屋にやって来たのは、小一時間ほど前のことである。前々から、端切れや糸屑を掃除して欲しいとサンロモントから頼まれていて、それの対処に当たっていた。

 物が多い部屋ではあったが、多くは机の上に置かれていたので、床を掃くこと自体は簡単で、手慣れたトトフィガロの腕ならすぐに完了してしまった。

 その時、感謝の言葉を述べるサンロモントが、「ついでに縫い物もやってみない? 出来ることが増えるって素敵よ」と言ったために、今現在、トトフィガロは初めての刺繍に挑戦している。


 物事には向き不向きがあり、どうにも自分には向いていなさそうだと薄々感じてはいながらも、途中で投げ出すのも悔しくて、こうして続けていたのだが、幾度となく針を指に刺したことで、トトフィガロの心は盛大に折れ掛かっていた。

 指が死んだ珊瑚のように穴だらけになるか、それよりも先に刺さないくらいに上達出来るか。悩むまでもなく、答えは決まっていようとトトフィガロは思う。改めて見てみても、どう好意的に見ても下手くそで、とても人に見せられる仕上がりではなく、部屋のあちこちに置かれたサンロモントの作品群の足元どころか、穴を掘っても及ばない。


「サンロモント、トトには刺繍は向かないようです。針を指に刺してしまいますし、糸も絡まってしまっています」

「本当ね。団子が至る所にあるわ」


 サンロモントは持っていた布を手際良く裁つと、それらを机の上に置いてから、まじまじとトトフィガロの作品を見た。そして、少し困ったように眉尻を下げながら、うーんと唸った。


「あなたは少し、せっかちなのかもしれないわね。一つ一つ、糸を伸ばしながら進めなくちゃ、綺麗には出来ないわ。お団子だって、都度都度解さなくちゃ」

「うう」

「取り敢えず、それは置いておいて、新しい物を試してみましょう。そうね、刺繍ではなく、小さなクッションを作ってみるとかどうかしら。四辺を縫うだけだから、さっきよりも簡単よ」

「はい」

「好きな生地を選んで頂戴」


 トトフィガロは静かに頷き、サンロモントが差し出した沢山の生地を受け取った。


 ケラが魔力を練って糸を紡ぎ、テラがそれを染めて、リラが編んで、一反の布を作り出している。三人は姉妹で、顔を合わせれば口喧嘩ばかりしてしまうのだが、仕事上の相性はとても良く、その作品群の質は目を見張るものがある。

 竜達の服も、彼女等の手によって作られた布を使用している。時折、拘りのある竜からの依頼で、特注の布を仕上げているのを、作業場で見掛ける。手際が良く、チームワークも優れているのだが、兎に角、お互いの悪口を言わずにはいられないので、口は常に賑やかな職場となっている。


 そうして出来上がった布を服に加工しているのが、今此処にいるサンロモントだ。時に仕立て屋と、何の捻りもなく呼ばれることもある。


 サンロモントには腕が八本ある。しかし、その肩口に生えている訳ではない。見た目だけで言うなら、彼女の腕は二本であるし、トトフィガロとそう変わらない人型をしている。

 では、何故に腕が八本と言われているのか。

 答えは鏡の中にある。

 拡張された彼女の残り六本の腕とは、その周囲に配置された鏡に映る自分自身の腕のことを指すのだ。置かれた鏡台は中心のサンロモントの方を向いて、三つある。その前の机には作業に使用する布が置かれている。そして、それぞれの鏡に映るサンロモント達の腕は、布を鏡の中へと持ち込んで、各々好きに動き回り始めるのだ。一人は布を裁ち、一人は布を縫い、一人は布に釦を留める。きっちり分かれた役割分担を熟した成果は、鏡の中から届けられる。

 それらを纏め、更に作業を振りながら、同じく自分も作業するのが、中心のサンロモントの役割だ。


 鏡の中のサンロモントも、中心の者と同じ顔、背格好のように見えるが、曰く、魂のない人形であるから、指示を出さないと動かないのだそうだ。

 サンロモントにとって、鏡とは身嗜みを整えるためのものではなく、労働力を増やすための装置で、中にいる人形のサンロモント達は、まるで子供のように愛おしい分身であると、以前語っていた。


 トトフィガロは生地を選びながら、自分の隣に置かれた鏡にこっそり自分の顔を映す。鏡の中のトトフィガロは、左右逆転しながらも、トトフィガロと同じ表情を見せ、同じ動きをした。残念ながら、サンロモントのようには出来なさそうだった。


 よく考えれば奇妙なことだ。自分と同じ姿の者がいるということ自体が、一つの怪異のように思える。そういえば、ケタリチルルはよく自分の姿を忘れて不定形になり、至る所へ流れようとするので、仕方なく、思い出すまで他人の似姿を借りていた。彼の変装というより変化は見事なもので、見た目だけではなく、その思考の癖や話し方さえも本人と見紛うほどにそっくりで、姿を貸した者達は、変装中のケタリチルルには会いたくないと言う。

 それは自分が自分ではなくなるような、奪われていくような感覚であったと言う。とは言え、不定形で足元を這いずり回られるのも、困ったものであるから、姿を借りている時は、どちらかが部屋に引き篭もることになっている。

 それとは違う理由で問題が起きたこともあった。ある時、ヘイルガイルの姿を借りたばかりに、唯でさえ一人でも騒がしい彼が、二人になったために、えらい騒音騒ぎになったことをトトフィガロは覚えている。無事、収拾がついた後も、残響が暫く耳に残ったものだ。


 自分が沢山いたら掃除の効率も上がると考えたが、掃除されるのが鏡の中では意味がないかもしれない。そもそも、自分が沢山いるのは、何となく嫌だった。これ以上ない同族嫌悪であった。


「うーん」

「悩んでいるのかしら」

「この深い青の生地と、淡い黄色の生地で悩んでいます」


 夜空のような紺碧と、レモンタルトのような優しい黄色でトトフィガロは悩んでいた。それを聞いたサンロモントは顎に手をつけて、同じく悩んでいるポーズを取った。


「そうねえ。どちらも良いとは思うけれど、あの方には青色の方がお似合いになると思うわ」

「やっぱり。トトもそう思って……あっ、違います。全然、関係ありませんから。これはお試しで作るのであって、誰かに贈るとかはしませんから」


 むきに否定するトトフィガロを見て、サンロモントは優しく微笑みながら、「そうね」と穏やかに返し、くすくすと控えめに笑ったのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る