第16話 猫乙女にきいてみよう

「ショコラはですね。飼い主さまが出かけている時に、うっかり水の張ったお風呂の浴槽に落ちて、気づいたらこの世界に来ていたんです」


 訥々と、ショコラが話す。それも猫乙女〈ニャルキリー〉とかいうのの導きなんだろうか。


「……」


 ふと、ショコラがわたしとミケを交互に見た。それから伏し目がちになり言った。


「あの、お二人は元の世界に戻りたいと思いますか?」

「いや、別に……」


 と言い掛けた所で、思いのほかショコラが真剣だという事に気づいて言葉が詰まってしまう。


 まだ、飼い主さまの猫アレルギーだって治していない。


 それにせっかくの憧れていた異世界なんだから帰る事なんてまだ全然考えられないよ。


「えっと、まだいいかなって」

「まだ?」


 ショコラが上目でこちらを見る。


「まだって事は、帰る予定があるんですよね。帰り方知ってるって事ですよね?」

「え、いや」


 がばっとショコラが身を乗り出してくるのに、思わずのけぞってしまう。

 というか、言われて気づいたけど、よく考えたら元の世界に戻る方法知らないかも。


「ショコラは、元の世界に帰りたい。帰りたいんです!」


 切実な声のトーンに思わず気おされてしまう。

 どうしようミケ。

 助け舟を求めるように、わたしはミケを見た。


「やれやれ、困ったな」

「ミケでも分からないの?」


 ミケでも分からない事があるとは。わたしが訊ねると、ミケは罰が悪そうに頭をガシガシと掻いた。


「しょうがないだろう。そもそも、野良猫出身の使い魔〈サーヴァント〉だと、元の世界に戻りたいという発想すらも出てこないからな。元の世界の戻り方なんて探そうともしないんだよ。とはいえ、当てがないわけでもないが……」

「え、本当ですか?」


 ショコラの顔にぱっと光が射す。


「入植管理局に訊いてみたらどうだ? いつもは居留守を使うクソな連中だが、家猫の電話ならあるいは話を聞いてくれるかもしれん」

「入植管理局ですか……」

「アドレスが入ってるだろ?」


 ミケが言うと、ショコラはニャルラトフォンの画面を操作して「はい」と頷く。わたしも自分の端末を見る。先ほどもみた意味不明の宛先のうちに一つ。そこには、入植管理局の名前もあったはずだ。


「入植管理局は、猫乙女のニャルキリー達が詰めている役所だと言われている。具体的にどこにあるのかは不明、繋がりもこのアドレスだけだが、俺たち使い魔〈サーヴァント〉の出入りに関して深い関わりがある。彼女達に訊けば多分わかるだろう。訊ければだが」

「……はぁ」


 ショコラは容量を得ない顔をしながら、俯く。


「せっかくなんだし、かけてみたら? もしかしたら、出るかもしれないし」

「でも、もし帰れないって言われたら?」

「その時は、その時考えればいいんだよ」


 そう思う。結果的に背中を押す事になったのだろうか。ショコラは決心したように端末の画面を操作すると、ボタンを押してから受話器を耳に当てた。


 そうして、少し待つ。


「あ、出ました」


 ショコラが顔を上げてこちらを見る。そして、すぐに「もしもし」と続ける。それからいくつかのやり取りをしてから、電話を切った。


「どうだった?」


 わたしが訊ねると、ショコラはズーンと重たい顔を返してきた。どうやら、入植管理局との会話はあまり芳しいものではなかったらしい。


「それが……」


 言いにくそうに、ショコラが口ごもる。


「あなたは向こうの世界で死んだ事になっているので、私たちの知ったことじゃありませんって……」


「うわ、ひどい言い方だね」


 それはまた、取り付く島もない言い方だ。もうちょっと何かあってもいいのに。


「いや。それだけなら、そもそも電話に出ないだろ。他にも何か言われたんじゃないか?」


 ミケが訊ねると、ショコラはおずおずと頷き、


「はい。もし、どうしても元の世界に帰りたいなら、三百五十万払うか、誰もが認める功績をあげることだと言っていました」

「なんだ、あるんじゃん。よかったね」


 猫乙女とかいう喪女集団ももったいぶった言い方をするものだ。最初から言ってあげればいいのにと思う。


「でも、三百五十万なんてショコラにはとても払えませんよ。一体スライム何匹倒せばいいんですかっ」


 スライム一匹十コネだから、三十五万匹倒せばいいんじゃないの? 単純計算でそういう事だけど、多分ショコラ的にはそういう事じゃないんだろう。


「三百五十万か。高位の暗黒魔法使用料が一回およそ五百万だから、その半分強溜めればいいと考えれば、気休めにならないか?」

「いやいや、なりませんよっ。高位の魔法使っちゃってるような使い魔さんとショコラを比べられても困りますっ」


 ミケの言葉にショコラが声を荒げて反論する。色々事情は複雑なんだなぁ。というかそれは、ショコラの価値は魔法一回分にも満たないと言ってるのと同じでは。


 そういえば、わたしはいくら位なんだろうか。うーん、気になる。気になると夜が眠れなくなりそうなので、話し込んでいるショコラとミケを尻目に、わたしも入植管理局とかいう所にかけてみる。


『はい、もしもし、こちら入植管理局のニャルキリーちゃんでーす』

「あ、もしもし。私〈わたくし〉ルナというものですが、少しお時間よろしいですか?」

『ちっ、また家猫かよ。条約があるから出ざるを得ないのうぜぇ。あ、はいはい、なんの御用でしょう?』


 明らかに素の独り言が聞こえてきたんですけど。気のせいだったのかな。電話先の猫乙女〈ニャルキリー〉は甘ったるいアニメ声に戻ると、親切な口調で応対する。


「あのー、元の世界に戻るのにいくら位掛かりますか?」


『え? 元の世界に戻りたいんですか? どれどれって、あなたまだ来たばっかりじゃないですか。しかもこれは……え、神直々。ぎゃー、ギガヤバス。やめてください。あなたにすぐ帰られたら、私たちの何人かの首が飛んでしまいます。それはもう物理的にっ。なんなんですか、ニャルハラに何か不満が、不満があるんですかっ』


「いや、そういうわけじゃないですけどー、一応?」


『一応? あー、一応、一応ね。ねーいるよねー。そういう猫いるよねー。はぁ、驚かすんじゃねぇよ。このメスガキが。あ、はいはい、いくらかかるかでしたっけー。ちょっと待ってくださいねー』


 カタカタとコンソールを叩く音が聞こえる。


『お待たせしましたー。今のルナさんですと、大体三千五百万くらいですねー』

「さ、三千五百万っ!?」


 桁が違うんですが。思わずショコラを見る。


『満足しました? しましたね? あー、早く電話切り上げて一服してー。ニコチン、タール、じゅるる。あ、はいはい、じゃそういう事で、ではグッドラック! がんばってくっださーい!』


 そういい残すと、ガチャっと電話が切れる。


「ミケさんは、金銭感覚がおかしいんですよ。まったく」


 ショコラがぷんぷんと頬っぺたを膨らませている。

 まだ、話は続いているようだ。


「あのなぁ……」

「まあまあ、いいじゃない」


 文句を言おうと唇を尖らせていたミケの言葉をわたしは遮る。多分、お金の使い方でこの二人が分かり合えることはないので、これ以上は無駄だと思う。


「ともかく、三百五十万集めるのが難しいなら。もう一つの方法しかないんじゃないかな?」

「誰もが認める功績ってやつですか」

「そうそう」


 わたしが言うと、ショコラはうーんと唇に手を当てた。


「それって具体的にどういう事を言うんでしょうか?」


 さあ、わたしに聞かれましても。

 やっぱり、助け舟を求めるようにミケをみる。ショコラも見る。ミケははぁと一つため息をついた。


「お前らやっぱり家猫な。ちょっとは自分で考えてみようとか。思わないのか?」

「なっ、考えたわよ一応」


 嘘だけど。ひんやりとした目をわたしに向けてから、ミケは「そうだな」と顎に手を当てた。


「俺が考える限りでは、三つだな」


 そう言うと、まず一本指を立てる。


「まず、一つ目は勇者になること」

「勇者ですか……」


 ショコラが、ごくりと喉を鳴らす。


「勇者は、ニャルハラで最も強い使い魔〈サーヴァント〉に与えられる称号だ。これを得ることが出来れば、功績として申し分ないはずだ」

「無理ですっ」


 はやっ。ミケの言葉に間髪いれずにショコラが否定する。


「じゃあ二つ目。誰も倒せない魔物を倒す事。誰も倒せなかった魔物を倒したんだから、これを功績と言わずしてなんと言う。というものだろう」

「それも、無理ですっ」


 さらに早い。


「なら、三つ目だ。ニャルハラの文明を急速に発展させるような道具か、システムを発明すること。少し使い魔〈サーヴァント〉としての正道からは外れる気もするが、それで偉猫として称えられている猫もいる以上功績として認められるはずだ。俺たちが今、使っているニャルラトフォンを作ったのも実は使い魔らしい。たしか、スティーブ=ジョブネッコとかそんな名前だったような」

「はぁ……」


 全て聞き終わった後、ショコラは一つ大きなため息をついた。


「全部、ショコラには無理ですよ。やっぱり、ショコラは元の世界には戻れないんですね。もう飼い主さまに会えないし、飼い主さまの作ったねこまんまも食べることが出来ないんですね」


 じんわりと目に涙を浮かべている姿に、わたしは何とかしてあげたいという気持ちが心の奥から湧いてくるようだった。しかし、わたしに何か出来ることがあるのかと言えば、何もないように思えたし、薄っぺらい同情の言葉をかけるのも、何か違う。


「ショコラ……」


 本当に、この三つしかないんだろうか。この三つしか――。


「まだ、あるわ」

「?」


 わたしの言葉に、ショコラが顔を上げる。


「四つ目。勇者のパーティの一員になること。わたしが勇者になるから、ショコラ、わたしのパーティに入ってよ」

「えっ、えっ」

「勇者になるのは無理でも、勇者のパーティの治癒師〈ヒーラー〉にならなれるわ!」

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